ルバロン一族の連続殺人

 

「カリスマへの階段」(コリン・ウィルソン著 関口篤訳:青土社刊)という本があります。この本にはブランチダヴィディアンのデヴィィド・コレッシュから三島由紀夫まで様々なカリスマ、それも破滅的なカリスマを紹介して、人間真理の中のひとつの病理を考えていこうという大変興味深いものです。
この本にふたつのモルモン教徒の事例が取り上げられています。ひとつは復元教会のジェフリー・ルンドグレンであり、もうひとつはユタモルモンのルバロン一族の方のケースです。
ちなみにルバロンの家系はジョセフ・スミス以来のモルモンの家系ですが、ユタモルモンの多数派ではなく、所謂モルモン原理主義に属する者でした。
ご紹介をして行きますが、大変凄惨な事件です。私は途中から殺された人数を数えるのを止めたほどです。

ブリガム・ヤングの時代にベンジャミン・ジョンソンという有力信者がいました。彼は元はジョセフ・スミスの弟子で、ヤングとは兄弟弟子といえます。ジョセフの跡を継いだヤングは彼を祝福師に召していたそうです。モルモン教徒としてはなかなかの名門と言えるでしょう。
その孫にデイヤー・ルバロンという人物が現れます。祖父ジョンソンから祝福師の祝福を受け、祝福の予言的な内容にデイヤーは魅せられていました。そして祖父の死去の後、彼は祖父が生前に書き残した文書を読みます。そして、突然「自分はジョセフ・スミスの後継者だ」と確信するに至ります。その文章には「ジョセフ・スミスの予言で私が老齢になった時に心すべき事」と言う箇所があり、そこが彼にはインスピレーションになってしまったのです。彼は祖父がかつて「モルモンの将来はメキシコにあり」と言っていた事も思い出し、メキシコで活動すべきだと思い立ちます。
1923年にはデイヤーは寝ていると祖父の霊に起こされ、よりいっそう決意を強くします。多妻結婚などモルモン教の伝統的教義を実践して行きます。しかし、生活は楽ではなったようで、19人の子供が出来ますが丈夫に育ち成人したのは10人だけでした。やがて、デイヤーにも死が訪れます。長男のベンが、父についてジョセフ・スミスの後継者を名乗ります。しかし、ベンは心に病があったようで、なんども施設で過ごした後入水自殺を遂げます。
次はウエズレーと言う息子がジョセフの後継者を名乗ります。信者を天国に連れて行く空飛ぶ円盤を作りますが、当然のことながら失敗し挫折してしまいます。次はジョエルと言う息子が「山で天使に会い。直接、後継者とされた」と主張します。この頃から一派はファーストボーン教団と称される様になりました。ジョエルの弟にアーヴィルと言うのがおり、兄に次いで教団のナンバー2になるですが、この頃から一族の殺戮の歴史が始まります。
このナンバー2の弟アーヴィルは放埓な性格でした。教祖である兄は不在時の教団運営を弟に任せるのですが、そのしたい放題の有様に信者たちは我慢が出来ませんでした。結局、兄ジョエルに訴えて、アーヴィルは破門されてしまいます。逆恨みしたアーヴィルは兄に対して「血の贖罪」を宣言し、自分の弟子を使って兄を射殺してしいました。この事件はメキシコで起きたのですが、早速、アーヴィルは合衆国に逃亡し逮捕を逃れます。ところが、逃亡生活に疲れたアーヴィルはメキシコに戻ったところを逮捕されてしまいます。裁判は1973年まで続き12年の刑を一旦は受けたものの、どういうわけか上級裁判所で裁判が無効とされてしまいます。
その間、殺されたジョエルを慕っていた信者たちは、祝福師だった別の弟ヴァーランをリーダーとして担いでいました。
早速、アーヴィルはヴァーランたちに襲撃を仕掛けます。男女15人が怪我を負い、後ふたりが死亡します。ヴァーランは幸い旅行中でした。その2週間後ノエミ・キノウスと言う女性がアーヴィルあるいはその手の者に射殺されています。
アーヴィルはこの後、ユタに行きそこでユタモルモンに伝道を開始し、教団の強化を図ります。ユタにも様々なモルモン教徒がいるのはご存知の通りで、ボブ・シモンズという人物がいました。彼も自分が「ジョセフ・スミスの正統後継者」と信じていました。アーヴィルとシモンズがそれぞれの正統性をめぐって激論になりました。(端からみればバカバカ限りですが)アーヴィルはシモンズと親しいロイド・サリバン(やはりモルモン教徒)をたらしこんで、シモンズをソルトレークシティのはるか西まで連れ出させます。そして、人っ子一人いない場所でアーヴィルの手下がシモンズの頭にショットガンを押し付けて引き金を引いたのでした。アーヴィルは「神による血の制裁である」と嘯いたと言います。
