高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 4 ミズーリー時代

ノーヴーへの定着と町の建設


 モルモン教徒は安住の地を求めていたが、クインシーから北へ約一一〇キロの、コマース(ハンコック郡)という小さな寒村をみつけ、そこに定住することになった。それが短期間のうちにイリノイ州随一の都市へと発展することになるノーヴー(Nauvoo)とよばれる町である。ノーヴーはミシシッピー河に突きでている湿地帯の半島で東側にはなだらかな丘があり、開拓の初期には原因不明の発熱(今日では、マラリアやチフスではないかと考えられている)で生命を失った者も多かった。ミシシッピー川のむこう岸はオハイオ州であり、ミズーリー州からもさほど離れてはいない。 

 モルモン教徒はその湿地帯に灌漑を施し、森を伐採し、碁盤の目状に道路をつくって町の建設にとりかかった。余力のある者たちから資金を集め、定住から二年後には水力を利用した製材工場、蒸気による製粉所、鍛冶屋、鋳物工場などが作られた。小高い丘の上にはモルモン神殿が建てられ、ミシシッピー河を行き交う船からよく見えたそうで、この神殿と、モルモン教の創始者ジョセフ・スミスを一目見ようと、大勢の観光客がノーヴーを訪れたそうである。

 ジョセフは新しい啓示をしめし、「モルモン神殿」と、訪れる客を歓待するためと称してホテルの建設を求めた。このホテル建設については株式制度が採用された点がユニークである。ジョセフは啓示の中で、資金のある信徒を名指しで株金の供与を求めたのである。このホテル「ノーヴー館」(The Nauvoo House)は完成をみず、また「モルモン神殿」は早くから建設が着工されたにもかかわらず、資金不足その他の問題で遅々として進まず、完成をみたのはジョセフの死後のことである。神殿はその後、紛争と迫害のさなかに破壊され、今日では、その礎石しか残されていない。

 ノーヴーの経済的発展の歴史はいろいろな点で興味深い。モルモン教徒は厳しい宗教的規律にもとづく独自のコミュニティーを形成し、宗教活動のみならず、都市建設、農業・商業などや経済活動もつねに教団全体で行い、しかも成功を収めてきた。モルモン教徒は当時の平均的開拓民と同様、素朴で働き者であったことも成功の理由である。しかしモルモン教徒は、その特異な宗教思想・慣習のために、結局イリノイでも平和な生活を送ることができなかったのである。モルモン教徒の考える理想郷はユタ定住までは実現することはなかった。モルモン教徒による経済活動、都市建設などに興味のある方は、歴史家レナード・アリントンの研究をお勧めしたい。おそらくピューリタンの開拓とモルモン教徒の開拓にはパラレルな関係が成立するのではないかと考えられるから、その比較研究がなされるならアメリカの宗教思想・意識の変遷が明らかになるのではないかと思う。


前に戻る   次に進む

「素顔のモルモン教」へ戻る

HOME 「ようこそ」ページへ