高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 3 カートランド時代

モルモン軍によるシオン奪回作戦


 一八三四年二月、ミズーリーからパーリー・プラットとライマン・ワイトが駆けつけ、緊急事態を告げる。モルモン教徒たちがジャクソン郡から追放され、ミズーリー共同体が危機にあるという。これはジョセフの預言者としての評判が危機にさらされたことを意味する。歴史家クラウス・ハンセンによれば、この時ジョセフは「目には目、歯には歯」すなわち武力には武力で対抗することを決意したという。この時結成されたのが「シオン軍」( Zion's Camp)である。人々の眼をあざむくため表向きは開拓者を装いつつ、義勇軍を送りこみ、なんとかシオンを奪回しようという計画であった。当初は五〇〇名を予定していたが、結局、二〇〇数名の志願者をえ、五月始めミズーリーに向けて出発する。途中で計画が露顕しないよう義勇軍はかたく口止めされていた。町へ入る場合は小グループに分散し、目立たないようにした。またミズーリーに入る直前には軍事訓練がなされ、銃火器の念入りな手入れがなされた。

 ジョセフ自身も武装し、つねに獰猛なブルドッグをそばに置いていたのでモルモンの兵士ですら近づくのを恐れたという。いよいよ目的地に近づくと、ジョセフはさらに側近として二〇名のボディーガードを置き警備にあたらせた。これはジョセフが経験する初めての戦争であった。州知事ダンクリンに派遣していた密使が戻り、ジョセフに告げる。知事は紛争を静めるために、ジャクソン郡をモルモン地区と非モルモン地区に分割する案をもっていたが、これは廃案になってしまった。なぜなら武装した「シオン軍」接近のニュースが漏れ、住民は再び結集し「シオン軍」を迎え撃つ準備を始めたからであるという。

 結局、小競り合いはあったものの、ジャクソン郡の有力者の和平工作が住民に受け入れられ、つぎのような取決めがなされた。すなわち、住民はモルモン教徒の土地を評価額の倍の値段で購入する。土地の評価は、三人の第三者を仲介人とし、この仲介人によって決められる。一二人のモルモン教徒が仲介人に協力する。評価額が設定されたなら、住民は三〇日以内に全額を支払うこととする。その代わりモルモン教徒は二度とジャクソン郡に定住しないことを約束する。もしくは、以上の取決めが不服である場合、モルモン教徒が全ジャクソン郡住民の土地を同様の条件で購入すること、というものであった。

 モルモン教徒はジレンマに立たされた。住民の土地を購入する金はないし、かといってシオンの国建設は主の約束、あるいは至上命令である。しかし結局、残された道は撤退しかなかった。一方、クレイ郡の保安官コーネリウス・ギリアムがジョセフのもとを訪ね、土地を売り、軍隊を解散しカートランドに帰るよう説得する。このままカートランドに戻った場合の教会の反応をおそれつつ、結局、ギリアムの提案をのむ。ちょうど同じ頃「シオン軍」にコレラが発生し、六八名がコレラにかかり、そのうち十四名が死亡するという災難に見舞われる。「シオン軍」によるシオン奪回作戦は失敗に帰した。帰還の直前、ジョセフはクレイ郡に逃げのびていた信徒たちと密会し、いずれジャクソン郡はすべて買い戻すという約束をし、主だった指導者を連れてカートランドに戻ったのである。

 義勇軍に参加した信徒一人一人に対するジョセフの負い目は、帰還直後に行われた神殿での儀礼に参加させたり、新しい組織のリーダーに任命したことにも表れている。またこの遠征に関しても、極秘裡にことを運んでいたなら失敗の釈明もいらなかったし、教会からの非難を浴びることもなかったであろうという反省は、その後、すべてのことを極秘に進めようとするジョセフの態度に現れてくる。しかもジョセフのなかに、目的は手段を合理化するという考え方、すなわち目的達成のためには、武力であろうと戦争であろうと、あらゆる手段が正当化されるのだという一人よがりの考え方が支配的になることを注意しておきたい。


前に戻る   次に進む

「素顔のモルモン教」へ戻る

HOME 「ようこそ」ページへ