高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


V モルモン内部の歴史論争 − 論争の始まり


 筆者の手もとに「モルモンの歴史家であることについて」という、モルモンの若手研究家によっ書かれた論文がある。著者は当時、ブリガム・ヤング大学歴史学準教授、マイケル・クイン氏である。この論文はもともとモルモン教会の「学生歴史研究会」のために用意され、一九八一年秋、同研究会で講演されたものであるが、画期的な講演である。

 マイケル・クインの母は七代目のモルモン教徒で、父はメキシコ系アメリカ人でカトリックである。早熟だったクインは早くから信仰の問題に直面し、さまざまな書物を読み耽るが、後日、医師になる夢も文学研究にうちこむ夢もすて、ついにモルモン教の歴史研究に方向転換し、イエール大学にて博士号をえた新進気鋭の学徒である。歴史学の方法を用いて、世間の批判にたえうるモルモン教の歴史を世に問いたいと願っていたクインをはじめとする若手の研究家は、モルモン教会のトップ指導者から予想だにしなかった手厳しい批判をうけることになる。クインが目指す歴史研究は特殊な研究ではなく、より客観的で偏りのない歴史研究である。しかしこれが教会当局からは、問題のある研究とされたのである。そこでまずクイン講演( 以下便宜上、論文と記す) のすじを追いながら、クインが代表する若手研究家とモルモンのトップ指導者との考え方の違い、主張の違いをみていくことにしたい。

 さて、クインによればこうである。モルモンの歴史家は過去半世紀のあいだ、一般の大学や研究機関で訓練をうけ、その間、モルモン教の歴史を論文、著書をつうじて精力的に世に問うてきた。しかしごく最近になってから、モルモン教会の著名な指導者たちが、これらの研究があまりに学問的すぎると批判しはじめたのである。教会当局の批判の背後には、歴史ルネッサンスとでもいうべき現象がある。米国および世界の国々で、モルモン教への改宗者がいちじるしく増加するにつれ、信徒の中からモルモン教会の過去の歴史にたいする関心が高まってきた。そうした関心の高まりがいろいろな形となって現れる。

 たとえば一九六五年、「モルモン歴史協会」(Mormon History Association)が設立され、研究発表の場として、年に一度の大会が開かれており、今日 (一九八一年現在) 一〇〇〇人以上の会員を擁している。一九六六年から、歴史解釈に重点を置いた "Dialogue: A Journal of Mormon Thought"が刊行されている。歴史中心の専門誌「ブリガム・ヤング大学研究」は一九六九年以降、モルモン教会の歴史をその中心テーマにしている。一九六〇年代末から、モルモン教会の公認「教会史家」ジョセフ・フィールディング・スミスの方針で、「モルモン教会アーカイブズ」が一般の研究者に開放されるようになる。この方針は、彼の後継者である「教会史家」ハワード・ハンターに引き継がれ、一九七二年、大管長会による異例の抜擢で後任の「教会史家」のポストには、専門の歴史家レナード・アリントンが就任する。一九七四年には、歴史専門のジャーナル "Journal of Mormon History"誌が誕生する。一九七七年には "Sunstone" 誌が誕生。このように雑誌、研究誌が続々と発刊されていった。また一九七二年から一九八〇年の間、モルモンの歴史家や研究者により学術的著書や論文が矢つぎばやに刊行された。しかもこうした雑誌や論文が、モルモン教徒のあいだで広く読まれるようになったのである。


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