高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


W モルモン教と黒人問題
−ブリガム・ヤングと奴隷制度


 ところでブリガム・ヤングは、奴隷制度は神が定めた制度であるから、南北戦争は奴隷解放などできるわけがないと主張していた。

 「神が定められたように、ハム(の子孫)は永遠に僕の僕となろう。・・・この戦争(南北戦争)は奴隷を自由にするであろうか。否。それどころかこの戦争は何千人という黒人を無駄死にさせているのである・・・。
 奴隷を親切に扱い、長生きさせよ。というのはハム(の子孫)は神の呪いが解かれるまで僕の僕とならねばならないからである。全能者の定めを変更できるであろうか。そんなことは不可能である。それなのにキリスト教徒たちは、全能者がハムに定められた法をくつがえそうというのである。彼らにできることは何千人、何万人もの奴隷を犬死にさせることであり、神の法を変えることなどできるわけがないのである・・・。(29)」

 ヤングはまた、黒人の奴隷的身分は神の定めた法であり、モルモン教会は奴隷制度を導入すべきだと語っていた。

 「ハムの子どもたちが『僕の僕』となるよう運命づけられたことを、われわれは知っている。主が彼らを呪いのなかに留まることを認めているかぎり、天下のいかなる力もそれを妨げることはできない。これがニグロについてのわれわれの考え方であり、またそのように人々に知られているのである・・・。
 ハムの種は、それはカインの種がハムを経て伝播したものであるが、その呪いのゆえに、神がその呪いを解くまで自らの兄弟に仕え、また他の人々の『僕の僕』となる定めである。これが奴隷制度についての私の意見である・・・。
 ・・・主はハム(の子孫)にしるしをつけられた。平たい鼻と黒い皮膚である。・・・洪水の後、新たな呪いがこの人種(黒人)にくだされた。すなわち黒人は『僕の僕』となることである。その呪いが解かれるまで、彼らはその身分に甘んじなければならないのである。それは奴隷制度廃止論者でもいかんともしがたいのである。まして神の定めを変えることなどできるわけがない。
 ユタが独立州としてアメリカ合衆国に加えられたなら、われわれはここ(ユタの地)に奴隷制度を導入することを選択したい。このことについては合衆国が口をはさむ問題ではない。たとえわれわれが奴隷を抑圧的態度で扱おうとも、それは合衆国と何の関わりもないことであり、合衆国が干渉すべき問題ではないのである(30)。」

 A・L・ネフの著書『ユタの歴史』に、ブリガム・ヤングが奴隷制度をどのように考えていたかがわかる、興味深い話がのっている。

 米国南部の特異な制度に関するモルモン教の見解は、ニューヨーク・トリビューン紙の編集者、かつ奴隷制度廃止論者ホーレス・グリーリーと大管長ブリガム・ヤングの、一八五七年七月一三日、ソルト・レーク・シティーで行われたかの有名な対話に如実にあらわれている。
グリーリー「奴隷制度について、あなたの教会はどのような立場をとっていますか。」
ヤング「われわれは、奴隷制度は神聖な制度であると考えています・・・。」
グリーリー「この準州には現在、奴隷がおりますか。」
ヤング「奴隷はおります。」
グリーリー「あなたの州の方率では、奴隷制度は認められているのですか。」
ヤング「われわれの法律は印刷されております。お望みなら、あなたご自身でそれを読むことができます。もしも奴隷所有者がユタ準州に越してきたなら、われわれは奴隷が所有者から逃亡することをけっして赦しません(31)。」

 このグリーリーの訪問が架空の物語でないことは、モルモン教徒の歴史家による著書に引用されていることからもわかる。その著書によれば、この時ホーレス・グリーリーは、モルモン教徒が奴隷制度にたいして少しも反対している様子がないことに驚いたようである。

 「グリーリー氏は、ソルトレーク・シティーでは奴隷制度に反対する精神がみられないことに少なからぬ失望を隠しきれなかった。そこでグリーリーは、彼のために開かれた晩餐の席上でつぎのように語り、憤慨をあらわんした。『今晩、私は、あなたがたモルモン教徒の口から、わが国の国家的犯罪であり恥である、件の奴隷制度のことについて、ひとことの非難の声すら聞くことができなかったし、また今までも聞いたためしがない。
 ・・・モルモン教徒のこの頑固なまでの沈黙、この人ごとのような無関心は、あなたがたの信仰やモラルが何の意味ももたないということを表わしているし、あるいは信仰やモラルがあなたがたにあってはさほど重要ではないと、私には思われる。(32)』」

 ここまでスミスやヤングの教えや考え方をたどってきた。スミスもヤングもともに奴隷制度を当然のことと考え、奴隷制度を支持し、肯定し、絶対化してきた。ユタ定住後は、モルモン教徒のあいだに奴隷所有者も出現した。モルモン教会は奴隷制度を非難することもなく、むしろ自分達の制度として取り入れた。また奴隷制度に反対の声をあげる物たちにたいしては反感をあらわにし、悪口雑言をはいた。これらの指導者たちは「ニグロにたいする偏見をおおっぴらにすることにより、世間の関心をかった」人々だったのである。そしてこれらモルモン指導者たちの人種主義的思想と黒人差別の態度は、彼らが呼吸していたアメリカの空気と一致こそすれ、けっしてモルモン教に特異なものではなかったのである。その後アメリカ社会がしだいに黒人にたいする差別を撤廃していく方向をたどるのに反し、モルモン教会はその後もながい間、人種主義的思想と黒人差別の態度を変更することはなかったのである。

(29) The Millenial Star, Vol. 25, p.787
(30) Journal of Discourses, Vol. 2, pp.172, 184, Vol. 7, p.290, Vol. 4. p.40
(31) A. L. Neff, History of Utah, p.618, cited from Mormons and Nigroes by Jerald and Sandra Tanner, Utah Lighthouse Ministry, 1970, p.38
(32) B. H. Roberts ed., Comprehensive History of the Church, Salt Lake City, Deseret Book Company, 1930, Vol. 4, p.533


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