高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 
「説話」にもとづくモルモン教の歴史


 一八〇五年一二月二三日、ヴァーモント州シャロンにてジョセフ・スミス誕生。父もジョセフ・スミスという名であったから、彼はジョセフ・スミス・ジュニアとよばれた。その後、スミス一家はニューヨーク州に移転する。

 一八二〇年、ジョセフが一四歳のとき、二人の輝ける人物が彼に現れたとされている。この二人の人物とは父なる神とイエス・キリストであったという。この時、今あるキリスト教会はすべて悪であるから、これには加わってはならないと諭される。

 一八二三年九月二一日、ジョセフが一七歳のとき、モロナイという名の天使がジョセフに三回現れたとされている。モロナイは古代アメリカに住んでいた人々の歴史を刻んだ金版を示すため、神から遣わされたのだという。この金版には、その文字の翻訳のための二つの石(ウリムとトンミム)が備えられていた。翌日、ジョセフはクモラの丘中腹に埋められていた金版を見つけるが、ジョセフがふさわしい人間になるまで待たねばならない、と天使に告げられる。

 一八二七年九月二二日、ジョセフ(二一歳)は金版をもち帰る。一八二九年四月七日、ジョセフ(二三歳)は「ウリムとトンミム」を用いて金版の翻訳をし、書記オリヴァー・カウドリがこれを記録し、このようにして『モルモン経』が出来あがる。

 最初、三人の人物が実際に金版を見たと証言していた。オリヴァー・カウドリ、マーティン・ハリス、デイビッド・ホイットメアーである。この他にも八人の人物が『モルモン経』は真実であると証言していた。

 一八三〇年三月、『モルモン経』の初版が発行される。一八二九年末あるいは一八三〇年始め、ペテロ、ヤコブ、ヨハネがジョセフとカウドリに現れ、「メルケゼデク神権」を二人に復元したとされている。この神権を与えられたのち、一八三〇年四月六日、ジョセフ・スミスはモルモン教会を、ニューヨーク州フェイアットに設立する。 

 一八三二年、オハイオ州カートランドに、二つめの教会「エノク共同体」ができる。このカートランドでは、重要なことがいくつかある。

 一、ジョセフは神からの啓示を受け、酒、たばこ、熱い飲み物などの摂取を禁ぜられる。

 二、一八三六年、最初の神殿がここカートランドに建てられる。

 三、ブリガム・ヤングという新しい改宗者を得る。

 その後、ミズーリー州で教会内部での分裂・分派と外部との紛争のため、多くのモルモン教徒が殺される。またミズーリー州リバティーにてモルモン教の指導者たちが投獄される。裁判の行われる場所が変更になり、その護送中ジョセフとその仲間が逃亡し、ミシシッピー川をこえ、イリノイ州のノーヴーに逃れ、そこに町をおこす。

 ここノーヴーにて、ジョセフ・スミスとその仲間は繁栄する。しかし内部での意見の衝突がおこり、教会の反体制派がリーダーたちの「多妻婚」を暴露する。スミスは反体制派の印刷工場を破壊するが、ノーヴー市を包囲した軍隊から遁走する。恐怖におののくモルモン教徒たちがスミスに、戻ってきてこの危機的状況を打開するよう懇願する。スミスは逃亡をやめ帰還し、暴動のかどで逮捕され、カーセージ刑務所に入れられる。

 最初の聴聞会の前夜、暴徒が刑務所を襲い、ジョセフ・スミスとその兄ハイラムは銃弾に倒れる。こうして神の預言者ジョセフは殉教の死をとげる。

 ノーヴーに残されたモルモン教徒たちは、ブリガム・ヤングに率いられ、現在のユタ州に移住し、そこにソルト・レーク・シティーをおこす。その砂漠のなかから、今日「末日聖徒イエス・キリスト教会」、俗に「モルモン教会」とよばれる一つの帝国が出現することになるのである。


前に戻る   次へ進む

「素顔のモルモン教」へ戻る

HOME 「ようこそ」ページへ