高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


W モルモン教と黒人問題−
エライジャ・エイブル(Elijah Abel)
(33)


 エライジャ・エイブルは一八三二年にモルモン教に入信する。彼はモルモン教徒として七四歳で死亡した。彼の死は一八八四年のことであるから、少なくとも最初の三人の大管長はエライジャの存在を知っていたはずである。その三人の大管長とは、スミス(在位期問、一八三○−一八四四)、ヤング(一八四七-七七)、テイラー(一八八○−八七)である。

 エライジャ・エイブルについては、ある本のなかでつぎのように描かれている。「…彼は熱心なモルモ教徒であった。・・・人々はエライジヤについて、落ち着きのある立派な人物で、そのたくみな話し方からすれば相当教育をうけているに違いない、と語っていた…(34)」。エライジャは特にジョセフ・スミスの寵愛をうけ、スミスの家で生活していたこともあった。このためエライジャもスミスの期待に最大限にこたえていたと思われる。ノーヴー時代、暴動の罪に問われてスミスがイリノイ軍に逮捕されたときには、エライジャはスミスのボディーガード数人とともに、スミス救出作戦に参加している事実から、エライジャがどのような存在だったかを推測できよう。

 エライジャは入信三年半の後、二五歳でelder(上位の神権)に任命されており、四〇歳のとき、彼の貢献が認められてseventyという、elderよりひとつ上位の指導者に任命されている。これらのことを考慮すると、スミス存命中は、エライジャは黒人であったにもかかわらずスミスの寵愛を受け、じゅうぶん一人前の信徒として認められていたと思われる。

 スミスは一八四四年に獄死するが、その後、エライジャはヤングとともにメキシコ領ユタへと移民した。移民直後の仕事はあるホテルのマネージャーであった。しかし一八七○年の国勢調査には、当時、六〇歳になるエライジャの仕事は「Minstrel Show/Performer」と記入されていることからら、彼の高い教育レベルにもかかわらず、普通の仕事には就けなかったことが伺える。またエライジャは、七三歳という高齢にもかかわらずカナダ伝道に派遣され、翌年帰国し、その二週間後に衰弱のため死亡した。エライジャには六人の娘と二人の息子がいた。息子の名前はエノクとエライジャである。

(33) L.D.S.Biographrcal Enryclopedia. Vol. 3, p. 577.
(34) Kate Carter, The Negro Pioneers, Lesson for May, 1965, p. 511.


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