高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


W モルモン教と黒人問題−序


 アメリカにおける黒人差別撤廃の運動は、すでに四○年代から次第に活発になるが、公民権運動、というかたちで全米を巻きこむ運動に展開するのは六○年代である。人種差別撤廃のための活動は、多大な犠牲を伴いつつ、まずローズヴェルト大統領による大統領行政命令第八八○号が発令され、防衛産業や政府機関で雇用の平等を図り、そのための監視システムも作られた。その後、トルーマン大統領は人種差別撤廃をめざす公民権を発足させ、軍内部の人種差別を禁止した。連邦レベルのこうした動きに連動して、州法による雇用の人種差別を禁止する措置がとられ、黒人の雇用、投票権、教育の差別撤廃などの動きとなって表れてくる。六○年代に入ってから公民権運動は勢いをまし、ケネディー政権などを背景として、マーチン・ルサー・キング牧師をはじめとする多くの勇気ある人々により推進されていくことになるのである。

 いっぽう、公民権運動などの人種差別撤廃の動きにたいして、これを警戒し、これに対抗する活動があったことも周知の事実である。秘密結社・クー・クラックス・クランのような過激で極端な反動的グループは別にしても、この反黒人、反公民権運動の一翼を担ったのが保守的な宗教グループであり、そのなかで、もモルモン教会は、もっとも厳格な反黒人思想をもち、人種統合にたいして最後まで執拗に抵抗を試みたアメリカ最大の宗教グループであったが、この事実は意外と知られていないこうしたモルモン教の徹底した反黒人思想のゆえに、公民権法が成立し、連邦政府による法の執行が行われるにつれ、行き場を失った各地の「分離主義」を主張する人種主義者、とく南部の人種主義者は、人種主義の最後の砦ともいうべきモルモン教に大挙して入信することになった(1)。

 六〇年代は、アメリカのジャーナリズムもモルモン教の人種主義にたいして改めて注意を払った時期である。ロサンゼルス・タイムズ紙はモルモン教を「反公民権運動の砦」と呼び、黒人にたいする骨の髄までしみ込んだモルモン教徒の差別意識が、モルモン教会内部のみならずアメリカ社会一との関わりにおいても、火急の課題であると報じた(2)。ナショナル・オブザーヴァー紙は、モルモン教会は黒人を正規の会員としては受けいれず、南部諸州と同様、黒人をいわば二級市氏として位置づけていると述べた。

 「モルモン教徒は一八九〇年に多妻婚を放棄した。そして間もなく昔から続いているもう一つの政策−モルモン教会のリーダーシップから黒人を閉め出すこと−を放棄するであろう。
・・・モルモン教の教団トップは、今日、黒人問題について検討中であるという。人種間の緊張が高まっている現在、当教団の黒人にたいする差別的態度をすべてのモルモン教徒が喜んでいるわけではない。
・・・黒人は(モルモン教会では)単なる会員以上にはなれず、神権保持者にはなれない。モルモン教会は十二歳以上のすべての男性を教会の神権一リーダーシップ)に加えているから、黒人にたいするこの禁止措置は黒人を二級の地位に甘んじさせることである(3)」

 アリゾナ・スター紙は、全米黒人地位向上協会の黒人リーダーの意見を掲載したが、そのなかで彼はモルモン教の本拠地、ユタ州の状況を次のように語る。

 「少なくとも黒人リーダー、チャールズ・ネイバーズ(Charles Nabors)氏は『アメリカのなかでもっとも根深い黒人差別があるという意味で、ユタ州こそ最悪の人種問題を抱えている』という。ネイバーズ氏は全米黒人向上協会・ユタ州支部の執行委員の一人である。『百万人の人口をかかえる州が、その社会的、経済的、政治的構造のなかに少なくとも五千人の黒人を、キリスト教的、民主的、かつ文明化された方法で包含できなければ、その州は完全に憂慮すべき状態にある』と、彼はいう。
 しかしユタ州在住の黒人は、黒人差別のうらには宗教的教理があるという(4)」。

 ジャーナリスト、ウォレス・ターナー氏も、モルモン教会が直面するもっとも深刻な問題は黒人問題だという。

 「漆黒の黒人でも百パーセント神権が保障される人がいる〔中南米、南太平洋諸島に住む黒人のこと。筆者注〕いっぽう、紺碧の目、ブロンドの髪をした白人でも、遠い祖先にニグロがいるという理由で神権が阻止されている。神権がなければリーダーとしての地位は与えられない…モルモン教の神学を調べると、黒人差別は人種に根拠を置いていることがわかる…。
 モルモン教会は人種差別を行っている。それは米国全土にみられる人種差別に追従するものである。アメリカは今日、黒人への偏見をもつさまざまな組織の有害な影響を克服するために苦闘中である。人種差別の哲学はまったく非アメリカ的である。それは人間は人種によって差別されることはないというアメリカの信念に対立する。
 モルモン教会が人種主義的慣行を続けるかぎり、それは政治的、社会的ガンである。今日、黒人による生活改善のための止むにやまれぬ要望にたいするモルモンの反応は、無関心、無感覚、苛立ち、独善的自己満足であり、モルモンの土地に住みたがる黒人はほとんどいない。
 ・・・じっさい、モルモン教会は人種主義的偏狭の害悪をながす合衆国最大のグループ、組織である。モルモンの宣教師がジョセフ・スミスの福音をもたらしたところはどこでも、偏狭な人種主義を推進する何世代にもわたる勢力が存在する・・・(5)」。

