高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 3 カートランド時代

土地の投機熱とこの世の富


 モルモン教は彼岸(あの世)の宗教ではない。ジョセフ・スミスの関心はこの世の事柄に向けられていたし、また彼の宗教思想もこの世の事柄と深く結びついていた。ジョセフにとってパラダイスとは、彼岸だけでなく、この世においても祝福をうけること、すなわち裕福になることであった。彼の預言によれば「神が聖なる都市に再びこられるとき、すべての真鍮を黄金に、すべての鉄を銀に、木材を真鍮に、石を鉄に変えてくださり・・・正しい者たちに肥えた牛や羊の宴をもうけて下さる」のである。

 一八三一年のエズラ・ブースの記録では、「地中にはとほうもない量の財宝が、とくに大勢の信徒の出身地であるニユーヨーク州に眠っている。モルモン教徒がその罪、汚れから十分に清められるとき、これらの財宝は教会のものとなる。つまり彼らの言葉を用いるなら、その時がきたら、モルモン教徒はこの世で最も裕福な人間になるのである。こういうことがまことしやかに語られていた・・・」のである。富と権力こそ、この世においてもまた彼岸においても、神からの祝福の最たるものであり、この世でそれが叶わなければ彼岸において享受できるものと信じられた。モルモン教の神学はフロンティアの匂いのするものであり、禁欲主義とは無縁である。ジョセフの教えには、「神と富(マモン)とに兼ね仕えることはできない」という聖書の概念がない。モルモン教の信仰では、この世とあの世が連続しており、そこに緊張や対立を見出すことはできない。

 一八三六年、全米に広がっていた投機熱にカートランドも浮かされていた。西部の土地はどこでも鰻登りに上がっていた。新しい移民の波が押しよせ、開拓者の群れは西部へむかっていた。三〇年代のオハイオ州の人口増加率は、全米平均が三二パーセントであったとき、六二パーセントに上っていた。それがオハイオ州の投機熱をいっそう煽りたてたのである。カートランドでは五〇ドルの土地が二〇〇〇ドルに値上がりし、その周辺の農地も、一エーカー当たり一〇ドルか一五ドルの土地が、一五〇ドルに跳ね上がった。このため五〇ドルか一〇〇ドルの土地しかもっていない農民が、にわか投機熱にうかされて数千ドルの土地を購入するということが珍しいことではなかったという。取引きは信用でなされたし、土地銀行はいろいろな銀行が発行する紙幣であふれていた。借用書や所有権の譲渡書、あるいは抵当が人から人へと手渡されていく中で、あらゆる人がこれで自分も裕福になれると信じたのである。

 ジョセフもモルモン教徒たちも、この投機熱にすっかり染まっていた。ジョセフは比較的信用があつかったようである。一三〇〇〇ドルの負債が残ってはいたが、六〇〇〇〇ドルもの建設費をかけたカートランド神殿をもっていたためである。また数千ドルを投資した蒸気動力の大きな粉引き機が、じきに収入をもたらすはずであった。このような資産を抵当にして、ジョセフはあらゆるところから借金をした。ペインズヴィルの銀行からの三五〇ドルをはじめ、クリーヴランドとバッファローにて三〇〇〇〇ドルの借用や、モルモンの会員たちからの多額の借金まである。

 しかし一八三六年七月一一日、ジャクソン大統領は銀行などにたいし、政府の土地を売却する場合、正貨(金貨、銀貨)以外では取引きをしてはならないという通達を出した。これは政府の財務局に入ってくる銀行券(紙幣)をせき止めることが目的であった。当時、銀行は恣意的に設立され、また銀行は各々自社の紙幣を発行していたようで、アメリカ中にこのような紙幣が溢れかえっていたのである。この大統領通達のために、政府の土地を紙幣によって購入することが不可能になり、これが一八三七年の恐慌の引き金となったのである。金儲けを夢みていた人々は、一夜にして夢破れたばかりでなく、土地の急落により、負債の返済すらままならない事態に陥るのである。 

 一方、ミズーリーのモルモン教徒たちはジャクソン郡を逃れて隣接するクレイ郡に寄留していたが、そこの住民たちから、秋の収穫を待ってその土地からたち去るよう通告されていた。そこで、いろいろな土地が候補としてあげられたが、結局、ほとんど無人の大草原、ミズーリー州北西部が妥当であるという結論に達した。しかし約一五〇〇ドルの政府の土地を購入しようとしていた矢先、大統領通達のために、手もちの銀行紙幣では購入できないことが判明したのである。

 ジョセフはミズーリーの信徒たちが必要とする金を送らなくてはならなかったし、同時に、カートランドの負債も返済しなければならなかった。一八三一年に「エノク共同体」を救済するために、チャールズ・ホルムズから借りた一万ドルの返済期限も迫っていた。春に借りた三万ドルの借入金は、秋に返済することになっていた。この他にも個人からの借入と神殿の負債が一三〇〇〇ドルあった。

 金貨、銀貨への欲望が極限に達していたある日、ある新聞の記事がジョセフの眼にとまった。マサチュセッツ州セイラムの旧家の地下に莫大な財宝が隠されているという記事であった。バージェスという名の改宗者が、その家を知っているから案内をすると申しでた。ジョセフにはその財宝の入手が、当面する問題のてっとり早い解決方法だと思われたのである。しかし神の預言者である自分が、再び財宝探しを行うということに躊躇したジョセフは、内密にことを運び、外面は伝道旅行を装い、リクダン、カウドリ、兄ハイラムと共に(つまり中心的指導者だけで)セイラムへ出発したのである。出発したのが七月、帰還したのが九月である。しかし財宝は見つからなかった( ちなみに、この秘密の旅行は結局、信徒たちに知られるところとなり、失望を味わった信徒も多かった。しかしジョセフの日記にはこれが伝道旅行として記され、時とともにこのことは忘れ去られた) 。

 さてセイラムからの帰途、ニューヨーク市にてハルステッド・ハインズ・アンド・カンパニー銀行から、カートランド商業会社の名で五六〇〇ドルの融資をうけることに成功した。また、ハイラムとカウドリは東部にて六万ドル相当の商品の信用貸しをうけることに成功した。またカートランドでもティモシー・マーティンデイルから五〇〇〇ドル、ウインスロップ・イートンから一一五〇ドル、ジヨージャ銀行から三〇〇〇ドルを借入している。


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