高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 5 ノーヴー時代

多妻婚


 「多妻婚の教理を信じるモルモン教徒に心から言いたい。『モルモン経』の中の神の言葉と矛盾する啓示や、その啓示をうけた人間を信用するということが、私には誠に不思議でならない・・その啓示は『モルモン経』の中の神の言葉と明らかに矛盾している・・あなたがたは人間がつくった虚偽の啓示を信じているのだ・・」(49)

 モルモン教の多妻婚は興味深い問題である。この問題は多岐にわたっており、それに関する本も多数出版されているが、ここで詳しくとり上げることは不可能なので大筋を述べるにとどめたい。モルモン教と多妻婚の関係は、まず『モルモン経』の中で、多妻婚が唾棄すべき異教徒の慣習として否定されていることである。しかしモルモン教会が設立された翌年(一八三一年)ジョセフは信徒をインディアン伝道に派遣するさい、結婚しているかどうかに関係なくインディアンの娘を妻として娶るように信徒にすすめた時から、多妻婚の実験がなされたと考えられる。またジョセフ・スミスはカートランド時代に、下宿先のジョンソン家の娘ナンシー・ミランダと関係をもったが、それは一八三二、三年頃のことで、ナンシー・ミランダはまだ一七、八歳であった。おそらく彼女がジョセフの初期の多妻の一人であったことは間違いがない。また一八三五年、ジョセフはメイドとして家に住み込んでいたファニー・アルガー(当時一九歳)をひそかに妻にしている。『モルモン経』の三証人の一人で指導者だったカウドリはこの事実を知り、ジョセフを訓戒したが逆に恨みをかい、教会から追放されたのである。しかしこのことは結局、妻エマに発見され、アルガーはスミス家から追い出されている。つまり『モルモン経』という神の啓示によって公には多妻婚を否定するいっぽうで、実際には、ジョセフは啓示を無視し、多妻婚に足を踏みいれていたのである。

 多妻婚は「天的結婚」とよばれ、神からの啓示として受けいれられたのは一八四三年七月のことである。しかしそれが印刷されたのは一八五二年、『教義と聖約』の中でモルモン教の教理として確認されたのは一八七六年のことであった。それまで幾度となくモルモンの指導者、とくにジョセフの多妻婚の噂がたったが、そのたびにジョセフは公にはこれを否定してきた。しかしすでにドクター・ベネットの項で説明したように、ベネットは親友ジョセフの言動を模倣して女性たちを誘惑していた。ベネットは一八四二年に教会を追放されるが、その直接の原因は多妻婚であった。ベネットは追放されたその年にジョセフを告発する著書を公にし、そのなかで多妻婚という慣行はジョセフの邪悪な教え・行動であるとしている。ベネットは、多妻婚という教えがジョセフの不純な動機から開始されたものであることを知りつつ、それを利用していたのである。多妻婚が一八四三年七月の会議で承認されたときには、ジョセフにはすでに三〇名を超える妻がいた。

 五代目大管長ロレンゾ・スノウは、一八四三年七月以前には多妻婚は容認されていなかったと主張していた。ということは、それ以前の関係は多妻婚とは関係がないということを意味する。モルモン教会は今日、つじつまを合わせるために苦肉の策として、多妻婚の啓示は早くから受けていたのだと説明する。では指導者は多妻婚をなぜ否定し続けたのかという疑問にたいしては、それは信徒の混乱をさけるためであったと説明するのである。しかし事実、初期のモルモン教は多妻婚を不道徳、野蛮な慣行として否定しており、一八三五年の教会々議では、モルモン教の結婚は一夫一婦制であることを確認している。モルモン教の共産社会は、財産だけでなく妻たちも共有しているのではないのか、という外部からの疑問の声があったからである。実際、指導者たちが多妻婚を積極的に語りはじめるのは、一八四一年頃、ノーヴーにおいてであって、好色なドクター・ベネットの行動は、こうしたモルモン教会の様変わりと見事に一致するのである。そして一八四三年七月、ジョセフは神からの多妻婚の啓示をはじめて公にし、会議で承認されるのである。これを初めて聞く信徒たちの戸惑いはおおきく、多くの者は多妻婚をとるかモルモン教をすてるかという選択の前にたたされ、苦悩するのである。

 ジョセフは多妻婚の根拠を旧約聖書に求める。ジョセフのお気にいりはヤコブの物語であった。ヤコブにはレアとラケルの二人の妻がいたのである。しかし新約聖書の、天国には結婚はないというパウロの教えは気にいらなかったようで、モルモン教徒にはこのパウロの教えはあてはまらないとジョセフは主張した。ジョセフによれば、地上で結ばれるものは天上でも結ばれるのである。男がこの世で多くの妻をもつなら、天国でも同じである。しかも妻の数が多ければ多いほど祝福も大きいという。また女性にたいしては、結婚以外に天国に入る道はないと教え、独身の生きかたを災いであるとしたため、モルモン教徒として独身で通すことは大変な勇気が必要だったのである。またジョセフは姦淫の罪を、性的関係をもつことではなく、いったん誘惑した女性を棄てることであると定義し直した。こうした教えは、キリスト教の教えや倫理とは矛盾するものである。しかし複数の妻たちを愛した男たちの耳には、死によって離別はないという教えは心地よく、また妻を愛せない男たちには、別の妻を娶ることは罪ではないという教えは至福の教えであったに相違ない。

