高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 3 カートランド時代

「エノク共同体」


 リグダンに刺激されて、ジョセフはカートランド教会を財産共同体として運営することを決断し、それを「エノク共同体」( United Order of Enoch)と命名し、さっそく実行に移した。そこでジョセフは神の啓示を示し、すべての信徒にたいし持てる財貨はすべて教会に奉納させ、そのなかから各自の生活に必要なものが再び分配された。いろいろな土地から流れてくる者、開拓や事業に失敗した無産者、つまりジョセフのようなほぼ無一文の者にとっては、じつにありがたいシステムであった。しかし土地や建物などの不動産を持つ信徒にたいしては、それを一度教会に捧げさせ、そののち貸与するという方法をとった。ただし信徒が、罪を犯してこれを悔い改めないならそのまま教会から追放され、財産は教会のものとされたのである。つまり一旦入信したなら、モルモン教に疑問を感じたり、指導者の意見と合わないなどの理由からモルモン教から離れようとすると、財産をすべて失うはめに陥り、事実上、棄教できないシステムが作られたのである。そしてこの方法が世俗の法律とも抵触しないよう、用意周到な準備がなされていた。

 こういう財産の管理と再分配、すなわち、各自が正直に奉納しているかどうか、各自がどのていどの分配に与かるべきかについては、監督の采配に委ねられることとなり、その最初の監督にエドワード・パートリッジ (Edward Partridge) が抜擢された。監督は共同体全体の必要をまかなう十分な生産、収入があるかどうか配慮しなければならなかった。また個人的に収入や生産を高めたい者は監督の認可を必要としたので、監督の権威は次第に絶大になっていった。また監督は土地の購入、事業の拡大、老人の世話、教会や学校の建設も任されていた。パートリッジは新しい信徒の一人であったが最初の監督に任命され、その後間もなく、ミズーリー州インディペンデンスにできた教会の監督として派遣されることになる。

 教会をカートランドへ移すやいなや、ジョセフは住居を要求する。一八三一年二月四日、ジョセフは再び啓示をしめす。

「・・・また、わが僕ジョセフ・スミスに、住みて翻訳の業をなすべき住居を一軒建てるべし・・・また、わが僕シドニー・リグダンには、わが戒めをよく守るなら、彼の善しとおもう生活をさせよ・・・」(9) 

 シドニー・リグダンはこの啓示に不意うちをくらった恰好になった。純粋な宗教共同体建設という名目で、信徒たちにはすべての財産を提供させておきながら、自分のためにはこのような要求をするジョセフにたいして、リグダンは怒りと怪しみを隠すことができなかったようである。その後リグダンがどういう行動にでたかは、ジョセフの母ルーシーの手記に述べられている。要するに、リグダンも神の名によって自分のために住居を建てるよう要求したのである。これを知ったジョセフは直ちに教会会議を開き、神の名をかりて偽りを述べたという理由でリグダンを裁いた。信徒はジョセフを神の預言者と信じていたため、リグダンにはこの争いに勝つチャンスはなかった。リグダンは神権を剥奪されたが、悔改めの後、再び神権が授けられた。この時、リグダンとジョセフとの間に早くも亀裂が生じたのであるが、相互依存の関係はつづけられた。

 この事件が明らかにしたことは、すべての資産・財産に関するジョセフの決定権の確立である。また、ジョセフは自分の資産をしだいに増やしてゆくことと、他の教会指導者たちもジョセフの範にしたがって個人の資産・財産を増すことが、歴史とともに明らかになっていく。一八三四年、カートランドの共同体が崩壊したときも、指導者だけは土地や家屋の分配に預かっている。

(9)『教義と聖約』41: 7-8


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