高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 5 ノーヴー時代

「神の国」という名の国家


 「信徒たちが、モルモン教に固有な腐敗をみても、彼ら自身が誤っているということを十分に納得できない場合、いったいこの事態はどういう結末を迎えるのであろうか。肥沃な西部(イリノイ州)では強力な軍事独裁制が、大規模、かつ急速にできつつあり、その影響を周囲に広げているが、周辺の人々はとてもそれに太刀打ちできるものではない。信徒たちは大勢でモルモン教の旗をかかげて軍事パレードをくり返しているが、これが周辺の人々に強い警戒心を抱かせている・・」(46)

 おそらくモルモン教にたいする、ジョン・ベネットのもっともセンセーショナルな告発は次のことである。すなわちモルモン教は、オハイオ、インディアナ、イリノイ、アイオワ、そしてミズーリー州を征服し、その廃墟の上に専制君主が支配するモルモンの軍事・宗教帝国をうちたて、その頭目、すなわち皇帝および法王としてジョセフ・スミス、その大臣・総督として使徒、監督、長老が即位する、そのような大がかりな計画をひそかに画策しているというものである。こうした計画はベネットもいうように、奇想天外でバカげた考えであり、とても真実とは思えない。にもかかわらず、このベネットの非難には核心にふれる真実が含まれている。

 ノーヴー市とモルモン教会の急激な発展、ノーヴー軍の強化、ノーヴー政府の「特許状」による独立、イリノイ政界への進出、スミスの合衆国大統領への出馬などは、モルモン教に特有な攻撃的でエネルギッシュ、かつ風変わりな性格とあいまって、ベネットによる内部告発の真実性を人々の心に焼きつけることとなった。事実、その数年後、広大なモルモン教の独立国家・モルモン帝国が西部ユタにおいて形成されたとき、アメリカ市民はかつていだいた印象が正しかったことを確認するのである。

 実際、本格的な独立国家建設の夢はここノーヴーで誕生したとされている。「神の国」という言葉は、もともとは聖書の「神の国」に由来し、初期のモルモン教の経典や手記にも多く見いだすことができる。しかしモルモン教の国家の概念、すなわち「神の国」という概念はかなり特殊で、曖昧なものである。「神の国」は教会や義なる人々、あるいはたった一人の義人、神権(祭司たること)、「心の清い者」をさすこともあり、また全世界を支配する実際の政府を意味することもある。しかしモルモン教会では、「神の国」とは一般的にモルモンの共産社会、すなわちインディペンデンスの「シオン」と、カートランド、ファーウエスト、ノーヴーの共同体を意味する。

 また、モルモン教の「神の国」は、同時代の新宗教(たとえば「ものみの塔」)同様、黙示的であり、終末思想によって彩られている。当時の言葉を用いれば、彼らが待望していたのは「千年王国」であり、暴力的手段が暗示され是認されている。つまり、神は悪人に報復するために戦争をおこし、稲妻、ひょう、雷を落とし、火と硫黄の池が悪人への報いである。こうした黙示的文学表現が字義どおりに解釈される傾向があった。また熱烈な終末信仰は、世の終わりの接近の意識を高めたし、そのためモルモン教徒はいっそう不寛容で暴力的・戦闘的になったのである。

 モルモン教会の「神の国」建設は、二段がまえでなされた。第一は、ノーヴーを独立国家とする試みである。もう一つは、いざというときのための国内・外のコロニー建設である。これが同時に検討され、いろいろな可能性が試みられた。ノーヴーに関しては、すでにみてきたように、「特許状」を利用してノーヴーを一種のミニ独立国に変え、またジョセフがすべての権威と権力を把握することにより、一種のミニ軍事独裁国家を実現した。この独立と自律をさらに確実にするために、つまりノーヴーを完全な独立国家にするために、イリノイ州の政界にモルモン教徒を進出させるいっぽう、ジョセフ自らが大統領選に出馬するのである。

 国内・外のコロニー建設も、具体的に検討されていた。イリノイでのトラブルが深刻になるにつれて、ノーヴーをすてて国内・外への移転が議論された。かつて国務長官を勤めた連邦上院議員ヘンリー・クレイは、一八三九年、モルモン教徒にたいして、問題を解決したければオレゴン(当時はメキシコ領)に移住すべきだと助言した。またイリノイ州知事をねらっていた、名誉モルモンとでもよぶべきニューヨークの弁護士ジェームズ・アーリントン・ベネットも、イリノイをあきらめてオレゴンに移住し、モルモン教徒の独立政府を樹立することをジョセフに勧めていた。しかしオレゴンのコロニー建設については、そこの開拓者のほとんどがミズーリー出身者であったことから、ジョセフはのり気ではなかったようである。

 ジョセフ自身は、当時のアメリカ全体の関心事であった領土拡大に賛成で、「明白な天命」を信じていた。またテキサス併合にも肯定的であり、テキサスのコロニー建設にも興味を示していた。当時のテキサスは、サンタ・アナ将軍が率いるメキシコ軍と開拓民との戦いが繰り広げられ、神話的人物デイヴィ・クロケットがアラモの砦を死守したという話は、このメキシコとの戦いを舞台とした話である。一八三六年、サム・ヒューストンを中心とする開拓民がメキシコ軍をやぶり、そこに「テキサス共和国」を樹立した。ジョセフはまず、ライマン・ワイトとジョージ・ミラーの両名をアイオワ、ウィスコンシンに派遣しコロニーの可能性を探らせた。またカリフォルニア、オレゴン等の西部、テキサスやその周辺の南西部、さらにはメキシコ、ブラジル、西インド諸島もコロニー建設の予定地として検討させた。こうした中でジョセフは、テキサスに関心をむけ、コロニー建設の可能性を探るため、ルシアン・ウッドワースをテキサスのサム・ヒューストンのもとへ派遣し、仮契約を締結させたのである。

(46)The New York Sun, Sep. 4, 1843


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