高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 5 ノーヴー時代

暴力の奨励


 モルモン教会の説明では、一八四四年、預言者ジョセフと兄ハイラムはカセージ刑務所に監禁されいてるとき、暴徒に襲われて殉教した。またモルモン教徒はイリノイ州の住民からの迫害をうけ、ついにはイリノイ州からも追放されたという。モルモン教徒にも多少の過失はあったかもしれないが、しかし真面目に働き、短期間で繁栄を手にしたモルモン教徒にたいして、地域住民は嫉妬し、多妻婚が引き金となって迫害に及んだのだ、と説明されている。しかしこの物語には、モルモン教徒の研究書には決して語られていない別の側面がある。

 ジョセフ・スミスは、つねに逮捕や襲撃、誘拐や迫害の恐怖にとりつかれいたので、攻撃するためというよりも、むしろ自分の身の安全を確保するため、防御のための軍隊を設置したのだという説があるが、恐怖心は人間を凶暴にするのである。事実スミスは、ノーヴー軍を教会の一部としてくみ込み、軍隊を自分の手足として使うようになるから、ノーヴー軍は私設の警察であり、軍隊だったのである。またスミスは、自分のための最強のボディー・ガードを組織し、スミスに敵対する人物をひそかに抹殺したり、暴力を用いて黙らせるのである。

 一八四二年、ミズーリー州知事リルバーン・ボッグズ暗殺未遂事件がおこった。ボッグズは幸い一命をとり留めたが、この事件は、モルモン教徒の無法者でジョセフの親友オリン・ポーター・ロックウェルが、ジョセフの命令でやった事件だと歴史家はみている。知事を暗殺してしまえば、もはや逮捕される心配がなくなるという論理である。

 ジョセフが、ミズーリー州同様イリノイ州でも、かつての「ダナイト団」のメンバーや自分のボディー・ガードを用いてジョセフの敵を抹殺していたという事実が、たとえばジョン・ディー・リーによって証言されている。リーはジョセフのボディー・ガードであり、かつての「ダナイト団」のメンバーで腕っぷしの強い無法者であった。またリーは、ヤング時代には「カウンシル・オブ・フィフティ」と呼ばれた教会の最高幹部として、また後に復活する「ダナイト団」のリーダーとして、モルモン教会のために数々の裏工作に暗躍した男である。さてリーの証言を聞いてみよう。

  「私はノーヴーで、ダナイト団によって殺害された多くの人を知っている。当時、ジョセフの敵を殺害することは至上命令だったのだ。まだノーヴーに教会があった頃、ジョセフや使徒たちの命令で、多くの人がひそかに抹殺されたのを私は知っている。
 誰であれ預言者の悪口をいう者を殺害することは、正しいことであり推奨すべきことだという教え(「血の贖罪」という教理を指す。筆者注)は、教会のすべての人に了解されていた。この教えは、著しい数の異教徒がユタにやって来るまで、厳密に守られたのである・・」(42)

またリーの証言では、ノーヴー警察がダナイト団のような働きをしていた。

  「・・警察は命じられたことは何でも実行した。その理由は問わなかった。それが正しいことかどうかは関係なかった。警察は指導者にたいしてのみ責任を負っていたからである・・私(リー)は彼らの親友であったので、彼らはあらゆる極秘の行動を話してくれた。というのも、彼らは私を通じてブリガム・ヤングにとり入ろうとしたからである・・ブリガム・ヤングの指揮下に、ホゼア・スタウトが警察署長を勤めていたのである」(43)

 この証言のすぐ後に、ノーヴー警察がある男を誘いだして殺害し、フリーメーソンのロッヂ近くに埋葬したことが、こと細かに語られている。リーが語っていることは、ノーヴー警察がモルモン教会のために、数々の殺人を実行していたということである。

 ところでホゼア・スタウトはジョセフの側近、かつボディー・ガードであり、ノーヴー警察署長、ノーヴー軍の士官を勤めた人物である。幸いホゼア・スタウトの日記が残されていて、ある程度、当時の出来事を知ることが可能である。一八四五年四月三日付の彼の日記には、次のような記述がみつかる。

  「今朝、神殿にでかけたら信徒のカフーン氏とカトラー氏にであった。彼らは昨夜、神殿でおこったでき事のことで私をよび止めた。彼らは、警察が神殿の中である男を半殺しにしたという。私は、いやいやそれでいいのだ、というのは夜神殿にいる奴は  そうしてよいと私が警察に命じておいたのだ、と彼らに語った・・とにかくこのことで、(長老)ヤングに相談することになった。でかける途中で・・ヤングがやってきたので事情を説明した。ヤングはこれを認め、さらに厳しく警備をするようにといっ た・・」(44)

 モルモン教徒の町ノーヴーは、信徒にさえ暴力をふるう一種の警察国家であったことが伺える。スタウトの日記の一八四六年一月九日には、ウィリアム・ヒィバードという男が(地域の町から遣わされた)スパイの容疑でモルモンの警察に逮捕され、スタウトの命令でこの男は後頭部を強打されて意識を失ったことが記述されている。この男は一命は取り留めたものの、意識を回復したときには自分の身に何がおこったのかわからなかったということである。独立国家を目指していた教会指導者は、モルモン教会に批判的な外部の人間にたいして露骨な敵対意識をもっていたことを伺わせる記述である。いろいろな記録をみると、ホゼア・スタウトが残忍な男であったことがわかるが、しかしスタウトのような男を操っていたジョセフ・スミスやブリガム・ヤングも、冷酷無慈悲で残忍な一面をもっていたのである。

 モルモン教の政治的野望について研究してきた歴史家クラウス・ハンセンは、モルモン教会の秘密組織である「カウンシル・オブ・フィフティ」には、ダナイト団の数人の重要メンバー(リーとか、ポーター・ロックウェルなど)が加わっていたと指摘する。一八四四年、ノーヴーではジョセフ・スミスが「ダナイト団」を復活させたという噂が流布していたが、おそらくそれは、「カウンシル・オブ・フィフティ」に属する元ダナイト団メンバーによる極秘の活動に原因があるという。またハンセンは、「カウンシル・オブ・フィフティ」が「血の贖罪」を実行していたことを指摘している。「血の贖罪」とはモルモン教独自の慣行で、棄教したものを粛清したり、指導者に従わない者を処罰し粛清する血なまぐさい教理・慣行であった。歴史家ハンセンなどの研究によれば、モルモン教の暴力はユタ定住後ますますエスカレートしていくが、ブリガム・ヤングの絶対的権力のもとで、ユタ州では多数の信徒や異教徒が組織的に粛清されたという。

(42)John D. Lee, op. cit., p. 284
(43)Ibid., p. 159
(44)On the Mormon Frontier, The Diary of Hosea Stout, Vol. I, p. 32


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