高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


W モルモン教と黒人問題
−孫エライジャ・エイブル


 エノク・エイブルの息子工ライジャは、一八九二年ユタ州にて誕生し、二四歳で洗礼をうけている。彼がdeacon(下位の神権)に任命されたのは三二歳の頃であり、elder(上位の神権)に任命されたのは彼が四二歳の時である。エライジャの母は白人であったから、皮膚の色はかなり明るい色だったに違いない。すでにエライジャの祖父エライジャ・エイブルは、国勢調査に「ムラトー」すなわち「白人との混血」と記されているから、祖父エライジャの肌の色も、漆黒の黒い肌とは違っていたと思われる。エライジャの生存中(死亡日は不明)には、少なくとも四人の大管長が在位している。ウッドラフ、スノウ、ジョセフ・エフ・スミス(在位期問、一九〇一−一八)、グラント(一九一八-四五)である。

 ホブ・フィリップスはエライジャ・エイブルに関する研究のなかで、次のような興味深い事実を指摘している。すなわち、黒人工ライジャ・エイブルの子孫のうち、少なくとも六〇人がモルモン教徒である。そのうちの四〇人は、ソルト・レーク市から百マイル以内に住んでいる。彼の子孫のあるものは神権を授けられ、伝道にでかけている。エライジャには六人の娘がいたから、彼の子孫の多くはエイブルという名前ではない。また、子孫のある者は白人家庭に養子として迎えられている。さらに、子孫のあるものは、自分をインディアンとの混血だと勘違いしている、ということである(36)。

 また、ブリガム。・ヤング大学の副局長ウィリアム・ペレットの記録では、一八四七年頃、ニューヨーク州パタヴィアに、ルイス(Lewis)という理容師をしている黒人のモルモン教徒が住んでいたが、彼の息子は白人の娘と結婚しており、二人ともモルモン教徒であったという(37)。

 今日、モルモン教会は、黒人に神権を与えていたことや、教団内での黒人と白人との通婚があったことを否定している。そればかりでなく、モルモン教の歴史に黒人が存在していたことをすら否定しているのである。その理由は、黒人観の変遷を述べる次の節で明らかにする。ともかく、モルモン教の歴史に黒人の神権保持者がいたことは、いろいろな記録から明らかである。

(36) Bob Phillips, cited from Mornrons and Negroes by Jerald and Sandra Tanner, p. 18.
(37) J. J. Stewart and W. E. Berrett, op. cit., part 2, p. 7.


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