高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 4 ミズーリー時代

「モルモン戦争」リグダン主犯説


 シドニー・リグダンはモルモン教会の副管長であり、第二の実力者と目される人物であったが次第に教会と齟齬をきたし、その後一八四四年、ジョセフの死とともに教会から破門される運命にある。教会と齟齬をきたした理由の一つは、娘ナンシーが無理やりジョセフの妻にされそうになり、ナンシーが悩んだすえ父リグダンにそのことをうち明け、多妻婚のことを何一つ聞かされていなかったリグダンは激怒し、この一件でジョセフとの溝が深まったことがあった。もう一つの理由は、ジョセフの後継をめぐり、教会をどういう路線で指導するかについてブリガム・ヤングと確執があったことである。ともかく、第二の実力者リクダンも教会から破門されることになるのである。

 リグダンが破門されるやいなや、ミズーリー州での紛争の責任はすべてリクダンにあったとするリグダン主犯説が流布する。使徒オーソン・ハイドや大管長ヤングがこの説を流した本人である。リグダン主犯説を要約すれば、七月四日の演説はリグダンが勝手に語ったことであり、信徒が彼の間違った助言を素直にうけたため、紛争に発展したのだとする説である。今日の研究者のなかにもリグダン主犯説を支持する者がいる。

 しかしこの説は誤りである。第一に、リグダンの演説は注意深く用意されたもので、演説する以前に中心的リーダーの前で同じ話が語られたからである。したがって指導者たちが演説に反対であれば、リグダンの演説は中止になっていたはずである。第二に、リグダンの演説は、ジョセフ自らが編集していた新聞「エルダーズ・ジャーナル」にも掲載されている。しかもジョセフ自身がコラムを書き、リグダンの演説を真面目に受けとるように信徒に勧めているのである。モルモン教徒の著名な歴史家ブリガム・ロバーツもそのことを認めていた。リグダンの演説は、当時のモルモン指導者の考え方や夢、意気込みや熱意を要約したものとして理解すべきである。


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