高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


T 素顔のモルモン教 −14 モルモン教の課題


 モルモン教の今後の課題を、外部の研究者として一言述べておきたい。モルモン教がアメリカのみならず、世界の宗教として生き残るためには、是非とも解決しなくてはならない課題がいくつかある。秘密主義を改め、情報公開を進めること。鉄のヒエラルキーを廃止し、より民主的な組織と運営を始めること。女性にも神権を与え、女性解放のための運動を許容すること。形だけの差別撤廃ではなく、真の人種差別の撤廃を目指すこと。そしてモルモン教の信仰と世界観を広く知ってもらい、モルモン教の進む方向を明らかにすること、などである。以上の点について簡単にコメントしておきたい。

秘密主義から情報公開へ

 モルモン教の歴史研究をする際、もっとも困ることの一つは、モルモン教の秘密主義的あり方である。モルモン教本部は膨大な歴史資料や文書を持ちながら、その多くをモルモン内部の研究者にたいしても閲覧を許可していない。こういう秘密主義は、長い目でみればモルモン教にとって決して好ましいことではない。すでにモルモン教徒のなかに歴史学その他の分野で、多くの優秀な研究者が育っており、モルモン教にかんする学術的研究がなされている。しかしモルモン教本部は、特定の分野については情報の秘密主義という方針を守り、そういう分野の研究にたいしては学問的自由を許容していない。

 また、モルモン教の明るいイメージを広げるために、過去の歴史から都合の悪い部分を払拭することを試み、貴重な自分たちの歴史文書を大々的に改讒・変更しているが、これも長い目でみればモルモン教にとって決して好ましいことではない。

 モルモン教会は、過去を一度徹底的に清算し、過去へのこだわりを捨てるべきである。モルモン教会は自分たちの歴史を公開せずに、人々からの信頼を得ることはできない。たとい過去において失敗や忌まわしい出来事があったとしても、それを公開し、自らそれを直視する姿勢こそ、人々からの信頼をかち取る道ではないだろうか。秘密主義をとり続ける限り、モルモン教はどこか胡散臭い宗教として、あるいはカルト集団として位置づけられることに甘んじなければならないであろう。

絶対的権力から民主化へ

 モルモン教会は、真の意味で民主化されなくてはならない。大管長はカリスマ的預言者として、モルモン教徒の上にほとんど専制君主のように君臨し、すべてのことに関する絶対祢権限が与えられている。しかし絶対的権力は必ず腐敗を生みだすのである。教団の利害よりも個人的利益を最優先していくという意味での腐敗は、モルモン教の歴史の早い段階から次第に顕著になったことである。ただし預言者としての大管長が、モルモンの知識人や研究者たちに発言・発表の自由を保障することが、モルモン教の民主化の第一歩ではなかろうか。

 さらに教会経営についても同様である。つまり金銭上の民主化である。ある研究によればモルモン教会は、教会とは別法人をつくり、モルモン教会に毎年集まる信徒たちの献金を別法人に移し、そこが財務管理をしているということである。別法人であれば、教会とは無関係に資金の運用が可能になるからである。モルモンの指導者はこの資金を用いて、不動産や株の売買、投資、企業の買収などに広く手をだし、巨額の収益を得ているそうである。しかしこの巨額の収益は直接会員には還元されていないから、誰の懐に入るのかが問題なのである。世紀転換期にアメリカ議会上院の調査で明らかされたことは、大管長をはじめとする少数の指導者が、モルモン教会が関係する多くの会社・事業の社長や役員としてかかわり、巨額の報酬を得ていたという事実である。イエール大学のハロルド・ブルーム教授は「モルモン教はブルジョワ帝国を作るために、モルモン主義を台無しにした。これはアメリカ宗教の敵であり、アメリカ精神を窒息させつつある」と批判したが、この批判は正鵠を射ている。モルモン教会は、こうした不透明性を極力排し、民主的方向に進むべきではないだろうか。

女性の解放

 モルモン教会は過去、アメリカ社会の外圧により、不承不承ながらさまざまな妥協を余儀なくされるという経験をしてきた。一つは多妻婚の廃止であり、もう一つは黒人への差別撤廃である。それぞれの妥協の背後には、共和党とか公民権運動などの外圧が存在した。多妻婚の廃止は、そのまま女性の権利を保証することにはならなかった、女性と男性は利害が一致すると考えられ、女性にも参政権が必要であるとの認識がなかったからである。アメリカでは女性への参政権は、黒人男性より後回しにされたのである。

 モルモン教会における神権にかかわる歴史も同様である。神権は永い間、白人男性にたいしてのみ与えられてきたのである。モルモンの女性は、福祉プログラムなどの活躍の場はあるが、しかし重要案件での決定的発言権を持っていない。モルモン教会は、現実においては男性宗教であり、要職はすべて男性により占められている。