 モルモン教徒である歴史家フォーン・ブロディーは、モルモン教の多妻婚のルートを、世界各地にみられる男根崇拝と深く関係するとみている。またモルモン神殿の中で行われる「エンダウメント」と呼ばれる夫婦の契り(多妻婚)や家族結合の儀礼を、本質的には豊穰儀礼の一種であると考えている。事実、子どもの数が多ければ多いほど祝福された人間であるという教えや、罪を犯した人間は天において子どもの数をふやすことは出来ないとするモルモン教の罰の思想は、豊穰儀礼と深くかかわっていることを暗示している。モルモン教の「永遠の命」とは、自分の生命が子孫をつうじて未来永劫に伝播されることを意味する豊穰儀礼そのものであり、ブロディーの主張は説得力がある(50)。かつてジョセフが友人に「美しい女性を見るたびに、(神が彼女を与えてくれる)恵みを祈らずにはいられなかった」と告白したように、モルモン教の多妻婚は、男性の欲情を宗教の名によって正当化したものにほかならない。

 第二、第三の妻を娶るとき、すでに結婚している妻(たち)の許可を得なければならないという多妻婚の原則は、初期には守られたためしがない。ジョセフが複数の妻たちを娶るとき、妻エマの許可を求めたことがなかった。なぜならエマの答えは明瞭だったからである。エマは信仰深い貞節な妻で、夫ジョセフを信じて疑わなかった。したがって、エマの性格を知っていたジョセフは、こっそりといろいろな女性たちと密会を重ねつつ結婚の合意をえる一方、多妻婚(の啓示)をまったくとり合わないエマをなんとか納得させようと苦慮するのである。ジョセフの書記だったウィリアム・クレイトンの証言では、多妻婚に反対していたエマを納得させるために啓示が必要になったのである。ジョセフの行動を察知したエマは、ジョセフがこのまま破廉恥な行為を続けるならジョセフと離婚すると脅した。そこでジョセフは、表むきは誠実を装っていた。ジョセフの母ルーシーは、多妻婚に翻弄され深く苦悩するエマをみてエマの味方になった、ということが彼女の日記に記されている。しかし複数結婚の慣習が広く蔓延するにつれエマの抵抗も次第に弱まったようで、いろいろな記録には、エマが多妻婚に同意したことを伺わせる記述がある。

 指導者たちの妻の数に関するアーヴァインの研究では(51)、ジョセフ・スミスについては少なくとも六六名、ブリガム・ヤングについては五〇名以上、ヒーバー・キムボールについては四五名、ジョン・ディー・リーについては一九名ということである。初期の多妻婚は秘密のうちに行われたため、また外部の眼にさらされないよう記録に残さない努力をしたため、すべての真相を知ることはできない。

 ジョセフの場合、妻エマが多妻婚には納得しなかったので、ほかの妻たちとの共同生活は難しかった。ある女性たちは一時期ノーヴー・マンションの広い家に滞在していたことがあり、その間、物理的空間を共有したといえる程度である。しかし使徒たちや信徒たちを遠隔地の伝道に派遣しているあいだに、ジョセフは使徒たちの妻を自分の妻にしたのである(他人の妻を奪うことは、モルモン教における多妻婚の特長である)。ジョセフは六六名の妻のほかに、すでに死んでいる二二九名の女性と永遠の結婚を結んだ、とアーヴァインは述べている。これらの死んだ女性たちは生前は既婚者であったが、死んだ後にモルモン教徒が横取りしたわけである。というのも、神殿での結婚(式)のみが天国では有効であるとモルモン教会が主張するからである。

 ブリガム・ヤングの場合は、実際に一緒に住んでいた妻は二七名だといわれているが、それ以外にも同数の妻がいたといわれている。またモルモン教の独特の教えにより、ヤングは少なくとも死亡している一五〇名以上の女性たちと、永遠に結ばれるための結婚を神殿にて行っている。同じように使徒オーソン・プラットの場合、妻は一〇名しかいなかったが、すでに死者である二〇〇名の女性と永遠の結婚を行ったのである。

(49)John Whitmer, op. cit., p. 44
(50)Brodie, op. cit., p. 279 - 280
(51)Stanley S. Ivins, Notes on Mormon Polygamy, from The New Mormon History, edited by D. Michael Quinn (Salt Lake City: Signature Books, 1992) pp. 173 ff.


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