高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


T 素顔のモルモン教 − 
3 「啓示」が最優先される宗教


 大管長自らが直接、神に代わって語るということは、正典があっても正典には規定されないということであり、正典は事実上、無意味になる。したがってモルモン教ではその時その時に示される啓示が優先され、『聖書』や『モルモン経』は二の次になる。極論すれば、モルモン教の大管長は無限に神に近い存在であり、正典のみならずこの世の政府や法をふくめ、すぺてのものから自由な存在なのである。実際、過去の歴史をみれば『聖書』や『モルモン経』と矛盾する啓示が示されてきたし、おそらく今後も同様であろう。啓示が『モルモン経』に優先されてきた例はいろいろあるが、その好例が「多妻婚」である。参考までに、啓示と多妻婚の関わりを簡潔に述べてみよう。

 モルモン教を創立した当初、多妻婚は異教徒の慣習として非難されていた。この非難されたはずの多妻婚が、数年後には、ジョセフ・スミスを中心にごく一部の指導者によりひそかに実行されていった。しかし多妻婚にかんする神の啓示はなかった。極秘のうちにつぎつぎに妻を娶る指導者たちの動きは、次第に噂として広まっていったが、指導者たちはそのつどこれを公に否認してきた。噂が否定できないほど明らかになったとき、多妻婚が神からの命令として示され、こんどは驚き怪しむ信徒たちを無理やり納得させた。このようにして多妻婚はモルモン教の中心的教義・最も神聖な原理として、ジョセフ・スミスの時代に確立する。しかしこの教えをモルモン教からの逸脱と判断した一部のモルモン教徒は、多妻婚を斥け、ジョセフ・スミスの息子ジョセフ・スミス三世を中心として「復元・末日聖徒イエス・キリスト教会」を結成した。

 さて、多妻婚は二代目大管長ブリガム・ヤングとそのグループによりひき継がれ、ユタの地で隆盛をきわめることになる。しかし多妻婚は連邦法と抵触するため、連邦政府はこれを看過することができなかった。他方、モルモン教会はこれを宗教にたいする干渉と受けとめ、モルモン教と連邦軍との「ユタ戦争」に発展する。連邦軍からの多数の犠牲者を出した後、ついにモルモン教会は敗北し、ユタは連邦政府の監督下に置かれる。こういう状況下でモルモン教の指導者は、政治的自由(州への昇格)か多妻婚の存続かの選択を余儀なくされ、四代目大管長ウィルフォード・ウッドラフは、一八九〇年、神からの啓示として多妻婚の廃止を「宣言」し、また、多妻婚を続ける者は教会から破門すると明言した。それにもかかわらず、指導者たちは極秘のうちに新たに多数の妻を得、信徒にも多妻婚を許可していたのである。つまり多妻婚廃止「宣言」は、たんなるカムフラージュにすぎなかったのである。

 一九〇四年、合衆国上院は調査を開始し(リード・スムート事件)、多妻婚廃止「宣言」後も多くの指導者がひそかに多妻婚を続けていたことが、信徒や指導者の証言から明らかにされたのである。事実、五代目大管長ロレンゾ・スノーは、逮捕を逃れるため妻たちと逃亡生活をつづけ、旅先で他界した。また六代目大管長ジョセフ・F・スミスは、多妻妻にかんする連邦法違反のかどで有罪になっている。その後法的規制のもとに、多妻婚は次第に自粛され、内面化されていった。かつて「天的結婚」という教義は文字通りの多妻婚を意味したが、今日では精神的な意味での多妻婚とされ(彼らは神殿において精神的多妻婚を結んでいる)、いずれ復活される「千年王国」での多妻婚を意味するようになっている。つまりモルモン教徒の夢みる彼岸の世界は、多妻婚の世界である。ただし、あるモルモン教の一派は、昔からの教えをそのまま信じ、多妻婚をもっとも神聖な原理として堅く信じ、ソルト・レークのモルモン教会から脱会して新しい教団をつくり、今日にいたるまで多妻婚を継続している。(下記参照) 

 多妻婚にたいするモルモン教の教派による態度の違いは、モルモン教の歴史を忠実に反映しているのである。「復元・末日聖徒イエス・キリスト教会」はもっとも初期のモルモン教を代表し、多妻婚を恥ずべき慣習とみなし、多妻婚を斥ける。「モルモン・ファンダメンタリスト」−モルモン原理主義者−と呼ばれる一派は、多妻婚を最も神聖な原理としていた時代のモルモン教を代表し、今日にいたるまで多妻婚を継続している。ソルト・レークのモルモン教会は、今でも多妻婚をもっとも神聖な原理としつつ、しかし政治的判断からこの世での多妻婚を断念し、多妻婚は来たるべき世界での結婚形態と教えている。以上の多妻婚の例からもわかるように、モルモン教においてはもっとも神聖な教理・原理であっても、状況に応じて示される啓示によって変化を余儀なくされるのである。

 モルモン教はカリスマ的預言者によって導かれ、つねに変容する宗教である。したがってモルモン教には正典は必要ではない。モルモン教では、『聖書』や『モルモン経』は信仰の基準とすべき書
物ではあるが、現実的運用のレベルでは、あくまでも補助的なものである。そういう意味で昔から信徒にたいしては、『聖書』や『モルモン経』を学び自ら直接神に祈ることよりも、とにかく指導者に従うことが勧められてきた。教理の一貫性よりも、指導者への一貫した服従や忠誠が強調されてきたのである。

 1994年8月20、28日付のソルトレーク・トリビューン紙によれば、ジム・ハームストンに導かれるグループがモルモン教会から脱会し、ユタ州の中央、サンピート渓谷に、約千人の信徒からなる「真の活ける末日聖徒イエス・キリスト教会」と命名されるモルモン教の一派を設立した。このグループの男性のうち半数は二人以上の妻を持ち、多妻婚と間近な終末の到来を堅く信じているそうである。彼らはモルモン教を、世俗に迎合する堕落したモルモン教であると言う。サンピート渓谷には、数十に上るモルモン教の分派が人知れず静かに生活している。

 多妻婚を続けている人々は、自らを「(モルモン)原理主義者」とよび、その数は三万人で、おもにユタ、アリゾナ、モンタナに住んでいるという。Richard S. Van Wagoner,Mormon Polygamy, History (Salt Lake City, Signature Books, 1989) p. ix

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