高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 3 カートランド時代

事業の失敗


 銀行の破産により、モルモン教徒のなかにも資産を失なった者が多かったに違いない。しかし信徒の多くは記録を残していないことから、正確な損失を知ることはできない。しかしモルモン教徒以外はジョセフにたいする訴訟を起こしており、裁判の記録として残されている。一八三七年六月から一八三九年四月の問にジョセフにたいする訴訟件数は二二件、負債総額は三万五〇〇〇ドルであった。ジョセフは四か月間に七回逮捕され、信徒たちはジョセフの保釈のために必死の思いで約三万九〇〇〇ドルを集めた。二二件の訴訟のうち六件は示談で解決され、残り七件は裁判で正式にジョセフの負債として確定された。しかしジョセフにはこの他にも、訴訟にまでは発展しなかった
負債があり、その額は一五万ドルに達していたとみられている。

 いったい当時、一〇〇ドルとか一〇〇〇ドルが、どのくらいの価値をもっていたのであろうか。ある調査では、一八三〇年代から四〇年代にかけて、都市の熟練労働者で年間三〇〇ドルを稼ぐことができる者は恵まれた労働者だったという。不熟練労働者の例では、一八三六年の好景気の絶頂時で、ペンシルヴァニアでの道路建設に従事する労働者の日給は六二セント半であった。農業労働者や婦人労働者の賃金はそれよりさらに低かったという。別の調査では、一八二八年、連邦議会議員になるために選挙費用が三〇〇〇ドルかかったという。選挙にこんな大金が必要なら、金持ちの後援でもないかぎり庶民が選挙にでることなど無理な話であるとしている。ジョセフは一八三六年、カートランドに六、七万ドルの神殿を建設したが、これがとほうもない金額であったことがわかる。

 さてジョセフは信徒たちにたいして、この事態は何とか収拾するだろうと語り、また、人手に渡った土地の証文を買い戻してくれる者はかならず裕福になるだろう、という幸福の預言を語る。だが手痛い目にあった信徒たちは次々と教会から去った。十二使徒のなかからもシルベスター・スミスの他、五名が教会をすてたといわれている。伝道熱心で知られていた有力な指導者パーリー・プラットですら、訴訟も辞さないという手紙をジョセフに送りつけた。ジョセフに宛てた手紙は次のようなものであった。

「さて親愛なる兄弟、あなたがあいも変わらずこの邪悪な道を、あなたとあなたの教会が地獄におちるまでつき進むつもりなら、一つだけ私の願いを聞きとどけてもらいたい。どうか私と私の家族、それに実際は一〇〇ドルの値うちもないのに二〇〇〇ドルであなたが売り渡した、件の三つの土地にかかわりのある者たちに、寛大な心をもつようお願いしたい。というのは、もし額面通り請求されるようなことがあれば、私の哀れな家族と私の仲間たちの身は破滅だからである。というのは昨日、頭取のリグダンがやってきて語ったところでは、あなたは銀行に行って金を引きだし、証文を銀行に渡し、二〇〇〇ドルの回収のためにはいかなる手段を取ろうと構わないと語ったというではないですか。あなたは神にかけて、これらの証文はけっしてわれわれを窮地に陥れることはないと約束したではありませんか。わたしは彼〔リグダン〕に、三つの土地は返すから証文を返してほしいといったら、彼は、それじゃあ土地と私の家、それに家財道具を一切合切いただこう、と言ったのである。
 さて親愛なる兄弟、どうかこれらの土地を引きとり、証文と、先に支払った七五ドルを返してはもらえないだろうか。それとも権力下にあるのをよいことに、隣人につけ入るつもりなのですか…もしそうであれば、法外なかけ値、強欲、宗教の影響力を不当に利用したという罪(20)で、やむなくあなたを起訴しなくてはならなくなるでしょう…」。

 これにたいしてジョセフは、訴訟を起こすような信徒は破門すると脅し、事実、プラットを教会〔評議員会〕の裁判にかけようとしたが、教会は分裂寸前で、それは実現しなかった。実際、こういう出来事の後でもジョセフを真の預言者だと信じる者がカートランドには二〇名はいなかったであろう、という使徒ヒーバー・キムポールの言葉は誇張とは思えない。プラットは後日、ジョセフに同情し和解するが、二〇〇〇ドルの一件がどうなったかは不明のままである。

 銀行事業失敗の混乱のなかに留まることは、忠実な信徒には堪えがたいに違いないと考えたジョセフは、一八三七年六月、自分のお気に入りであったビーバー・キムボール、オルソン・ハイド、ウィラード・リチャーズを英国伝道に派遣した。かつて行われたカナダ伝道が成功だったことと、カナダの信徒から英国にいる親族への伝道の要請があったからである。彼らが帰国する頃には、負債の問題も片づいているだろうという見通しであった。ともかくこうした混乱と苦境のなかから英国伝道が生まれたのである。

 ジョセフもその直後、五週間のカナダ伝道に出発した。ジョセフの不在中に『モルモン経』の三証人、カウドリ、ホイットメアー、ハリス、および元副管長ウィリアムズは、かつてはモルモン教徒であった若い女性に導かれるクエーカーの一派、シェーカーズという集団に加わっていた。彼女は予言を語り啓示を示した。シェーカーズは、モルモン教に比べはるかに清貧な集団であった。後日、カウドリとホイットメアーはジョセフの許に戻ったが、ハリスはシェーカーズに心酔し、生涯そこから離れなかったため、モルモン教からは破門された。

 カートランドにおけるモルモン教会は、経済的破綻、ジョセフにたいする不信や幻滅、怒りなどのため分派・分裂が起こっていた。こうした錯綜した状況下で、リグダンは異端尋問や魔女狩りを開始し、旧信徒をいわれのない嘘、盗み、姦淫、偽造、詐欺のかどで告発した。これに続いて内部の争いは激化し、ついに教会は完全に崩壊したのである。外部からの訴訟のみならず、旧信徒たちからの訴訟が相ついだ。この時、ジョセフ・スミスにたいする訴訟の中心人物グランディスン・ニュエルの暗殺未遂事件が起こり、ジョセフに容疑がかけられたが、証拠不十分で不起訴となった。しかし、使徒ルーク・ジョンソンの裁判での証言や使徒オーソン・ハイドの証言から、「もしもニュエルがジョセフにたいして暴動を起こすなら殺害せよ」とスミスが命じていたことが明らかとなった。結局、銀行詐欺罪の逮捕状が出されるに及んでジョセフはカートランドに留まることが不可能になり、ミズーリーへと遁走するのである。

(20)Richard Linsay, Expose of Mormonism Being a Statement of Facts Relating to the Self-Styled 'Latter-Day Saints,' and the Origin of the Book of Mormon, quoted in Conflict at Kirtland, by Max Parkin, pp.372-3


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