高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 5 ノーヴー時代

エイブラハム・リンカーンとモルモン教


 モルモン教徒が、ミズーリー州で悲惨な経験をし、イリノイ州に逃げるようにやってきたのは一八三九年のことである。そのころリンカーンは三〇歳で、イリノイ州議会下院議員を勤めていた。彼はホイッグ党に属し、法律の勉強をするかたわら、奴隷制度について議会で反対意見を述べるなど、この頃すでに後の偉大な政治家になる片鱗をみせている。その後間もなく、モルモン教会からイリノイ州議会への「特許状」の申請があり、期せずしてリンカーンはホイッグ党の一員として、モルモン教徒と関わることになった。しかし当時の議員の中に、モルモン教の狙いを正しく理解していた者は誰もいなかった。モルモンの指導者が、選挙の票を餌に、ホイッグ、民主両党を味方につけて政党をコントロールするとか、州から獲得した「特許状」を悪用することなどを予想するのは不可能であった。事実、一八四五年、ノーヴーに与えた「特許状」が乱用されたことが分かったとき、イリノイ州議会は直ちに「特許状」を取り消したのである。

 その頃リンカーンは、アメリカは内なる暴力で滅びるかもしれないと議会で演説し、警告を鳴らしていた。一九世紀のアメリカ人は、約束の地アメリカで、価値観や目標が根本的に異なる人々と、相違を穏やかに解決しながら一緒に生きていこうとは、考えることさえなかったようである。そういう意味で、アンドルー・ジャクソンは一九世紀初期の精神をみごとに体現している人物である。というのはジャクソンは、先住民の存在を認めず、力ずくで先住民をその土地から追いだすことに、少しの躊躇も感じたようすがないからである。これはまた、力ずくで外国から領土を獲得する点でも同様である。この時代は、力の論理がはばをきかし、暴力が是認される時代であった。

 こういう風潮・精神をひそかに危惧する一人がエイブラハム・リンカーンであった。一八三八年、リンカーンはイリノイ州議会での演説で、アメリカ政治にとっての最大の脅威は国内の暴力であると語り、「アメリカ中に広がっている法の無視、法廷の真摯な判断(判決)よりも野性的な、激しい感情に身をまかせる傾向」を指摘した。アメリカ人は外国の征服を恐れる必要はない、とリンカーンは続けた。「もし滅亡がわれわれの運命なら、われわれ自身がそれを開始し、われわれ自身がそれを締めくくるであろう。自由の国民として、われわれはいつでも自由を満喫して生きる、さもなくば自らの手で自らの命を絶つのである」(38)。モルモン教徒がミズーリーで戦争をおこす、ちょうど一年前の演説である。

 時代は少し下るが、一八六〇年、リンカーンは大統領になり、そのまま南北戦争へと突入していく。一八五二年、モルモン教会が多妻婚を公認していることを公にしてアメリカ中をあっといわせたが、多妻婚をとり締まる法律はなにもなかった。反多妻婚運動が高まるなかで、政府は多妻婚をとり締まる法律を作ろうとしたが上手くいかなかった。共和党が多妻婚の撲滅を綱領にかかげたことを知り、ステンハウスというモルモン教徒のジャーナリストがリンカーン大統領に会見した時の話がある。彼はリンカーンに、今後、モルモン教徒たいしてどういう政策をとるつもりか尋ねたとき、リンカーンは彼にこう語ったという。「私がイリノイの農家の少年だった頃、農地にはとり除かなくてはならない木がたくさんあったものです。ときには、倒れた太い木にでくわすこともありました。なかには二つに割るには硬すぎ、焼くには湿っているし、動かすには重すぎる木もあったのです。仕方がないので私たちはその木をそのままにし、周りを耕しました。モルモン教徒にたいしても私は同じようにするつもです」(39)。このエピソードでは、多妻婚撲滅の綱領にもかかわらず、リンカーンはその事にあまり積極的でなかったことになる。しかしこのエピソードがどこまで真実かはわからない。実際、ブリガム・ヤングはリンカーンにたいして相当警戒心をもっていた。リンカーンはモルモン教徒の抹殺を考えていると、真剣に疑っていたようである。南北戦争が始まると、この戦争は、ミズーリー州とイリノイ州でのモルモン教徒の被害を補償しなかったための神の罰であるとみなし、南北戦争でアメリカ政府が滅びたら、その廃墟にモルモン教の新政府を樹立しよう、と計画を立てていた。

 ともかく、リンカーンはモリル法をはじめ、多妻婚の禁止と取締りのための法律を作ったし、リンカーンに続く歴代の大統領も、多妻婚にたいする長い戦いに取りくむことになる。モルモン教徒はこういう法律を、信教の自由を侵害する憲法違反として無視した。またユタの下級(地方)判事はすべてモルモン教徒であったから、事実上、多妻婚の違反者を取り締まることは不可能であった。政府が連邦軍を送りこみ、また政府が派遣した判事をたてるなどの対策がとられ、実際に多数の逮捕者がでてはじめて法律が効力を発揮したのであるが、そこにいたるまでには紆余曲折があった。

(38)quoted in Arthur M. Schlesinger, Jr., Crisis of Confidence: Ideas, Power, and Violence in America (Boston: Houghton Mifflin, 1969) pp. 13 - 14
(39)Cited from Mormon Polygamy: A History, by Richard S. Wagoner(Salt Lake City: Signature Books, 1989) p. 106


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