高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 3 カートランド時代

同族会社モルモン教とヒエラルキー


 一八三三年三月、モルモン教会の新しい組織として大管長 ( President )と二名の副管長(Councelor) からなる大管長会 (Presidency) がつくられ、最高決議機関とされた。この大管長にはジョセフ・スミス、副管長にはシドニー・リグダンとフレデリック・ウイリアムズが選ばれた。翌一八三四年にはカートランド高等評議員会 (High Council) とミズーリー高等評議員会がつくられ、それぞれの共同体の決議機関とされた。

 一八三五年、大管長会の下部組織として一二使徒評議員会 (Council of Twelve Apostles) と七〇人大祭司会( High Priests、今日の七〇人定員会 Quorum of Seventy ) が設けられた。この最初の十二使徒はデイヴッド・ホイットメアーとオリバー・カウドリへの啓示によって決められたと記録されている。十二使徒の名は、トーマス・マーシュ、デイヴィッド・パッテン、パーリー・プラット、オーソン・ハイド、ヒーバー・キムボール、オーソン・プラット、ルーク・ジョンソン、ライマン・ジョンソン、ブリガム・ヤング、ウィリアム・マクラリン、ジェイムズ・ボイントン、ウィリアム・スミスである。因みに十二使徒のうち九名、また七〇人大祭司の全員が「シオン軍」の義勇軍であった。

 これと前後して別の会議では、シオンの国を相続する順番が決められている。こちらの順位では、中央組織のトップ指導陣からは外されたハリス、カウドリ、ホイットメアー、パートリッジ、ジョン・コリル、ニューエル・ナイトなどの名が最初に見出される。これらの相続の順位も、あるいは組織の役職も、何かのおりにジョセフが義理を感じた人々にメリットとして与えられたものである。しかし、いわばこれはジョセフのリップ・サービス、あるいは便宜的措置であったという印象は免れ難い。というのも、この中からも多くの者がいずれ教会を去ったり、破門されたりしており、最後までジョセフやヤングと運命を共にした者の数は少ないからである。

 モルモン教のもう一つの特徴は、その血縁重視である。ジョセフは、父スミスにたいしては大祝福師〔 patriarch of the church、これは今日、父スミスの子孫のみに与えられる称号で、世襲制である〕の称号を、兄ハイラムに対してはフレデリック・ウィリアムズに代えてモルモン教会ナンバー・スリーの副管長の座を、弱冠一九歳のドン・カルロスに対しては七〇人大祭司会の祭司長の座を与え、弟サミュエルに対してはモルモンの「書籍会社」の責任者に任命している。ジョセフと犬猿の仲ともいうべき弟ウィリアムにたいしてさえ、リグダンの猛反対にもかかわらず使徒の座を提供したという事実に、血縁をことのほか重視するジョセフの考え方が反映されている。

 自分の親とか兄弟を組織に組み入れることが、一体どのような印味を持っていたのであろうか。端的にいえば、それは経済的な保証を与えたということである。基本的にはモルモン教も信徒の献金と無償の奉仕活動によって成立しているが、しかしごく少数の者は全時間を教会にささげる指導者として、教会から相当の収入をえている。実際これら専従の役員たちの、過去および現在の報酬額がどの程度のものであったかについては興味ある点であるが、具体的な額については知られていない。

 もう一つの点は、モルモン教の同族会社的要素である。ジョセフの家族は貧困からぬけだすために、苦難のときも貧しいときも労苦を共にしてきた。とくにジョセフに対する家族の期待は大きく、どんな状況でも彼を信じ支えてきたのである。そういう訳でジョセフの宗教は人々に救済をもたらす宗教である以前に、スミス一族の救済のための宗教であった。血縁重視の背景には、このような事情もあったのである。


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