高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 3 カートランド時代

インディアン伝道


 この少し前に、ジョセフはパーリー・プラットとオリヴァー・カウドリをインでィアン伝道のために、さらに西の地方に派遣していた。プラットが帰郷し、デラウエアー族の伝道は首尾上々であったが、それ以外のインディアン伝道はいろいろな教派の宣教師たちから警戒されたため思うような成果を上げなかったこと、またミズーリー州ジャクソン郡は素晴らしい所であると報告した。

 ジャクソン大統領は、ミシシッピー川より東側にいるインディアンの強制移住法を制定し、一八三五年三月、ジョージア州北部に住むチェロキー族にたいし、西へ移ることを迫った。チェロキー族は、一八三八年十月、先祖からの土地を離れ、五ケ月の移動の後、今日のオクラホマにたどりついた。この強制移転により、一二〇〇〇人のうち、病気などで四〇〇〇人が命を落とした。そのためこの行程は「涙の道」とよばれた。こうしてチカソー、チョクトー、チェロキー、クリーク、セミノールという比較的大きなインディアン部族が、一八三〇年から一八三五年の間に、すべて強制的に移転させられた。これに従わなければ死が待っていたからである。クリーク族、セミノール族は移住に最後まで抵抗して敗れた。住居や生活の基盤、多くの命を失うことになったこの強制移住は、インディアンにとっては過酷な運命であった。ともかくこのようにして六万人のインディアンが力づくで移住を余儀なくされたのである。モルモン教徒による最初のインディアン伝道が開始されたのはちょうどこの頃のことであった。

 インディアンに対するモルモン教の態度、より正確にはジョセフ・スミスの態度は興味深いものがある。『モルモン経』は、レーマン(インディアン)はその昔、ニーファイ(白人)と兄弟であったが、レーマンの子孫はニーファイの子孫を滅ぼし、その罪により神に呪われ、黒い皮膚に変えられたという。これは旧約聖書におけるカインとアベルの物語のバリエーションである。つまりインディアンはもともと白人であったが、その悪事のため呪われて黒い皮膚にされたが、悔い改めてモルモン教の福音を受入れるなら再び白い皮膚になるという。このようにモルモン教においては、インディアンは兄弟でありつつ、同時に悪に身を堕とし、今は救済を待つ人々と信じられているのである。このためモルモン教会は早い時期からインディアン伝道を開始するのである。インディアンに対するこうした親近感が何に由来するかという点に関しては、明らかではない。

 ジョセフが信徒をインディアン伝道に派遣する際、インディアンの娘を妻とするように熱心に勧めていたということが最近明らかになった。インディアンとの通婚はインディアンを改宗させるための手段であったが、同時に、混血によりインディアンを生物学的に白い皮膚にする意図があったのである(また後には、インディアンとの友好を計るには、通婚が有効であると認識されるようになる)。しかし特記すべき点は、一八三一年七月、ジョセフは啓示を示し、たとえ妻がいても彼女に相談する必要などないから、できるだけインディアンの娘を娶るようと信徒に勧めたということである。このことはエズラ・ブース、サミュエル・ホイットニー、マーティン・ハリスにより記録されている(10)。最初の伝道の際にインディアンとの通婚があったかどうかは定かでない。しかしインディアンとの通婚は、その後もブリガム・ヤングやその他の指導者により熱心に勧められ、次第に慣習化していくことになる。

 これは少し後の話であるが、ウォレス・スミスという信徒が、勧めに従いインディアンの娘をひそかに妻とした話が記されている。インディアンの娘は若くまた美しく、その赤子はインディアンの子にしては非常に肌の白い可愛い子であったそうである。後日、事実を知った彼の妻メアリー・エッティー・スミスの驚きと憤慨をまえに、途方にくれたウォレスは使徒オーソン・ハイドに助けを求め、使徒ハイドが彼の妻を必死に説得するという出来事が記録されている(11)。モルモン教の多妻婚成立の経緯については改めて述べるが、モルモン教が生まれて数年のうちに、一種の多妻婚が実験されていたのである。事実ある研究者は、一八三一年七月の啓示をもってモルモン教の多妻婚の始まりとみている。

 ジャクソン郡の中心はインディペンデンスであるが、西部への玄関セント・ルイスからミズーリー川の四百キロ上流に位置し、東部からの道はすべてインディペンデンスに収斂し、そこからは南西千三百キロに位置するサンタフェに道路が延びていた。これがサンタフェ街道である。ジャクソン郡は、その後インディペンデンスに隣接してカンザス・シティが生まれる有望な土地であった。

 ジョセフは共同体の直面する危機を回避し人々の関心を逸らすために、すばやく啓示を示し、シオンの国建設のためと称し、ジョセフとリグダンを含め三〇名の者がミズーリー州へ出発したのである。


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