推断と「今は昔」の内容・・「モルモン教と暴力」 (著者高橋弘、国際基督教大学「キリスト教と文化」26、94年8月

モルモンフォーラム誌99年春季号より転載

沼野治郎

 この論文を読んで評者は、知人のある元国文学教授のことを思い出し た。彼はキリスト教と聞くと、叔父は牧師であったが、キリスト教は戦争 をする宗教ではないか、と叔父を困らせたものだ、と言っていた。考えて みれば、スペイン人のメキシコやペルーの征服、西欧の帝国主義などキリ スト教が先鋒として関わっていたし、過去におけるヨーロッパの多数の宗 教戦争、カトリック教会の圧制や武力行使、そして現代における北アイル ランドの紛争など枚挙にいとまがない。

 モルモン教徒が初期に迫害された時、被害者として守勢に立つばかりで なく、武力に訴える対抗措置をとるに至っていたこと、それがエスカレー トする場面があったことが、最近論文や研究書で注目されている(クイ ン、「モルモン教の階層栴造−−権力の起源」'94など。)しかし、それは それこそ19世紀のフロンティアにあって、激しい迫害や攻撃に抗する手段 に始まったものであると考えられる。例えば1838年ボッグズ知事の撲滅令 発布3日後、ホーンズ・ミルで31名の末日聖徒がミズーリの民兵に虐殺さ れている。そのような環境や背景を考慮に入れるべきである。そういった 点に触れないで、高橋氏のこの論文は、教徒側による物理的行為を一方的 に列挙し、学術論文に必要な、総合的・客観的記述と慎重な姿勢に欠ける ところがある。典拠も反モルモンのものが三つ(四つ?)引用されてお り、執筆姿勢は初めから非難色が濃厚である。

 論文は教会の初期に見られた「血による贖罪」に触れ、それに関係する とされる9つの執行範疇をあげている。今日耳にすることのないこの概念 は略述すれば、次のようなものである。人の罪が赦されるのは、イエスの 血を流す贖いがあったから可能となった。しかし、人の罪の中には殺人の ように重大な罪で、自らの血を流さなければ赦されないものもある。(い ずれの場合も血の介在が不可欠。)そこで重い罪に、姦淫、盗みなどが加 えられ、教会を去ること、教会に敵対すること、なども加えられるに至っ た。そして教会内外の者で、このような罪を犯した者に対して、血を流す ことによる刑の執行が、「実際に実行された」。一時期、一部そのような ことがあったことは否定できない(クイン、同上書下巻)が、数少ない例 をもって、広範に恒常的に行われていたかのような印象を与える書き方( implicationsの使用)は誘導的である。ブリガム・ヤングの断罪的表現が 大会説教から何度も引用されているが、そこには修辞(レトリック)ある いは強い警告と受けとめられる要素があるはずである。

 さて、1から9までの記述の主要な部分は、死刑執行の方法に関するも のと読むことができよう。ユタ州が銃殺刑に固執する理由がこの論文から 理解できる。評者は死刑に賛同する者ではない。この論文に記された内容 は、19世紀ユタにおける神政体制下で、ある考え方が極端にまで押し進め られた遺憾な現象である。しかし、現在から見れば、「今は昔」に属する 過去の出来事である。また当論文は、事象の指摘に終始して分析には僅か の紙面しかさかれていない。結局、今日に及んでいる面は何かと言えば、 末日聖徒に死刑存続論者が多く残っている、という点くらいである。

 今日、末日聖徒がすっかり落ち着いて、大変穏やかで大人しい(日本は もちろん、アメリカでも)市民であることを考えると、論文の表題はもち ろん、この種の偏見や非難を感じさせる論文は、奇妙に場違いというか今 日的でないものと言わざるを得ない。(ジャン・シップス、「定型的視点 を越えて−−20世紀のモルモン・非モルモン共同体」87 参照。)モルモ ン教の過去の姿を示すことが目的であったにせよ、激しい敵愾心に満ちた 反モルモン運動に通じるものが感じられ、残念である。

 教会にとって厳しい内容については典拠を記すべきであること(3の盗 みに関する後半部分)、「‥と思われるふしがある」「‥ようであ る」というような暗示的記述は、読者が批判的に割り引いて読むべき箇所 であることを、述べておきたい。また、二度にわたって「えせキリスト 教」と言う表現を使っているが、論文はここでも宣伝文書に成り下がる危 険を冒している。最後に、論文末尾に「モルモン教本郡(?)の地下格納 庫には常時、一年分の食料と武器・弾薬が貯栽されているという」と信憑 性のない風説を引いているのは、極めて学術論文にふさわしくない結びで あり、昨今の風潮に習えば、不安と嫌悪感をあおるものとして、充分訴松 の対象となるものであろう。


高橋弘氏論文「モルモン教と暴力」

「るうの書評雑感」

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