高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 5 ノーヴー時代

ウィリアム・ロウと内部分裂


 「私は、外の敵からの危険より、われわれの中の裏切り者による重大な危険にさらされている。・・われわれのただ中にユダがいる・・」(61) 

 ウィリアム・ロウは、一八三六年にカナダでモルモン教に改宗し、一八三九年にノーヴーに移住してきた資産家である。彼は早くも一八四一年、ジョセフの信頼をうけてカウンセラー(副管長)に抜擢されている。ちょうどジョン・ベネットが教団第二の地位を獲得した頃、ロウは(第三の実力者ハイラム・スミスにつぐ)第四の地位を獲得したのである。ベネットがいわばプレイボーイであったのに反し、ロウは堅実な実業家であり、不動産や建物などに投資を行い、ノーヴー市が必要としていた産業化にもっとも貢献した人物である。またロウは誠実で実直な人柄であったから、ジョセフからの絶大な信頼をうけていたといわれている。

 しかしジョセフとロウの間には、土地の取引にかかわる利害の対立があった。ジョセフはノーヴー市付近の土地取引についての独占権を主張し、その土地に新しく移住してきた信徒の土地売買にかんしては彼の承認を要求し、この要求に服さないものは破門すると脅していた。ロウは資産家であり土地への投資を行っていたが、ジョセフに有利な取引しか認可されなかったことに不満を抱いていた。またロウの実業家としての眼からみれば、ジョセフのビジネスの進め方については疑問な点が多く、ロウは投資を中止したこともある。実際、ジョセフの土地取引が杜撰なものであったことは、ジョセフの死後明らかになる。購入したはずの土地が正規に登録されていず、そのため土地を放棄しなければならなかったモルモン教徒の数は少なくなかったのである。

 ジョセフはモルモン神殿とホテルの建設への投資を呼びかけていたが、ロウの判断では、市民の住居が不足しているあいだは神殿やホテルの建設が順調にいくはずはなかった。信徒たちの献金とたゆまぬ労働にもかかわらず、神殿建設は思うように進まなかったし、寄付と株金が集まったにもかかわらずホテルの建設はいっこうにはかどらなかった。ロウの推測では、ジョセフは神殿やホテルのために集まった資金を流用し、土地の投機をおこない、かなりの収益をあげているとみていた。

 ともかくロウをはじめとする実業家の信徒たちは、ジョセフの独裁下で経済活動においてゆきづまりを感じていた。そのような状況下で、実業家としてのロウは、材木を購入し、それで家屋や商店を建売するというビジネスを始めた。ロウは労働にたいしては即金で支払ったため職人たちが喜んで働いたという。というのもモルモン神殿の建設は、信徒の奉仕が原則であったし、労働と認められた場合でも手形で支払われ、いつ現金を手にできるのかわからない状態だったからである。このためロウのもとには職人が集まり、ジョセフのもとには職人が集まらなかったという。このようにジョセフとロウの間には、いろいろな点で利害の対立があった。 

 しかしロウとジョセフの決定的対立はビジネスをめぐる対立ではない。ロウはジョセフが憑かれたように放蕩にはしる様子を、悲しみと不審の眼でみていたのである。そしてついにジョセフがロウの妻ジェーンに接近してきたとき、ロウは大管長ジョセフと激論のすえ、ジョセフにたいしてある要求をつきつけた。それはモルモン教を腐敗させている放蕩をやめ、教会の改革をしてほしいということであった。ジョセフは必死に弁解をした。しかしロウはジョセフに、高等評議員会の前で自らの罪を告白し、悔い改めるという約束をしないなら、ジョセフがしていることを暴露すると明言したのである。これにたいしジョセフは「そんなことができるわけがない。もしも私が罪を認めるなら、モルモン教会が倒錯しているということをみすみす証明するようなものである」と語るが、ロウは「教会が倒錯していることは、すでに明らかではないだろうか」とジョセフを揶揄し、二人の対立は決定的になったのである。この後ロウは「破壊の天使たち」(モルモンの秘密警察)がロウの暗殺命令をうけたということをあるスジから聞き、一八四四年、兄ウイルソンとともにモルモン教会から去った。

 ハイラム・キムボールの場合も、彼が所有するミシシッピー河の船着き場の使用料をめぐって、ジョセフと利害の対立があった。しかしビジネス上の摩擦ばかりでなく、彼の妻セイラがジョセフのたび重なる誘惑にあっていて、キムボールの心中は穏やかではなかったのである。

