高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 4 ミズーリー時代

ヤングと英国伝道


 さて、ブリガム・ヤングは、ノーヴー時代からその実力を次第に発揮し、ジョセフ・スミスと拮抗するようになる。「モルモン戦争」集結直後の厳しい冬を、ヤングの指導の下で、惨澹たる状態にあったモルモン教徒たちがともかく生き延びることが出来たという事実が、ヤングの威信を高めた。スミスとリグダンは危機一髪で命拾いしたのであって、その冬は、彼らはリバティー刑務所(リバティーはカンザス・シティに隣接)に監禁されていて、信徒たちを助けられる状態ではなかった。戦争集結のとき、指導者が逮捕されたのを見て、スミスの教会を諦めて新しい群れを形成したモルモン教徒もいた。ともかく、行き場のなくなったモルモン教徒たちはヤングの尽力で、どうにか冬を越し、ノーヴーに落ち着くことになったのである。

 自らの威信の回復のために、ジョセフはヤングを始めとする十二使徒全員を英国伝道に派遣した。期間は一年間であった。自分たちの住居も未完成のまま、彼らはイギリスへと旅発ったのである。幸か不幸か、この英国伝道が大成功を収めるのである。イギリスは産業革命の煽りをうけ、当時の労働者たちは劣悪な労働環境と悲惨きわまりない生活環境の中に放置されており、モルモン教徒たちの伝えるアメリカは、労働者たちには天国のように思えたようである。モルモン教徒の伝道が成功を収めた地域は、リバプール、マンチェスター、カーディフといった工鉱業の中心地であった。この結果アメリカへの移住希望者は、一八四○年から二○○人、一二○○人、一六○○人と増え、一八四四年には数千人がノーヴーに到着したという。ヤングはこれらの改宗者をアメリカへ送りこむために、事務所を設け、船をチャーターし、移民をグループに分け、水、食糧を確保するなどの移民のシステムを確立した。以後ヤングが確立したシステムに従って多くの移民が無事アメリカへ渡ることができたという。こうしてヤングは再びその実力をp発揮し、指導者としての頭角を現わすこととなったのである。ヤングなどのライバルが不在中に、スミスは自らの威信を回復することにはなるが、ヤングにたいする信徒の信望は高まりこそすれ減ずることはなかったようである。


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