 神権は、いわばモルモン教における参政権であり、女性にたいしてはそのもっとも基本的権利が未だに否定されたままなのである。これは端的には女性差別である。モルモン教会のなかからもようやくフェミニストが現れたそうであるが、ごく最近、教会はそれらフェミニストを破門にしたという(一九九三年に雑誌・編集者ラヴィーナ・アンダースンの破門に続き、翌年、作家ジャニス・オーレッドが、その著作のために破門された)。女性が権利を獲得するのは時間の問題であると思うが、女性の権利や主張を無視しつづけるモルモン教は、その抑圧的体質をいまだ自覚していないようにみえる。

人種差別の撤廃

 モルモン教会は、建前としては人種差別にピリオドをうち、黒人にたいしても神権を付与し、黒人との通婚も許可されるようになった。このこと自体は画期的なことであり、賞賛されるべきことである。しかし、モルモン教の人種主義は百数十年の歴史をもち、モルモン教徒の骨の髄まで染みこみ、いわば体質の一部と化しているもので、おいそれと変わることのできるものではない。六〇年代、公民権運動がすすみ、アメリカにおける人種統合が実現するにつれ、アメリカ南部の「分離主義者」とよばれる保守的な体質をもつ差別主義者たちが、人種主義の総本山とでもいうべきモルモン教会へと大挙して入信するということが起こった。モルモン教が公民権運動に最後まで抵抗したからである。このようにモルモン教は、南部のこちこちの人種主義者をさえ引きつける体質をもっている。この体質は簡単には変われるものではない。それはクー・クラックス・クランに代表されるアメリカの超保守的グループを想起するだけで、事態の深刻さが理解できよう。アメリカは奴隷解放令から百年の月日が流れている。にもかかわらず、アメリカ社会から差別や人種主義はなくなってはいないのである。

 人種主義を廃止してからまだ僅か十数年しか経っていないモルモン教に、完璧さを求めるのも酷な話であるが、人種主義廃止の宣言と、メンタルな変化、あるいは体質の変化とは別ものであるということを知るべきである。たとえば、ブリガム・ヤング大学で学んでいるアフリカ人や他州からやってきた黒人は、いろいろな意味での差別や居心地の悪さがあるという報告は、ある意味では予期しうる報告である。また、ユタ州の有能な黒人はそこに留まっていては仕事のチャンスがないため、州外に出ていくという。経済的、社会的差別をどのように解決するかが、モルモン教の真の課題である。

 モルモン教における人種主義の廃止はあまりに突然のでき事であったため、その反動が心配になる。つまり、一部白人モルモン教徒の超保守化現象であり、モルモン教会のなかにクー・クラックス・クランのようなグループが出現することである。もしそうなれば、建前としての人種主義廃止も、実質的には無効になるからである。これがたんなる個人的な危惧の念でしかないことを願うばかりである。

モルモン教はどこへ向かうのか

 最後にモルモン教に対して希望することは、モルモン教の教理を内外に明らかにすることである。モルモン教が信じていること、もっとも重要な教え、将来のヴィジョンなどを明瞭な形で示し、モルモン教にたいする人々の理解を深めてもらうことである。つまり素顔のモルモン教を人々に見せるべきだ、ということである。

 秘密主義という方針は撤廃されるべきである。信徒が、自分たちの信じる宗教がどんな宗教なのか、どんな教理を信じているのか、秩序だてて教育されていないことは残念なことである。また、モルモン教とキリスト教の相違点も明らかにすべきである。今日にいたるまで、信仰の核心を信徒にたいしてさえも秘密にしているからである。 

 またモルモン教は、その将来のヴィジョンを明らかにすべきである。近年、モルモン教はビジネスとマネー・ゲームが主要関心事であるかのような印象を与えている。世界中への宣教師の派遣も、新しく獲得した信徒からの献金が目当てではないのか、という口汚い非難の声もある。英国の新聞、ガーディアン・ウイークリー紙(一九九二年七月五日)によれば、モルモンの宣教師は派遣された土地でビジネス・チャンスを伺っているという。南太平洋・西サモア諸島は『宝島』の作家ロバート・スティーブンソンが晩年をそこで過ごし、亡くなった島である。サモアの人々はスティーブンソンを「偉大な語り部」として深い尊敬の念を抱いている。この島にもモルモンの宣教師がやってきて、今日九〇名のモルモン宣教師が、毎月平均八五名の信者を獲得しているという。西サモアには、八五のモルモン教のチャペルがあり、一つのチャペルには四〇〇人、合計三万四〇〇〇人のモルモン信徒がいることになる。

