高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


W モルモン教と黒人問題
−差別の思想とその根拠


 モルモン教の黒人観の根底には、人種主義的思想と論理がある。その思想と論理は大別すると二点にまとめることができる。(1) 神の呪詛、および (2) 霊魂先在説(10)である。しかもこの二つの思想は、モルモン教の中核的教理と深くかかわる思想であり、便宜的な教えではけっしてない。

(1) 神の呪詛

 黒人はカインの末裔であり、その黒い皮膚は神の呪詛のしるしであるとする考えは、十九世紀のアメリカにはひろく存在していた。しかしモルモン教に特異な点は、民衆の考えや感情を基礎にして、黒人にたいする神の呪詛という思想を確立したことである。しかも黒人にたいする神の呪詛という思想は、時代とともにさまざまに変化しつつ発展する。また、神に呪われている黒人を、神の祝福にあずかる白人から区別し差別するシステムがモルモン教会のなかに確立していく。それが神権とよばれるリーダーシップへの道である。白人男性なら十二歳になるとかならず与えられる神権が、黒人には閉ざされているため、黒人はたんなる会員以上になることはできない。モルモン教の神は人種主義者であり、黒人の運命はこの世でも来るべき世でも白人の僕たる身分である。黒人が救済されるとすればそれはもっとも最後のことであると教えられている。

 黒人にたいする神の呪詛という思想の萌芽は、ジョセフ・スミスの著書『モルモン経』『アブラハムの書』のなかに見出すことができる。モルモン教の人種主義は、モルモン教の教理とわかちがたく結びついているが、それもそのはずで、モルモン教の正典が人種主義的正典だからである。正典のなかで奴隷制度が肯定されているからではなく、いわば奴隷制度を肯定し、支持し、制度化するモルモン神学とでもいうべき、人種主義的教理をその正典のなかに見出すからである。

 『モルモン経』は、文化人類学的視点から読めば、皮膚の色の違い、すなわち人種の違いを説明する起源神話である。『モルモン経』によれば「モルモンの祖先は信仰深く正しいニーファイの子孫であり、褐色の肌のアメリカ・インディアンは、白人ニーファイの兄弟で、神を信ぜず行いの悪いレーマンの子孫である。いっぽう、黒人はアベル殺しの弟カインの末裔であり、神の怒りと呪いのもとにあるという。つまり『モルモン経』は皮膚の色の違いを説明する起源神話であり、人種主義的神話である。だいじな点は皮膚の色と信仰の優劣、つまりモルモン教にあっては人間の優劣が結合されている点である。インディアンや黒人の黒い肌は、信仰的また道徳的劣性の証拠であり、神の怒りと呪いの象徴である・・モルモン教では・・皮膚の色が黒いものほど神からの救いに遠いものである・・つまりモルモン教は白人宗教なのである」(11)。白い皮膚が神からの祝福であり、黒い皮膚が神からの呪いである宗教からは、奴隷制度肯定論が生まれることはあっても、奴隷制度に反対し、人種の平等をかかげる思想がでてくる必然性がない。

 もうひとつの正典は『アブラハムの書』である。これは現在『高価な真珠』に収められている。この『アブラハムの書』は、ジョセフ・スミスが一八三五年に偶然購入したもので、ジョセフがそのパピルスを翻訳したということになっている。(ジョセフの説明によれば、そのパピルスは約四千年前にアブラハムの手によって書かれたものだという。その後、このパピルスは数人のエジプト学者によって解読され、エジプトの神々の埋葬に関するものであることが判明している。筆者注)。『アブラハムの書』は今日にいたるまでモルモン教の正典の一部として扱われてきている。

 「ファラオは正しい人であったので・・かつて最初の族長たちによりうちたてられた秩序(制度)に近づこうと熱心に努力した・・その秩序(制度)とはアダムの支配の秩序であり、またノアの支配の秩序であった。ノアはファラオの祖先であり、ファラオを地上のあらゆる祝福と、知恵のあらゆる祝福をもって祝福したが、しかし神権についてはファラオを呪ったのである。さてファラオ〔エジプト人=黒人、著者注〕は神権を受けることのできない血統であったが・・」(12)