次に教団の不平分子の殺害が始まります。ディーン・ヴェストなる人物を女性信者に命じて殺害させます。さすがに警察当局も動き出し、アーヴィルは逮捕されますが、またも無罪放免となります。
次は自分の娘の番でした。教団実力者との結婚(多妻婚)に失敗して出戻って来た娘のレベッカが、父や教団に失望して警察に訴え出てあらいざらいぶちまけると聞き、彼女を絞殺します。これが1977年のことでした。
これだけ人を殺してもアーヴィルには果たさなければならない使命がありました。それはヴァーランへの血の贖罪の執行でした。しかし、ヴァーランは充分に警戒しており、そう簡単に姿を現しそうにもありませんでした。その為、周到にして残忍な計画が立てられました。ルバロン家と親しい間柄であったモルモン原理主義者のリーダーにルオン・オールレッドという人物がいましたが、彼を殺害し、その葬儀に出てきたヴァーランをその場で殺そうと言うものでした。オールレッドは単におびき寄せの目的だけで、男女2名のアーヴィルの弟子のために射殺されてしまいます。
葬儀にヴァーランは現れましたが、厳重な警戒のため、ヒットマングループはその目的を果たせませんでした。ソルトレークの警察の動きも激しく、ようやく容疑者の女性を確保し事情聴取を行いました。警察は実行犯を特定しようと「アーヴィルの命令があったとしたら、人殺しも辞さないのは誰と誰か?」と彼女に尋ねましたが、その答えは「ほぼ全員」という戦慄すべきものでした。
ところで、アーヴィルはこのように予言していました。「1977年5月3日までにモルモン教の他の派はすべて崩壊し、アーヴィルの指導を受ける」と。しかし、そうはなりませんでした。そのことに失望した信者たちが背教し始めます。
当局の包囲網も確実に狭まっていました。1977年教団幹部が逮捕され、翌年にはアーヴィルも逮捕されかかります。しかし、警察は間違って別人を逮捕し取り逃がすと言う大失態を演じます。あわせて有力な証人が裁判直前に心臓麻痺で死去するなどのアクシデントも重なり、無罪放免となってしまいます。どちらの国も警察と言うのはしゃきっとしないものです。しかし、これだけの殺人を繰り返していてはどうしようもありません。結局、アーヴィルは逮捕され終身刑を受けます。
1981年8月16日獄中で腕立て伏せをしていたアーヴィルは心臓麻痺で死去します。どういう分けか、ライバルのヴァーランはメキシコシティをドライブ中センターラインオーバーしてきたトラックと正面衝突し、即死してしまいます。
このふたりの死にもっとも安堵したのは、ユタモルモンでした。お決まりの「彼らは既に破門されている」と繰り返しても、一般大衆にとってはどちらもモルモン教徒でしかなかったからです。世間はルバロン一族に「モルモン教のマンソン」というありがたくない名称を与えていました。ユタモルモンが影響力を持っているはずの司法関係者にも様々な失敗手抜かりがあり、そのこともユタモルモンの無関係との主張に鼻白む思いがしたのも事実でした。
ふたりの教祖が死んだ後このファーストボーン教団は3派に分裂し、尚も凄惨な「血の贖罪」を執行し続けます。それからの犠牲者の経緯と数とはここでは述べ切れません。

 こうした殺戮はカルト教団にはありがちな事ではあります。しかし、ルバロン一族の特異なところはモルモンの元来の教義がその根っ子にあるということです。ルバロンたちはいきなり反対者を殺そうと思い立ったのではありません。反対者を殺す事が神の決めた教義であると言う「正当な理由」から彼らは殺人を重ねて行ったのです。オウム真理教教祖麻原がポアの教義が100年後に復活したようなものでしょう。「血の贖罪」の教義を地下水脈のように保っているモルモンと言う宗教に更なる恐怖を抱かずにはおれません。(最近でもユタ内の原理主義者がこの教義を実践しています)この恐怖の教えを未だに息づかせているのは、ユタモルモンがきちんと過去に向き合い、それを反省し清算しないためである事は明白です。


モルモン教は信じるに足るか?
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