高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 5 ノーヴー時代

「特許状」をめぐる問題


 「この〔ノーヴー〕特許状はモルモン教徒に・・イリノイ州法と矛盾・抵触しない・・法令を成立させる権威を与えた・・〔しかし実際は〕この特許状により、彼らはイリノイ州法と対立する法令を成立させ、モルモン教徒のための〔独自の〕政府を樹立したのである」(40)

 一八四〇年一〇月四日、「ノーヴー市に関する議案」の草稿を作成する委員会のメンバーを選ぶモルモン教会の会議が開かれた。スミス、ベネット、及びロバート・トムプソンがその委員に選出されたが、実際にはそれ以前に、スミスとベネットが草稿を作成していたようである。というのも同日午後の会議で、ベネットが特許状の概要を説明しているからである。この会議で、何の議論もなされないまま特許状の件は承認され、ノーヴー市の将来がベネットに託されることになった。

 同年一二月、州議会にノーヴー市の特許状に関する議案が提出され、上院および下院における種々の会議にかけられた後、十分な調査がなされぬまま、同月一八日、この議案は可決された。議案通過の背景には、州議会の間スプリングフィールドにおいて、ベネットが活発にロビー活動を展開したためもあるが、何よりもこの時期は、モルモン教徒とイリノイ州の間に親和的関係があり、イリノイ州が便宜的な措置としてこの特許状を与えたという面があることも否定しがたい。

 ノーヴー市に与えられた特許状は、基本的には、一八三九年に成立したスプリングフィールド市の特許状に基づくもので、内容的にも大差のないものであった。イリノイ州議会は前例があったため、ノーヴー市にたいして特許状を安易に与えたが、このことがその後(一八四二年から特許状を取消した一八四五年まで)、イリノイ州議会の政治的大問題となるのである。

 たとえば、特許状十三条には、州法に抵触しないかぎり市の立法権を認める、というくだりがある。現実には、モルモン教会はこれを独自に解釈し、モルモン教の目的に合致するような、ほぼ独立したモルモン政府を樹立した。つまり政教分離の原則と抵触する、教会と世俗の議会・政府とが一体となったような、教会が支配する寡頭政治体制ができあがる。ノーヴー市長は、同時に市会(下級)議員であり市の裁判所長官である。つまりモルモン教会の最高指導者が、同時に、立法権、行政権、司法権を掌握することが可能なのである。しかもノーヴー市議会を構成する四名の上級議員と九名の下級議員は、そのまま市の裁判官として機能した。

 さらに特許状十七条には、市長にたいして、ノーヴーの条令に関係するあらゆる事件を裁く権利と、条令を執行するための訴訟手続きをとる権利を付与している。地方判事としての市長や市会議員の決定は、同一人物によって構成されている市の裁判所に控訴することができる。しかも、裁判長は市長である。また、彼らは巡回判事にも控訴することが可能とされていたが、これは教会が世俗の権威に従う屈辱的方法ということで、モルモンの指導者には好まれなかった。

 市議会や市政府の要職は、ほぼ全員モルモン教会の指導者によって構成されていたため(四名の上級議員のうちダニエル・ウエルズは、当時、その地方の農夫であった。彼を議員に加えたのは、政教分離の原則を遵守しているとみせかけるための、一種のカムフラージュである。事実、ウエルズはその後モルモン教会に加わり頭角をあらわす)、議会や政府は事実上、モルモン教会の組織の一部としてくみ込まれていた。これはモルモン教の中央組織ばかりでなく、各地の地方組織についてもいえることである。つまり都市政治が教会政治に結合していたのである。

(40)Thomas A. Ford, A History of Illinois from Its Commencement as a State in 1818 to 1847 (Chicago and New York, 1854)


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