高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 4 ミズーリー時代

旧・指導者の追放


 すでにカートランド時代に、スミス、リグダンとカウドリ、ホイットメアーの間に分裂が顕在化していた。スミスとリグダンは内部分裂を極度に嫌い、絶対的指導体制を確立するには異分子を追放すべきであるという立場を固めていた。六月一五日、リグダンはかの有名な「塩の説教」をする。これは、役に立たなくなった塩は捨てられて人々に踏みつけられるだけであるとする説教で、モルモン教会の中の役に立たなくなった者は追放されるべしという宣言であった。この説教の後、リーダーたちはダナイト団を用いてモルモン教会から異分子を追放した。

 初期からの有力な指導者であり、『モルモン経』の三証人の一人カウドリは、ファニー・アルガーという少女をかどわかしたことでジョセフを責めたため〔事実、アルガーはジョセフの最初の多妻の一人である〕、逆に異分子として教会から追放されたのである。もう一人の『モルモン経』の証人デイヴッド・ホイットメアーは、秘密結社「ダナイト団」の設立は『モルモン経』の教えに反するとしてジョセフに反省を求めたが、聞き入れられず、結局、追放のうきめにあった。この時点で『モルモン経』の三証人はすべてモルモン教会から去ったことになる。デイヴィッドの兄、ジョン・ホイットメアーはミズーリー教会の有能な指導者であったが、ジョセフの逸脱ぶりを怪しみ、その指導に服さなかったため、ジョン・コリル、トーマス・マーシュ、ジョージ・ヒンクルなどの有力な指導者と共に追放された。これらの追放された人々は、初期の教えにたいして忠実であろうとした人々であり、変質ししつつあるモルモン教に危惧の念をいだいていた人々である。

 モルモン教の歴史という舞台から姿を消した人々は、その後再び舞台に姿を現すことはなかった。しかしモルモン教を棄てた理由は千差万別であり、かならずしも宗教上の理由ばかりではなかったのである。共同体の理解の相違、財産や金銭的トラブル、政治や経済とのかかわりをめぐる対立、暴力をめぐる問題、多妻婚の是非、秘密結社導入の是非、教会運営の問題、指導者との考え方の齟齬、モルモン信仰や神学上の理解の相違などである。ともかくモルモン教を棄てたり粛清された人々は、旧い歴史においてはつねに罪深い悪人として描かれてきた。しかし事実はもう少し複雑で、こういう人々を注意深く見直す作業が必要ではないかと思う。おそらく彼らがたどった歴史から、もう一つのモルモン教の歴史を、しかもかなり正確な歴史を描くことが可能であると思う。事実、筆者が用いた資料のなかに、棄教したり、モルモン教会から破門されたりした人々が残した日誌、手記、告白、宣誓供述などもかなり含まれていることをお断りしておく。こういう資料を用いなければ、けして明らかにされない側面も多いのである。


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