高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 4 ミズーリー時代

モルモン戦争をどう見るか


 モルモン教徒もミズーリー州住民も、モルモン戦争は土地と権力を手に入れるための相手側の謀略だと考えていた。住民によれば、モルモンの指導者は、まずコールドウェル郡で神権政治体制を確立し、一部のエリートがモルモン集団を支配し、その手段としてダナイト団をつくり彼らの手先として働かせた。さらに指導者は州や郡政府の法や権威を無視し、逆に自らの私設軍を使って西部ミズーリー州の〔地方〕政府転覆を画策していた。ミズーリー州住民はそう理解していたのである。したがって、モルモン指導者の逮捕の理由は反逆罪であった。

モルモン教徒の側からすれば、地域住民による妨害は、モルモン教徒を追放しその土地を奪うための謀略である。モルモン教徒の訴えでは、証拠はないものの、住民は自らの家に火を放ち、それをモルモン教徒のせいにして反モルモン感情を煽ったという。また彼らの主張では、自警団こそモルモン教徒を暴力へと駆りたてた原因である。モルモン教徒が自首した後、住民がモルモン教徒の土地にただちに住み始めたことも、これが計画的だったのではないのかというモルモン教徒の疑いを強める結果となった。

 今日、改めてこの事件を眺め、紛争を回避する方法が本当になかったのかどうか考えてみる。当時のモルモン教会の主張や行動と、うまく折り合いをつける道はなかったのだろうか。そもそも紛争を避けることは可能だったのであろうか。第一にモルモン教側からの要求は、あまりにも過激だったのではなかろうか。いくら神の啓示とはいえ、無人の土地ならまだしも開拓民が住む土地を、神がモルモン教徒に与えたのだと主張し、そこを自分たちの土地であると一方的に宣言・要求し、その要求にそわない者をモルモン教徒にたいする敵とみなした。このモルモン教徒の思考と行動は、先住民(インディアン)にたいする白人政府、開拓民の思考・行動と見事に符号し、その宗教的信念のうらに潜むあまりに単純な思考と不合理な欲望がみえてくる。

 ところで、もしもモルモン教徒が買収という手段を用いたなら、そこまで紛糾したであろうか。モルモン教側がしばしば指摘するモルモン教にたいする地域住民の偏見とは、地域住民がモルモンの理不尽な要求をのまないということであり、そのなかに政治的行為、法的手続、社会慣習、経済的利害に関するさまざまな問題が含まれていた。地域住民はたんなる宗教的偏見から土地を譲らなかったのではなかったのである。

 実は、土地買収の問題は、純粋に土地売買の問題ではなかったのである。モルモンの側には宗教的先入観があり、買収を難しくしていた。それは、モルモン教こそ唯一正しい福音であり、モルモン教徒は神の選民であるという教えであり、もう一つは、間もなく終末が到来し、キリストとモルモン教徒の支配する新しい世界が来るという信仰である。そこから地域住民が狂信的とみる、モルモン教徒のある特異な行動が導きだされた。すなわちモルモン教は正しい福音なのだから受け入れるのは当然、モルモン教を受入れない人間はやがて滅ぶべき存在なのだから、いますぐ滅びても大差はないし、彼らの土地や財産が神の国建設のために役立つなら、モルモン教徒に奪われ、搾取されても当然とする思想である。しかも、こうした略奪や搾取が武力によってなされたのである。 

 モルモン教徒のこうした思考や行動は、初期のアメリカへの入植者たちの思考や行動を彷彿させる。宗教的情熱が彼らをつき動かし、植民・開拓へと駆りたてるのであるが、彼らこそ神の選民であると信じて疑わなかったピューリタンたちは、この広大な土地は彼らに用意された土地であると信じ、先住民の権利を考える余裕はなく、銃口を突きつけてその土地を奪っていくのである。彼らの眼には先住民は人間ですらなかったのである。このようにみていくと、モルモン教徒の行動パターンはピューリタンのそれであり、アメリカ人の思考・行動様式は、その昔から今日にいたるまで、根本的には変化していないようにも思える。

 さて以上のようなことを考えてくると、ミズーリー州住民の主張や行動は、一部には行き過ぎがあったにせよ受入れやすいものである。一方、モルモン教の側の主張には、特殊な宗教思想に導かれた独断が多く、彼らの理想追求にあまりに性急であったと思う。そのため客観的な状況判断を欠き、地域住民の立場を思いやる余裕がなく、しかもモルモン教徒の計画をはばむ人間をすべて敵とみなし、敵を根絶やしにすることが声高に叫ばれ、それがそのまま実行に移されるという逸脱ぶりであった。

 モルモン教徒は、ミズーリー州の高官にドニファンやアチスン将軍という有力な味方をもっていたにもかかわらず、彼らの助言を信頼しなかった。また彼らが必死に和睦工作を続けていたにもかかわらず、モルモンの指導者は武力による、鷹派的強硬路線を敷いたため、ドニファンやアチスンの努力も水泡と帰すのである。そして最後には、ドニファンやアチスンという有力な理解者をも失うことになった。当時の知識人や政治的状況に通じていた人々が、この紛争にたいしてどのような判断を下したかということを考えるとき、ドニファンやアチスン将軍の態度が象徴的意味をもつように思われる。

 むろん、モルモン教徒だけがことさら暴力的であったと述べるのは公正ではない。実際、アメリカの歴史をたどれば、暴力的でなかった時代や集団は例外的にしか存在しなかった。事実、終始一貫して平和主義の立場を貫いたアーミッシュ、メノナイト、ブレズレン、クエーカーなどのキリスト教集団(彼らは「歴史的平和教会」と呼ばれている)は、力の論理を是認するアメリカ的風潮とは合わず、人々から「臆病者」とか「腰ぬけ」呼ばわりされることはあっても、決してアメリカ社会でポピュラーになることはなかった。アメリカ人の政治軽視、反中央集権的傾向つまり権利の分散、法と正義を個人の手中に収めようとする熱意、非寛容の精神、過度の保守主義、自警団の伝統、銃砲所持の権利など、こうしたすべてのことがアメリカの暴力を温存させ、野放しにしてきたのである。そしてモルモン教徒も、こうした風潮に素早く適応した典型的アメリカ人であった。


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