高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


W モルモン教と黒人問題−
ジョセフ・スミスの黒人観


 第一に、ジョセフ・スミスの時代には、黒人の問題はまだ観念的レベルの問題であった。というのは、モルモン教会には黒人は例外的にしか存在していなかったからである。したがって、奴隷制度のことも直接的にかかわりのある問題ではなく、白人優位=黒人蔑視という思想も観念的なものにすぎなかった。ただモルモン教徒の移住先で、地域住民との関わりで間接的に問題となるにすぎなかった。モルモン教会のなかに黒人(奴隷)がいたにせよ、そうでなかったにせよ、自由州から奴隷州へ移動するとき、またその反対に奴隷州から自由州へ移動するとき、黒人(奴隷)の扱い方や思想が問題とされることがあったようである。しかしユタ定住後は、奴隷の所有を合法化し、奴隷の売買をするようになるが、そういう状況と比較すれば、黒人の問題はまだまだ観念的レベルの問題であり、黒人観といっても具体性に欠けていたと思われる。

 第二に、奴隷制度に関しては、スミスはこれを一貫して支持した。そして奴隷制度廃止の主張や運動については、これを全面的に非難した。南部のプランテーションという奴隷制度にもとづく社会、経済的状況については、南部の問題は南部に任せればよい、北部の人間が干渉すべきではないという立場をとった。スミスは、奴隷制度は神の大きな摂理のうちにあり、人間は干渉すべきではないと語り、現状肯定的であり、奴隷制度も悪いものではないという立場をとっていた(38)。

 第三、ジョセフ・スミスの黒人に関する態度・発言には一貫性がなかった。スミスが著した『モルモン経』には、すべての人間は神のまえでは平等であるとするキリスト教的理想主義がみられる反面、黒い皮膚は神の呪誼のしるしであるとする黒人差別を当然とする現実主義がある。奴隷制度も基本的にはこれを支持しつつ、スミスの死の直前、一八四四年の大統領選挙に出馬し、奴隷解放を主張し、さらに解放されたあとの黒人は別の土地に住まわせるぺきとする、人種隔離主義を唱えるというように一貫しないスミスの態度が浮かびあがる。マーヴィン・ヒル(プリガム・ヤング大学歴史学教授)にいわせるとこういうことになる。

 「ジョセフが大統領キャンペーン中に奴隷制度廃止を唱えだということも…ジョセフがリベラルだったからではない…ということはつまり、ジョセフ・スミスはある意味では人種主義者、ある意味では人種隔離主義者、あるいは開拓者、入植者であり、そしてまれに奴隷制度廃止の支持者だったのである。…スミスの記録をみるかぎり、記述の内容は曖昧そのものである…(39)」。

 第四、一八四四年、二人の黒人モルモン教徒が白人女性との結婚を試みた。しかしスミスはこれを認めず、この二人の黒人にそれぞれ二五ドル、五ドルの罰金を課し、罰した(22)(二五ドルはほぼ一か月、五ドルは一週問分の収入に相当した)。黒人との人種間結婚を認めないという点ではスミスもブリガム・ヤングと変わりはないが、しかしスミスのとった処置はヤングとくらぺれぱ、まだまだ寛容な処置であったことがわかる。

 第五、黒人工ライジャ・エイブルは、モルモン教会が創立されて二年後に信徒になり、モルモン教会のもっとも困難な時期をスミスと運命をともにした人物である。彼はスミスのもっとも忠実な信徒の一人であった。このためスミスは黒人エライジャを寵愛した。スミスは一方では、黒人は神の呪いをうけており神の救済からもっとも遠い存在としつつ、しかしエライジャについてはこれを例外と認め、彼に神権を授けている。「モルモン戦争」敗北によるミズーリー州からの追放の後、イリノイ州ノーヴーにモルモン教徒の町を再建するさいには、スミスはエライジャを呼びよせ、彼を自分の家に住まわせた(40)。

 モルモン教会は長い間、ジョセフ・スミスは黒人エライジャを知らなかったと主張してきたが、一旦エライジャの存在を否定できなくなったら、こんどはスミスはエライジャが黒人だとは気づかなかったのだと主張しだした。しかしエライジャはスミスのもっとも忠実な部下であったし、ノーヴーではスミス家に住んでいたこともあり、スミスが彼を黒人だと気づかなかったというのは、ありえないことである。事実、ヤングの時代になると、エライジャは黒人であったために、スミス時代とは一八○度状況がかわり、彼は思いがけない差別に直面することになるからである。つまりモルモン教会は、エライジャ・エイブルはスミスからは白人とみなされ、ブリガム・ヤングからは黒人とみなされたと主張しているのである。

 ジョセフ・スミスの黒人にたいする態度をひとことで特長づけるとすれば、スミスが十九世紀初期の白人一般庶民を代表する人物であり、それを越える人物ではなかったということである。スミスは南部でよくみかける寛大な大農園主のようであり、奴隷制度に関しては何の疑いももたなかったが、実際に自分を慕ってくる黒人にたいしては父親のように接し、何かと面倒をみたのである。一人ひとりの人問には個別に対応した点で、スミスの態度は一貫性に欠けるといえるが、しかし、それは同時にスミスが柔軟な精神のもち主であったことを物語る。黒人であっても例外を認めたスミスは、温かい心を失わず、エライジャも黒人ながらスミスのもとでは幸福だったに相違ない。

(38) Messenger and Advocate, April 1836, History of the Church, vol. 2, pp. 437-8.
(39) Marvin S. Hill, Dialogue : A Journal of Mormon Thought. Autumn 1970, p. 99.
(40) Kate Carter, The Negro Pioneers. Lesson for May, 1965, p. 511.


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