高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 2 ジョセフ・スミスの魔術時代

「最初のヴィジョン」


「・・・私は森の中へ人を避けて入り込んだ・・・それは一八二〇年の早春の朝であった・・・私は神に祈り始めた。・・・光の柱が現れ・・・私の上に留まった。・・・二人の御方が空中に立ち・・・その一人が私の名を呼びたまい、もう一人を指して『こはわが愛子なり、彼に聞け』と仰せられた・・・」(3) 

  モルモン教にとってもっとも重大な出来事の筆頭にあげられるものは、スミスの「最初のヴィジョン」と金版の入手であろう。結論を先に述べるなら、「最初のヴィジョン」はまったくの作り話かあるいは昔スミスが見た夢であり、『モルモン経』が刊行されたのち『モルモン経』を権威づけるための策として「最初のヴィジョン」が語られたのである。最近の研究によれば、初期の信徒は「最初のヴィジョン」を知らなかったという。また「最初のヴィジョン」についてのジョセフの記述は回顧的であり、また矛盾が多い。金版の物語も同様、『モルモン経』の成立を劇的に語るための、また人々のあいだに『モルモン経』を受入れられやすくするためのフィクションである。そして『モルモン経』は金版に書かれていた文字の翻訳ではなく、スミスの手になる創作である。そもそも金版などはじめから存在しなかったのだ。これが大方の歴史家の見解である。

 なぜ歴史家がこのような結論を下すのか、その理由をみてみよう。モルモン教の説話では一八二〇年、ジョセフ・スミスが一四歳のとき、父なる神とイエス・キリストが彼に現れたという。これがジョセフの「最初のヴィジョン」とよばれる物語である。しかしジョセフはこの経験について、その後ほぼ一〇年間沈黙し人に語った形跡がないが、それはなぜだったのか。これが第一の疑問。事実、モルモン教会の有力なメンバーとしてジョセフを支持していくジョセフの家族が、初期のヴィジョンの物語にも金版の物語にもまったく反応をした形跡がない。これについては、そういう出来事がまったくなかったか、あるいはそれがジョセフの夢であったにしても、その時点ではさほど重要な意味をもつ出来事ではなかったからであろう。

 第二に、この物語は語られるたびにその内容がくい違っている(4)。まわりの人間が脚色した話ならともかく、この物語は一八三一年から一八三九年の間に、直接ジョセフの口から三回語られ、その場で記録されたが、三回とも話しの内容が驚くほど違っている。ヴィジョンの中に現れた人物が一人だったり二人だったり、その人物がただの主だったりあるいは父なる神であったり、しかもジョセフがヴィジョンを見たという年齢も一七歳、一四歳、一九歳とあやふやである。またその後、彼に金版の場所を示した天使の名も、モロナイだったりニーファイだったりと、彼の記憶が鮮明であったとはいい難い。もしもこれがジョセフにとって決定的な経験であったなら、なぜ話すたびに話の内容が変わるのか不可解である。ただしこれが、ジョセフが宗教家として、聞き手に深い感動をあたえるために状況に応じて話しの内容を変えたということであれば、このような食い違いも納得できるのである。

 第三に、最近の研究ではスミスの母ルーシーと兄ハイラム、弟サミュエルは、一八二八年頃までは長老派の教会に熱心に通っていたが、その後、教会の礼拝や聖餐式からだんだん遠のき、そのため一八三〇年、とうとうその教会から除籍されたということが明らかになっている。一八三〇年は『モルモン経』が出版された年であり、五月には八人のメンバーでモルモン教会が設立された年である。したがって『モルモン経』刊行の時期と、ジョセフの家族が地元の教会から身を引いた時期とが見事に符号しており、これを偶然の一致と考えるのは不自然である。

 スミスの画期的な伝記を著したフォーン・ブロディー(カリフォルニア大学教授)が、まったく取り上げていないもう一つの事実がある。一八二七年九月、ジョセフは二一歳のときエマ・ヘイル( Emma Hale)と結婚したが、翌年六月の子供の誕生に前後し、ジョセフはエマの属していたメソジスト教会に通いはじめ、洗礼を受けたいと牧師に申し出ている。じつはジョセフはこの時、財宝探しに雇われてペンシルヴァニア州ハーモニーにきていた。そして五ケ月間ヘイル家に下宿をしていたが、その間にエマと恋におち、エマやエマの父の関心をかうために彼らの教会に通い始めたわけである。つまりハーモニーではジョセフは忠実なメソジストになろうと努め、自分の町パルマイラでは『モルモン経』の創作に没頭するという、一種の使い分けをしていたのである。

 こういう詐欺的、あるいは分裂的ともみえる彼の考え方や生き方も、ジョセフにとってはさほど矛盾することではなかったようである。ただし、これはモルモン教の伝える物語と大きく矛盾する。モルモン教の伝説では、ジョセフは一四歳のとき神がジョセフに現れ、どのキリスト教会にも行ってはならないと堅く注意された。そしてジョセフがメソジストに改宗しようとしていた年、ジョセフは精神的に成長したことが神に認められ、天使から金版を入手し翻訳を開始した、というのがモルモン教の説話である。そのジョセフが神の戒めを破ってキリスト教会に通っていたとなれば、神の眼からすれば、ジョセフははなはだ信用のおけない人物だったはずで、そういう人物が神によって預言者として選ばれたとすれば、その神は一体どんな神だったのか疑問をもたざるをえない。

