高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


W モルモン教と黒人問題−
ジョセフ・スミスと奴隷制度


 奴隷制度に関係するもっとも古いスミスの文書は一八三六年のものである。ニューヨーク州からオハイオ州カートランドに移ってきたのが一八三一年、諸般の事情でミズーリー州へ脱出したのが一八三八年の春であるから、このスミスの文書はミズーリーに移動する二年前のものである。さて記録に残されている文面から判断すれば、この時点ではジョセフ・スミスは奴隷の解放ではなく、奴隷制度を支持していたことがわかる。その年、スミスは"Messenger and Advocate"に手紙を書き、その中で奴隷制度廃止論を攻撃し、奴隷制度に賛成の意を表している。

「拝啓
 つい最近、ここ(カートランド)に、奴隷制度廃止論者と呼ばれる人々の立場を弁護するひとりの紳士が訪れた。健全な考えをもつ者たちもこの男の話を聴きにでかけ、彼に自由に喋らせているので、すっかりまるめこまれるのではないかと危惧している次第である。福音を信ずる者のなかにも、同じ信仰をもつ南部の住人にたいして批判をし、南部人が奴隷制度を放棄しなければ友好関係を断ち切るべきであり、批判をさらに強めるべきであると考えるものがすくなくない…南部にたいして批判的なものが、南部の平和な社会を乱したり、わがアメリカの命運を左右したり、純真さや徳という人類の神聖なモラルを喪失するほどまでに、自らの考え方に凝り固まりはしないかと心配である…
 北部人が南部人にたいし奴隷を所有すべきではないという権利はないし、南部人が北部の人問にたいし奴隷を持つべきだという権利もないと私は思う…自由州に住む人々が奴隷制度反対の書類にサインをしているのをよく見かけるが、私の考えでは、そういう行為は南部に強大な軍隊を派遣したり、南部は敵だと宣言することと同じではないだろうか。われわれの調和を破壊するものは一体何なのか・・・南部にたいして批判の声をあげるものは、早晩、私にたいしても、私が思いやりに欠ける無情で冷酷な人間であり、キリストの福音をまったく解さないやからであると非難するに違いない…
 奴隷の所有に関する最初の記述は聖書にある…したがってそういう〔奴隷制度廃止という〕主張が神の御旨に反している以上、ハムの子孫〔黒人〕を奴隷として使用しているという理由で南部を批判する者らは、エホヴァの御旨にさからう恥ずべき人間として永遠に記憶されるであろう。
 私ははっきりいっておく。カナーンの子孫〔黒人〕にたいする呪いは、いまだ解かれてはいないし、偉大な〔神の〕カがこのことを実現しないかぎり、今後もこの呪いが解かれることはないであろう。したがってこのことに関しては、神の目的に干渉しないことこそ神のとがめを受けない道なのである。そういうわけで、奴隷制度に反対するものは、神に対立し神の命令に逆らうものであり、いずれ自分の愚かさ加減を知るであろう。神は人問の助力のあるなしにかかわらず、御自分の業を遂行なさるのである……(20)」。

 この記事から、スミスの考え方をかなり正確に理解できよう。すなわち、(1)奴隷制度そのものに関しては、これは神のつくられた神聖な制度である。(2)現実に存在する奴隷制度については、これが神聖な制度である以上、人問にはいかんともしがたく、この制度に反対することは神の秩序を乱す浅薄な、また無信仰の行為である。(3)したがって奴隷制度をおしすすめている南部を批判することは、的外れであるばかりか、神にたいする冒涜的な行為である。(4)黒人については、旧約聖書(ノア)の時代から神の呪いの下にあり、このことは人問の力では解決できないことである。(5)したがって黒人は、神自らがその呪いを解くまでは、奴隷という身分に甘んじるべきであり、奴隷制度は黒人にふさわしい制度である。スミスはこのように主張しているのである。

 スミスは奴隷解放論者ではなかった。それどころか奴隷制度を擁護し、奴隷制度を続ける南部を公然と支持していたのである。このことは他の指導者たちもほぼ同様だったのではないだろうか。因みにこうした考え方は、スミス独自のものでもないし、モルモン教に独自の思想だったわけでもない。これは当時のアメリカに普遍的に存在した偏見であり、反黒人思想だったのである。