 『アブラハムの書』によればエジプト人が黒人だといっているのであるが、それはともかく、モルモンの指導者たちは、黒人が呪われたしるしとして黒い皮膚をもつと説明し、それゆえ神権をもつことができないし、教会では同等に扱われることはないと主張してきたが、じつはその原因はすべて『アブラハムの書』に由来しているのである。第九代大管長デイヴィッド・マッケイはこのように語っていた。

 「ニグロにたいして神権を否定する根拠は、『アブラハムの書』をおいて他のいかなる正典にもない。しかし私の考えでは〔黒人を差別する〕真の理由は、われわれの誕生以前の存在にまでさかのぼらなければけっして明らかにならないのである」(13)

 マッケイが言及する「・・誕生以前の存在・・」とは霊魂先在説をさす。これはもっぱら指導者たちによって語られた説話で、モルモン教の正典のなかには含まれていないが、重要な教えである。

(2) 霊魂先在説 

 モルモン教の霊魂先在説を理解するには、ヒンズー教のカースト制度を想起するのが近道である。周知のように、ヒンズー教はカースト制度を合理化するためにカルマ〔業〕の思想を発明した。社会的、経済的特権から作為的、意図的に除外された人々は、われわれは知的にも道徳的にも劣ってはいないと抗議する。そのため特権階級であるブラーマンは、輪廻の思想とすべての生けるものには霊魂が宿るという教えを考案した。前世における霊魂の罪と責任が問題にされ、かりに前世における生き方が欲に満ちたものであれば、そのメリットに応じて、あるいはその責任をとらされて、より下級の生き物へと転生するのである。すなわちカルマによって決定されたのだと説明された。ヒンズー教には霊魂の功罪と、霊魂の秩序(優劣の差)および賞罰の思想がある。モルモン教の霊魂先在説はこれときわめて似た教えである。しかしモルモン教の指導者ブルース・マコンキーによれば、共産圏やインドのカースト制度は人間によってつくられたものだが、モルモン教のカースト制度はもともと福音に由来しているから、神聖な制度であると主張していた(14)

 モルモン教の場合、その主要な関心事は人種の優劣である。モルモン教は、人間はその誕生に先立ち、すでに霊魂として存在していると教える。霊魂は神々の子どもである。神々は多くの妻を持ち、つぎつぎに子どもを誕生させている。神々の子たる霊魂は、その罪やメリットに応じて黒人として誕生したり、あるいは白人に誕生する。たとえばジョセフ・スミスはこう教えていた。霊魂は先在する。霊魂は神への信仰と神の定めにたいする忠誠の度合いに応じて、別々の人種となって生まれてくる。神に忠実な霊魂は白人として生まれ、不忠実な霊魂は有色人種として生まれてくる。神にたいしてもっとも忠実な、選り抜きの霊魂がモルモン教徒として生まれ、もっとも不誠実で、もっとも神に嫌われた人種が黒人である。この両極のあいだにさまざまな人種が存在する。

 では霊魂の功罪とは何か。霊魂に功罪があるのはなぜなのか。モルモン教は、これに二つの説明を与えている。ひとつは知性である。知性の高い霊魂は白人として誕生し、知性が低ければ黒人になる。十九世紀のモルモン教は、複雑な人種の違いを考えてはいない。もうひとつの説明は天国における戦いの物語である。天国では反逆があり、二つの霊魂が闘っているが、そのいずれにも参加しない無関心で臆病な霊魂がいるという。この第三者的、無関心をよそおう霊魂こそが、道徳的、知的に劣等で価値のない霊魂であり、黒人として誕生する霊魂なのだと説明する。そしてもっとも道徳的、知的に優れた霊魂は、モルモン教徒として誕生すると説明する。

 このようにモルモン教は一種のカルマの思想をもち、人間の優劣を前世における霊魂の問題として議論する。そしてモルモンを特権階級として、また黒人を奴隷階級として位置づけることからわかるように、これは人種主義の論理なのである。

(10)Lowry Nelson, The Nation, May 24, 1952, p.488
(11)高橋弘「アメリカの新宗教−モルモン教の実像−」淑徳短期大学研究紀要第31号、5頁
(12)Book of Abraham, Pearl of Great Price, 1:21-26
(13)J. J. Stewart and W. E. Berrett, op cite., Part 2, p.19
(14)Bruce R. McConkie, Mormon Doctrine, 1958 Edition, Bookcraft, Salt Lake City, pp.107-8


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