 スティーブンソンが暮らした邸宅は、サモアの住民に寄付され、今日では西サモアの迎賓館として使用されている。しかし二度にわたるサイクロンで、五億ポンド(約一〇〇〇億円)の被害をだし、スティーブンソンの邸宅も崩壊寸前の被害を被った。しかしサモア人の中にこれを再建できる資産を持つ者は一人もいなかった。地元のジャーナリストによればこの時モルモンの宣教師の一団が「サイクロンのように素早くやってきて、西サモア政府と取引をした。サモアの人間はそんなに急いで考えることはできないのに、モルモンの宣教師は強引にビジネスをまとめた」そうである。モルモンの宣教師たちがまとめたビジネスとは、スティーブンソンの邸宅を修復する代わりとして、西サモアの(観光)開発の権利を、向こう六〇年間、年額一ドルまたはココナッツで譲渡する、また、ケーブルカーや博物館を建設することによる観光客からの収益には課税しない、というものである。開発とは縁のなかった南太平洋の無垢の楽園が、また一つ文明の害毒に侵されることにたいしてサモアの人々は何もできないのである。ローマ・カトリックのサモア人枢機卿ピィオ・タウフィヌウ氏はこのように語る。「彼らはクリスチャンではありません。彼らは島の人々を洗脳しているのです。彼らはビジネスをしているだけです。彼らは人々をモルモン教に入るように勧誘し、そうして収入の一〇パーセントを永遠に強要するのです。サモアやトンガの貧しい島民を犠牲にして、ソルト・レークのある人々はさぞ裕福になっていることでしょう。これは阻止されるべきです・・・」。

 これにたいするサモアのモルモン教の責任者トレグローン氏の応答はこうである。「嫉妬ですよ。われわれが彼らの縄張りに侵入しているからですよ。この島々は永い間、カトリックやメソジスト、イギリスからの宣教師から金を巻きあげられていたんです。われわれは後からやって来て宣教すると、人々が群がってきたんです。見て下さい。今じゃどこにでもモルモン教のチャペルがありますよ。すばらしいとは思いません?」。件のビジネスについては、「彼らは宣教師じゃありません、ビジネスマンです。それに、たまたまモルモンだっただけですよ。モルモンは働き者ですからね。教会の金をビジネスに利用しているわけではありません。それは孤児や未亡人のために使われるべきです」という答えである。以上がガーディアン・ウィークリー紙の記事である。

 残念ながら、サモアの不幸が先進国の裕福な人間の金儲けに利用される結果になった。しかしこの話は、チャンスを利用したのがたまたまモルモンだった、そういう単純な話しなのだろうか。モルモンの宣教師がかかわる似たような事件は、南太平洋諸島のみならず、中南米の国々、特にインディオの村々でも起きているという報告がある。こういう時にこそ、モルモン教の指導者はリーダーシップを発揮し、信徒の行動を指導すべきではないのか。人の弱みにつけ込むことはモルモン教会の真の意図ではないはずである。そうでないなら、モルモン教会は、その方針を世界に明らかにすべきであろう。

 しかし事実、これは宗教による新たな南北問題であり、経済的搾取以外の何ものでもない。豊かな教団が、貧しい国々の信徒を利用する形になっているからである。真のキリスト教はいつの世も、虐げられ、貧しい人々の側に立ち、彼らを慰め、励ましてきたのではなかったか。実際、中南米の国々で宣教活動をしているカトリックの神父たちは、おそらく永遠に搾取され続けるに違いない農民や労働者の側にたち、搾取され続ける状態から彼らを解放するため、命懸けで働いているのである。これこそモルモン教会が模範とすべきキリスト教の姿ではないのか。

 西サモアの事件は、不幸な事件といわざるを得ない。搾取される貧しいサモア人にたいして何の同情心も示さないモルモン教の指導者の言葉は詭弁であり、説得力がない。モルモン教会が、これら貧しさに打ちひしがれた人々にたいしてどういう態度を取るのか、問題を抱えて苦悩する人々にたいしてどういう態度を示すのか、世界中の目が注がれているのである。モルモン教が一体どこに向かって進むのか、態度で示すべき時がやってきているのである。

<注>

19941211日付のシアトル・タイムズ紙によれば、モルモン教会の最も新しい統計(1993 ) に従えば、世界中のモルモンの会員総数は八七〇万人であり、そのうちの約三十一パーセント、二七〇万人がラテン・アメリカ(中・南米)の会員である。近年、モルモン教会が最も会員数を伸ばしている地域はラテン・アメリカである。1980年では、ラテン・アメリカの会員数は七〇万人(会員総数四六〇万人の十五パーセント)にすぎなかったが、この十数年二〇〇万人、三倍もの信徒を獲得したことになる。


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