高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 3 カートランド時代

紛争の激化


 ミズーリー州ジャクソン郡でのモルモン教徒と住民との摩擦が大きくなり、ついに住民が武力行使にでる。モルモンの印刷所を破壊し、モルモン教徒に対しジャクソン郡より出ていくように命じる。小さな紛争は頻度をまし、住民やモルモン教徒の死傷者、逮捕者がでるようになる。ジョセフの態度は曖昧で、明確な指示はなかった。モルモン教徒はミズーリー州知事ダンクリンに事態の打開を訴えるが、知事はモルモン教徒にまず郡の裁判所に訴えるよう回答する。そこでモルモン教会は四人の弁護士(リーズ、ドニファン、アチスン、ウッド)を雇い事態の収拾を計る。知事ダンクリン、副知事ボッグズ、弁護士ドニファンの努力にもかかわらず、事態は好転しなかった。住民もモルモン教徒も武装集団と化し、見張りをたて、急な事態に備えていた。やがてジャクソン郡から追い払われたモルモンたちは隣接するクレイ郡に集まっていた。

 一八三四年四月、カートランドの共同体が崩壊する。財産の分配が大きな問題であったが、指導者たちは土地や家屋などの分配に与かっている。この時にはジョセフは神殿の建設予定地を、リグダンは皮なめし工場を手に入れている。またこれ以前にも、ジョセフは立派な住居と、その他に二ケ所の広い土地をカートランド教会から与えられていたのである。

 この頃、最初の反モルモン文書『素顔のモルモン教』が出版され、モルモン教徒にたいしても大きなインパクトを与えた。気の弱い信者たちはカウドリやハリスに、はたして金版の一件は真実かどうかを尋ねるということがあった。これは内密だがとハリスは前置きし(ハリスもジョセフの書記をしていた)、いやあれはジョセフが酒をしこたま飲んで出来上がった代物なんだよ、と告白。異端のかどで評議員会にかけられたハリスは、いや酒をしこたま飲んでいたのは翻訳の前であった、と前言を撤回する一幕もあった。

 この事態にたいし、ブリガム・ヤングはつぎのように語り、信徒たちの気持ちを代弁したのである。「彼〔ジョセフ〕はわれわれが救済にあずかる教えをもたらしたのである。だからどんなふる舞いをしようと・・・毎日酒を飲もうが、毎晩隣人の妻たちと寝ようが、ギャンブルをしようが・・・構わないではないか。ただし、彼のもたらしたものはあなたがたと私、そして全世界を救済する教えなのである」(16)。

(16)Young stated on Nov. 9, 1856, Journal of Discourses, Vol. IV, p. 78


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