 またドクター・ロバート・フォスターも、ロウやキムボールと同様の経験をしていた。彼の場合、その事業をめぐってジョセフと利害の対立があったが、フォスターをもっとも憤慨させたのは別の事件である。ある日、フォスターが予定より早く出張から帰宅すると、彼の妻とジョセフが食事をとっている場面に遭遇した。ジョセフの帰宅後、フォスターは妻にジョセフの訪問の目的を問いただした。妻が口を開かないことに業を煮やしたフォスターは、嫉妬と怒りのあまりピストルをとりだし、それを妻につきつけ、ジョセフが語ったことをすべて白状しないと撃つぞと脅した。まっ青になった妻はそれでも口を割らなかった。そこでフォスターは激怒し、ピストルを妻の手に握らせ「それでは、お前が私を撃ちなさい」と怒鳴ったら、彼の妻は気絶してしまったという。彼女は意識をとり戻したあとで、ジョセフが「天的結婚」「霊的妻」の教理をとき、彼女を執拗に誘惑したということを白状したのである。

 一八四三年七月、多妻婚の啓示は会議で承認されたが、それがただちにモルモン教会の教理になったわけではなく(公的な教理になったのはその三四年後のこと)、信徒たちにたいしてさえも多妻婚の噂はつねに否定されていた。ただし指導者が極秘に、しかし貪欲にいろいろな女性たちに手をのばすうちに、多妻婚はなかば公然とした噂となってモルモン教徒の中だけでなく、近隣の村々にも伝わっていった。ただしモルモン教徒の中にも、多妻婚を断固として拒否する者がいたのである。ドクター・フォスターは沈黙を美とせず、彼の身におこったことをいろいろなところで信徒たちに聞かせたが、ある日、その聴衆の中にジョセフのスパイがまぎれ込んでいた。ジョセフは先手をうち「ノーヴー・ネイバー紙」にこの事件をフォスターの作り話として掲載した。フォスターは裁判を要求し、裁判は一八四四年四月二〇日に決定したが、裁判の当日、フォスターが四一名の証人を用意していることを知ったジョセフは慌てて教会会議を開き、ドクター・フォスターをはじめウィリアム・ロウ、ウイルソン・ロウ、ジェーン・ロウをただちに教会から破門したのである。しかし多妻婚に異論をもつ信徒たちがロウやフォスターの周りに集まることになった。ウィリアム・マークス、オースティン・カウルズ、レナード・ソービイ、フランシス・ヒグビーなどである。

 ノーヴーに生まれたこの分裂は小さな分裂ではあったが、それはモルモン教にとって致命的なものとなるのである。多妻婚を拒否するモルモン教改革派がこの時に誕生したのである。破門された信徒たちは住むところを失ってもノーヴーを離れなかった。とくにウィリアム・ロウは、モルモン教会をなんとか改革したいという願いをもち、粘り強く、勇敢にこの事態に対処したのである。まず改革派は、ジョセフにたいし三件の告訴を起こした。フランシス・ヒグビーはジョセフを名誉毀損で告訴し、ロウはカセージの大陪審からジョセフに対する姦通と多妻婚の起訴状をえることに成功し、またフォスターもほぼロウと同様の起訴状を入手していた。

 一方、ジョセフは彼らの訴訟を軽くうけとめていた。女性たちの誘惑や多妻婚に関しては該当者しか理解できないよう記録に工夫がなされていたから、ロウやフォスターは証拠不十分で窮地に陥るはずであった。ヒグビーの名誉毀損の告訴にたいしては、ジョセフは逆にヒグビーを「タイムズ・アンド・シーズンズ」紙上で、偽証、誘惑、姦通のかどで告訴したのである。そこにはヒグビーが売春婦を買い性病をうつされたというブリガム・ヤングの証言や、さらに好色家のドクター・ベネットがその手当てをした等々が掲載されていた。この訴訟沙汰は、モルモン内部でのでき事であり、内輪もめの域をこえるものではなかった。改革派のメンバーを貶める教会指導者たちの訴えも、一種の泥試合であって、それが事実かどうかにかかわりなく、ジョセフやヤングも同じ穴のムジナであるという印象を信徒に与え、彼らの品性をおおいに損なわしめた。

(61)sermon of Joseph Smith, Dec. 29, 1843


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