高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


T 素顔のモルモン教 − 9 元老政治の伝統


 一九九五年五月、八四歳のゴードン・ヒンクリー氏がモルモン教会の十五代大管長に就任した。十四代大管長ハワード・ハンター氏が、大管長就任の九か月後、病気で八七歳で亡くなったからである。モルモン教会には、教会をその時代にふさわしく導く「生ける預言者」の存在が不可欠であるが、大管長ハワード・ハンター氏や、その前任者、十三代大管長エズラ・タフト・ベンソン氏のように、大管長に就任する時点で、病気だったり、老衰やボケが始まっていることもあり、「預言者、先見者、神の啓示の受け手」としての大管長の責任を果たすことが、ほとんど出来ない場合もある。建前の上では、大管長がモルモン教会のあらゆる事柄を指導し、決定を下すことになっているが、実際には、神の啓示を受けることはもとより、現実の教会政治の指導すらおぼつかない状態で、大管長が教会のたんなる飾り、看板としての役割しか果たしていないことが多い。

 戦後の指導者の顔ぶれをみてみると、デイヴィッド・マッケイは、七七歳で大管長に選出され、九六歳になるまでその地位にあり、ジョセフ・フィールディング・スミスは、九三歳から九五歳まで大管長の地位にあった。ハロルド・リーは、七三歳から七五歳までの二年弱の期問大管長を勤め、スペンサー・キムボールは八五歳で大管長に就任し、九〇歳で亡くなった。戦後最大の指導者と目されるエズラ・タフト・ベンソンが八六歳で大管長に就任したときには、すでに老衰と老人ボケが始まっていて特別な看護を受けていたほどで、次第に周りの人々すら識別できなくなったという。この状態を見るに見かね、大管長の孫スティーヴ・ベンソンは、大管長として機能できない人物をただの飾りとして大管長のポストに据えておくモルモン教会のあり方を批判した。ベンソンは亡くなる九五歳まで大管長の地位にあったが、この間ほぼ十年間、実際の教会政治を行ったのは「恍惚の人」となった大管長ベンソンではない。

 歴史家マイケル・クインの研究によれば、教祖ジョセフ・スミスは後継者の選任の方法を考えていなかったという。スミスの死後、後継者をめぐる争いと西部への大移動という混乱のなかで、ブリガム・ヤングや使徒たちに従ってユタに移住したのは、すべてのモルモン教徒の半分にすぎなかったという。このためヤングは、再び後継者争いで分裂が起こることを怖れ、以後、大管長の選出は指導者としての「手腕」ではなく「年功」によると規定したそうである。元老政治の伝統は、このようにして始められたのである。実際、次の大管長には十二使徒のなかの最年長者、ジョン・テイラーが選ばれている。

 このように、モルモン教会において最も重要な役割を担う大管長が、四、五〇歳代の若い世代ではなく、思考力と判断力が著しく衰退する八○歳代、ときには九〇歳代の老人であることが、どのような深刻な事態をひき起こすかは容易に想像できよう。モルモン教会が時代に適応できず、微妙な社会問題にたいして敏感に反応ができないという顕著な老化現象をみせているのは、無理からぬことである。今日のモルモン教会の保守化現象、教団の閉鎖性・閉塞状態の原因の一端は、案外こういうところにあるのかもしれない。


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