 モルモン教の形成に、スミスの思想や生き方が決定的な影響を及ぼしてきた。スミスはモルモン教の創始者であり、信徒たちからは生ける神の預言者と信じられ、信徒にたいしてはほとんど絶対的な権力と権威を保持していたからである。多くの研究者は、スミスとブリガム.ヤングを典型的な宗教的カリスマであり、モルモン教という集団における独裁者とみている。したがってこの二人の指導者がモルモン教の性格と運命を決定したという指摘は正しい。ところでスミスの記事が載せられた同じ新聞に、匿名の興味深い記事が載っているので紹介する。

 「北部で盛んに行われている〔奴隷制度廃止という〕議論から、奴隷は一体どんな利益をうるというのであろうか。北部の人間が南部人の財産にたいして干渉する権利がないことは明らかである。同様に南部人も、奴隷を持つべきだとか持つべきでないなどという権利はない。
 南部の奴隷が解放されたらよいなどと願う人問の良識は、一体どこにいってしまったのであろう…奴隷の解放は、健全な社会が崩壊しないかぎり起こりえないのである。しかし黒人を南部から解放したと仮定してみよう。そういう事態になったなら、われわれの町は、自分たちに必要なものさえどのように手にいれるかも知らず、読み書きもできない無教育で、目先のことしか考えられない貧しい黒人の群れによって踏みにじられ、たまたま道で見つかったすべての女の貞操は危険にさらされ、刑務所は満ちあふれるのがおちである。これが奴隷州を旅行した理性ある人問が認める心配点である。だから武装を解除し、これら堕落した、しかも人を堕落させるカナーンの息子たちを家に招きいれ、われわれの所有するものを自由にさせてみたまえ。われわれからすれぱこのような状態は堪えがたいもので、考えただけで身の毛がよだち、心臓が煮えくり返るのである。…〔奴隷の〕解放はわが政府の破滅である。また黒人との通婚という事態は考えただけでおぞましい。−我々の白い肌をした娘、姉妹、あるいは愛する妻がニグロの腕の中にいるという状態を一瞬たりとも許すことがあれぱ、頭のなかはまっ白になり、心臓は凍てつくのである。
 奴隷という状態についての聖書の記述には、不思議な神秘さがある。ハムの第四子〔黒人〕はノアの呪いをうけたが、…いつその呪いが解かれるかは我々にはわからない。そして神の変更の手が加えられるまで、彼が置かれている状態に今後もそのまま留まるのである。彼の〔奴隷という〕運命は、今の政府が続くかぎり、この国と必然的に結びついているのである(21)」。

 当時の人々が黒人に抱いていた恐怖心とか偏見を、モルモン教徒ももっていたということを、この匿名の記事ほど明瞭にしめしている文書もめずらしい。いずれにせよ明らかなことは、モルモンの指導者が当時のアメリカの一般大衆と同様、黒人にたいし恐怖心を抱き、黒人との通婚をおぞましく思い、黒人奴隷が解放されることにたいして危倶の念をいだき、したがって奴隷制度の維持を積極的に支持していた、そういう姿である。つまりモルモン教の黒人にたいする意識は、当時の社会が抱いていた偏見や反黒人感情と同一レベルのものであり、それを超えるものではなかったということである。

 次に問題になることは、一八三六年以降、スミスの考え方に変化があったかどうかである。一八三八年、スミスはモルモン教会にたいしてしばしば向けられた質問に答えて、こう語っている。

質問「第十二、モルモン教徒は奴隷制度廃止論者ですか」。
スミス「否。人々を牧師や司祭の手から解放しないかぎり、また牧師や司祭をサタンの力から解放しな いかぎり奴隷制度の廃止を考えるべきではない。われわれモルモン教徒は、ニク^ロは解放されるべきであるとは考えていない(22)」。

 スミスは晩年に大統領選挙に出馬し、そのキャンペーン中に、一八五〇年までに奴隷制度が廃止されるべきことを訴えたという主張がある。しかしスミスの晩年にはその主張に反する発言もある。たとえば一八四三年一月二日付けで、スミスの次のような言葉が記録されている。「ニグロをどうすべきかについて私の考えを述べるなら、私なら厳しい法律をつくり、ニグロをニグロという人種の枠からはみ出ないよう閉じこめておきたい。そして彼らをひとつの国に住まわせるのがよい」。

 このようにみてくるとジョセフ・スミスは、その晩年には奴隷の解放を唱えたかもしれないが、基本的には人種主義者であったということに落ちつく。

(20) Messenger and Advocate, April 1836, vol. 2, pp. 295-6
(21) Messenger and Advocate, vol. 2, pp. 299-301.
(22) B. H. Roberts ed., History of the Church of Jesus Christ of LatterDay Saints. Vol. 3, p. 29.
(23) B. H. Roberts ed., op. cit., Vol. 5, p.218


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