モルモン教で救われるか

(1)モルモン教徒・現代のファリサイ人。

モルモンは儀式を受け、そして戒めを最後まで守って救われると教えています。儀式とはモルモン神殿でのエンダウメントや永遠の結婚も指しています。しかし、結婚の相手さえ見つけかればこれらの儀式を受ける資格を得ることは難しくはありません。むしろ、簡単です。 知恵の言葉とか婚前交渉とか戒めを破っていても大丈夫です。面接の時に「はい」と答えればそれだけでいいのですから。 さて、むしろ問題になるのは戒めを守って生活するって事の方です。
モルモンは現世の行いによって来世どこに行くかってことが決まると教えているわけですが、その点で以前、モルモンの方々と議論をしました。「どこまで戒めを守れば救われるのか?」という点です。だれも明確な答えは持っていません。それはそうです。戒めとは「知恵の言葉」などの守るものだけではなく、「正しい行いをせよ」という極めて能動的なものを指すからです。さて、では、どこまで良い事をすれば昇栄して神様になれるのでしょうか?
キリストは行いだけでなく内面も問題にしてます。 「情欲を持って女性(異性)を見るものは既に姦淫を犯してい る」 「右手のしていることを左手にしらせるな」 「(人を赦すに)七度とは言わない七度を七十倍(?)にしな さい」 というように。
そうなると、本当に一点の邪念のない行為などアダムの子孫の人間 には不可能なのです。世に真の善人は皆無だし、本当の良い行いなどは存在しないのです。
こうしたイエスの言葉は登りきれない高峰として人の前に立ちはだかるのです。
また、その一方で、たとえば、マザー・テレサやキング牧師のような偉人(かれらの行いはどんなモルモンも及ばないでしょう)であっても、モルモンの儀式を受けていないと言う事だけで、モルモンの方々のような救いには預かれないのです。ちょっと考えればこれは大変な不公平、大きな矛盾です。
モルモン教内部で活発な方は「我々は幸せである」と言うでしょう。しかし、それは自己欺瞞です。行いによって救われるということを突き詰めて考えれば、それこそ恐ろしい強迫観念になって日夜精神をさいなむことになるのです。
とてもではないが、こうした教義に救いがあるとは言えません。
人は完全な行いなど出来なくて当然なのです。しかし、イエスの言葉は、これをなせという命令ではなく、「所詮、人には出来ないのだから、それを認めてしまって自由になりなさい」と言う福音なのです。信仰のみによる救いをイエスは宣言なさっているのです。
モルモンはイエスが律法主義のファリサイ人を非難している事を他人事のように思っているようですが、実は彼らこそ「現代のファリサイ人」なのです。

もし、あなたがまだ、モルモンをご存知ないなら、彼らがその戒律によってどのように信徒を拘束するかは「モルモン教会に入る前に知っておくべきこと」(聖徒の未知)をご覧になる事をお勧めします。


(2)モルモン教に救い主は必要か?

モルモンがキリスト教のひとつだともしあなたが思っているのなら、それは間違いです。
キリストの名を冠していながら、聖書を聖典のひとつに加えておきながら、その実体は全くの新宗教なのです。
それは、キリストとはなにかということを誤って教えているからです。
モルモンの復活の教義では人はイエス・キリストの復活により全ての人は復活すると教えます。それは第一の救いです。これは無条件で与えられるものです。ところが、「日の栄」で復活するには個人の努力が必要なのです。(1)書いたように必要な「儀式を受け」「戒めを守る」ということになるのです。
イエスの罪の贖いそのままでは人には及ばず、結局はモルモン教に対してどれだけ忠実かという事と、積み上げる善行によらないと効果はないという事なのです。これはいわば「因果応報」の教えです。 また、モルモンを信じる事によって現世での「祝福」(ご利益)も約束しています。これは、もうキリスト教というよりも仏教や特に皆さんも良くご存知の新仏教により近いのです。
個人が生きてる時にした事で来世が決まるなら、戒めとそれを正しく守って行けるようにチェックする教会組織がさえあれば良いのです。現実にモルモンはそうしています。
罪を贖って救われるという教えは不必要なのです。もちろん、キリストが罪を贖うために十字架にかかった事を信じる必要など全くないのです。
わざわざ、キリスト教会と名づけることなどないのです。
モルモンが主張するイエスのもうひとつの使命にその生涯を義人として完全にして生抜いたというのがあります。そして、信徒はその模範に習って生活すべきであると教えます。
その教えはおかしくはありません。むしろ、その通りに行うのであれば非常に気高い事として多いに評価されるでしょう。
歴史上もイエスの言葉どおりに生きようとしたアシジのフランシスコのような聖人もおるのです。清貧を旨に文明と隔絶した生活を営むアーミッシュなどもそれにあたるでしょう。
 しかし、残念な事に、モルモンはそこまでは教団としても真剣には取り組みませんし、信徒にも要求しません。
彼らのキリストの模範というのは所詮は聖書を言行録として活用して、生活の知恵・教訓とするというレベルなのです。
そこには、真の救い主イエスの使命は見えてはきません。


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