 しかし神に会ったという物語も金版の物語も、あとに出来たフィクションであったと考えれば、この矛盾は解決するのである。ちなみに、ジョセフはエマの従兄から詰問され、受洗願いを撤回した。エマと同じメソジスト教会の会員だった彼女の従兄ジョセフ・ルイス夫妻の述懐によれば、つぎのようなことがあったという。

「・・・ジョセフ・スミスはとても真面目で謙遜なそぶりをみせた。何も知らない牧師は洗礼志願者名簿に彼の名前を記入した・・・一八二八年六月のことだったと思う。私は水曜日にジョー・スミス( ジョセフの通称) が教会員になりたいと願い出たと聞かされた。私たちは魔術や降霊術、占いをする者が興会に加わるのは不名誉なことだと思った・・・ある日曜日、たまたま父の店で(ジョセフ)スミスに会ったので、彼につぎのように話した。君の仕事も、生き方や考え方も教会の教えと合わないし、君の名前は教会には不名誉である、だから会員になる願いを撤回するか、あるいは生活を改めるという固い約束をすべきである。もしも撤回が不服であるなら、しかるべき調査を受け入れるべきだ、と。彼はその日のうちに、正式な撤回を選んだのである。」(5) 

ピーター・インガソル (Peter Ingersoll)はスミス家と親しくしていた人物であるが、彼の伝える話はたいへん面白い。インガソルによれば、結婚した妻エマの家具をペンシルヴァニア州ハーモニーからニューヨーク州マンチェスターに運ぶために、ジョセフはインガソルを雇いハーモニーまで赴いた。これはその時の出来事である。

「・・ジョセフの義理の父(ヘイル氏)はさめざめと泣きながら彼にこう語った。『おまえは私の娘を盗んで結婚をした。こんなことになるのなら、いっそうのこと娘と一緒に死んだほうがよかった。おまえはいつも財貨を探すために地面を掘り返しているが、石を覗きこむと何でもわかるというようなふりをし、そうして人々を欺こうとしているのだ』。ジョセフも涙をし、今ではもう石を覗いても何も見ることが出来なくなりました、いや、もともと何も見えなかったのです。以前の、石を見れば占いが出来るという自負はすべて偽りです、とヘイル氏に語った。そしてジョセフは、もう二度と財貨を発掘したり石を覗いたりはしないと誓った。ヘイル氏はジョセフに言った。もしペンシルヴァニアに来て生計をたてる気があるのなら、ちゃんとした仕事を見つけてあげよう。ジョセフはこの提案を受けいれた。それから私、ジョセフ、エマはマンチェスターに向かった。・・・
 帰途、ジョセフは私にこう語った。私(ジョセフ)は義父との約束を守るつもりである、だがそうするのは難しいだろう、というのは彼ら(ジョセフの家族)は全員財宝の発掘のために私に石を覗くことを求めているから、これには反対するだろう。実際、ジョセフの言う通りになった。彼の家族は、来る日も来る日も、以前のように石を覗きこむ仕事につくようジョセフを説得したのである・・・」(6)   

 普段のジョセフは、自分のしていることが偽りであるとけっして告白することはなかったが、ある人には自分の本心をさらけだしたようである。あるいはジョセフ自身こうした空想の世界で魔術師を演じる自分と、それを現実的な眼で眺めている自分とを演じわけていたとも考えられる。そうして義父の前では魔術の仕事をすてたいと真実に願い、家族や知人たちの前では占い師、魔術師としてふる舞い続けるという生活をしていたのである。

 もう一つの点は、夢とヴィジョンの混同である。つまりジョセフにとって夢とヴィジョンは同義語であって、厳密な言葉の使い方をしていない。そればかりでなくジョセフも彼の家族も、夢・空想と現実とを区別していた形跡がない。つまり言語上の混乱と同時に、認識あるいは認知上の混乱があった。すでに述べたように、こういう夢と現実との混同、あるいは空想と現実との混乱は、生涯にわたるジョセフ・スミスの特長として、忘れてはならないことだとブロディーは言う。

 たとえば、ある霊が彼らを隠された財宝へと導くが、悪霊がそれを邪魔する。仕方がなく子羊を生贄としてささげるなどの「魔術」を用いて悪霊を追い払おうとする。しかし「魔術」の手順が適切でなかったため、結局、財宝は手に入らなかった。ジョセフも彼の父も、幾度となくこのような話を家族や友人に聞かせ、人々はそれを真実の出来事として信ずるという世界に生きていたのである。

(3)末日聖徒イエス・キリスト教会『予言者ジョセフ・スミスの証』 1987 年、『モルモン経』の「モルモン経の起源」を参照
(4)Brodie, op. cit., pp. 405 - 409
(5)The Anboy Journal, April 30, June 11, 1879 cited from Marvin W. Cowen, Mormon Claims Answered ( Marvin W. Cowen, 1989 )
(6)Eber D. Howe, Mormonism Unvailed,(Painsville, Ohio, 1834) pp. 232ff


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