 ターナー氏は、黒人差別廃止をはばみ、公民権運動を阻止し、そればかりか人種主義的勢力を増殖させている癌のような存在としてモルモン教会を理解せざるをえない、と言っているのである。公民権運動が全国的広がりをみせていた六〇年代当時、米国・内務省長官であったスチュアート・ユードル氏は、次のような手紙をしたためた。

 「批判的連中がわれわれの教会の『反黒人教理』と呼ぶものに、国民の注目が集まることは避けがたいことです。国中の関心が高まれば、人々の注目もわれわれの教会に集中するでしょう。モルモン教徒が当然と考える神の呪誼という教理は、今日のキリスト教諸教会や社会思潮の潮流とまっこうからぶつかるからです。
 この黒人差別の教理の根拠について、モルモン教会が外からの執拗な追及からのがれることはできないでしょう。モルモン教徒は、すべての人を兄弟と規定し、すべての市民に平等な権利を保障するアメリカ憲法を遵守しているかどうか吟味されることになるし、この差別の教理はかっこうの非難や攻撃材料を相手に与えることになるでしょう。
 この問題は解決されねばなりません。……なぜならわれわれは誤っているからです。この問題は、過去に解決しておくべき問題ではなかったでしょうか。もしもこのことに失敗すれば、モルモン信仰の品位をいやしめ、若い人々の心とモラルを傷つけ、われわれのキリスト教倫理をそこなうでしょう……。
 黒人を拒絶する教理や慣行に執着することが、モルモン教の本質をゆがめたり、身動きのとれないものにしまいかと心配です。われわれは黒人の兄弟たちの権利と尊厳を侵害しています。そのためわれわれは罪悪感をもたざるをえません…
 ほぼ百年にわたる迫害を経験し、またかつて賎民であったわれわれモルモン教徒が、アメリカ社会から徹底した差別をうけている人々の重荷を取り除くことにたいし、さいごまで反対しているという事実は、何という皮肉なことでありましょう(6)。」

 ユードル氏の論調は、政治的色彩の濃いものである。人種主義的政策は、外部からの非難と圧力をモルモン教会にもたらし、そのため、モルモン教が不当に扱われたり誤解されたりするだろうから、この政策は得策ではないという。また彼は、人種主義がモルモン教の癌となり、モルモン教そのものを崩壊させるかもしれないと主張しているのである。ユードル氏はモルモン教徒であるにもかかわらず、教会の伝統的な立場である人種主義にたいして批判的である。しかし同氏の手紙がモルモン教の専門誌に掲載されると、モルモン教内部からはユードル氏にたいする賛同の意見とともに非難や批判もよせられ、当時のユタ州の新聞や雑誌の紙面をにぎわせた。

 モルモン教会の公的立場を知る手がかりのひとつは、教会の機関誌である。たとえば「ミレニアル・スター」は、主要な教理の一部でも否定されればモルモン教は無効になるのだという主張をかかげ、教理の変更はありえないという立場を打ち出している(7)。また教会の立場を弁護する研究者の一人、ジョン.スチュアートは、「預言者スミスの教えは、教え全体が正しいものであり、その一部をとり消し、これは正しい、これは誤りであるとすることは、信仰という建物全体を危うくするものであり、そういうことはありえない」と主張した(8)。

 しかし、モルモン教会を正式に代表するのは教団トップの指導者である。戦後最大の指導者とみなされているエズラ・タフト・ベンソンは(彼はアイゼンハワー政権の農務長官を務め、その後ブリガム・ヤング大学の学長となり、八○年代には大管長としてモルモン教会を指導するアメリカでは著名な人物である。筆者注)、早くも六〇年代から教会のスポークスマンとして活躍していた。六〇年代、ベンソンは公民権運動を批判し、南部における公民権運動は、何から何まで共産主義者の策略であり、公民権運動全体がくわせものであると語り、それまでの黒人差別の立場を堅持した。彼はモルモン教会の総会で指導者たちにたいし、公民権運動は共産主義者のしわざであるからそれに騙されてはならず、もしもモルモン教の指導者たちが信仰にかたく立ち、為すぺきことをなすな)ら、アメリカを救うことができるのだと注意を与えた(9)。

(1) Jan Shipps, "Second-class Saints,"The Colorado Quarterly Autumn, 1962, p. 1892.
(2) Los Angeles Times, August 27, 1967.
(3) The National Observer, June 17, 1963.
(4) Arizona Star, Oct. 27, 1963.
(5) Wallace Turner, The Mormon Establishment. Houghton Mifflin, Boston, 1966, pp 218-9, 228-9,244.
(6) Stewart Udall, Dialogue : A Journal of Mormon Thought. Summer 1967, p. 5-6.
(7) The Millennial Star, October 28, 1865.
(8) John J. Stewart and William E. Berrett, Mormonism and the Negro. Bookmark, 1960 p. 19.
(9) Deseret News, Dec. 14, 1963, Salt Lake Tribune, April 7, 1965.


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