高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 3 カートランド時代

『知恵の言葉』と食物規定


 もっともよく知られているモルモン教の特色、すなわちアルコール、たばこ、コーヒー、紅茶等を摂取しないという規則は、明らかに「禁酒運動」の影響である。一八三三年二月、ジョセフは神からの啓示として『知恵の言葉』(The Word of Wisdom ) を記録し、これを神からの禁止や規則としてではなく、助言、あるいは勧めとして信徒に示した。内容は、アルコール、たばこ、コーヒー、紅茶などの熱い飲み物の禁止と、肉の摂取は冬期間にかぎるというものである。

 モルモン教のこの食物規定は、ピューリタニズムの影響であるとする解釈が一般的であるが、直接的には「禁酒運動」の影響である。一九世紀前葉、アメリカ国民の大きな関心事の一つは酒、すなわち「禁酒運動」であった。一八三四年には、全米に五〇〇〇もの禁酒運動の団体があり、その会員は一〇〇万人を数えたといわれている。しかもその「禁酒運動」をすすめる団体の九〇パーセントがメイソン・ディクソン・ラインの北側、しかもニューヨークとオハイオ州に集中していたそうである。

 この啓示がどういう経緯で生まれることになったかを知る手掛かりは、ブリガム・ヤングの記録である。当時、主だった指導者たちはジョセフの家で定期的な集まりをもっていた。場所は二階の一室、ちょうど台所の真上だったという。ジョセフの妻エマは、集会の度に床があまりに汚れるので、いつも文句を言っていたようである。なぜなら「男たちが集まってきて最初にすることはパイプに火をつけることで、それから煙りを楽しむ一方、神の王国の偉大な事柄について話しながら部屋中にやたらツバを吐いた・・・」からである。そこでジョセフはこの問題について熟考し、また神に解決をもとめたところ『知恵の言葉』が示されたのだ、とヤングは述べている(17)。ジョセフはエマの不満をなんとか解決しようとして、ほとんど彼の常套手段となった啓示を示したのである。これがそれほどの拘束力をもつことになるとは、ジョセフ自身予想していなかったようである。

 『知恵の言葉』は、当初、ジョセフ自身も厳密に守っていたわけではない。第一、これは神からの禁止事項ではなかった。第二に、ジョセフは世俗的な人間であり、またこの世が提供する楽しみを人一倍享受していた人間であったから、一時的に「禁酒運動」の影響をうけることはあっても、その推進派になるはずはなかった。第三に、一八三六年、リグダンの指導のもとでアルコールやたばこなどについての教えを厳しく遵守することが決議された後も、ジョセフと一部の指導者たちはひそかにワインを楽しんだり、コーヒーを楽しんだことが分かっている。またアルコールだけに限ってみても、ノーヴー時代には自宅にバーを作り、訪れた客にワインなどを勧めていた。ジョセフはノーヴー市長になった時、酒類を適当と認めるならいかなる量であれ旅行者、訪問者その他の人に売る権限を市長に与えるという条例を成立させている。

 ブリガム・ヤングもユタでワインを醸造し、それをビジネスにしていたことは有名である。モルモン教徒の著名な歴史家レナード・アリントンの研究では、ブリガム・ヤングの最大の心配は、ユタのモルモン教徒が高価な紅茶やたばこ、コーヒーに金を浪費することだったそうである。そのため貴重な現金が流失しないようヤングはユタの地で栽培できないものについてはこれを禁止し、もしその土地で紅茶や煙草の栽培が可能になったなら、そのときは皆で楽しもうと訴えかけたそうである。ヤング自身の言葉に従えば、「どうせ『知恵の言葉』の戒めを破るのなら、懐が痛まない程度に破ろうではないか」ということに落ち着いたのである。つまりブリガム・ヤングの最大の関心事は『知恵の言葉』の戒めではなく、経済であった。

 こうして、ふとしたことから始まった慣習が、それを作りだした本人の意志とはかかわりなくどんどん一人歩きを始め、肉についてはともかく、今では禁酒、禁煙、嗜好品をたしなまないことが絶対的規則であるかのように教えられ、また守られているが、今日、それがモルモン教徒のアイデンティティになってしまった感がある。

(17)Journal of Discourses, Vol. XII, p. 158


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