「教会歴史」の真実


会員の信仰を維持し、鼓舞するという目的のもと、歴史を改竄するというのは教会の公式な方針である。目的が正しければ「ウソ」という手段を使ってもよいことを公式に認めている。

十二使徒の一人、ボイド・K・パッカー長老は、「決して病原菌を撒き散らしてはならない!」という説教の中で、以下のように発言している。

私のみたところ、教会員の多くが教会とその教義、組織、指導者を、過去から現在にわたって、自分の専門分野のやり方で判断しようと多くの時間を費やして学問的な研究を行い始めているようである。・・・しかし私の考えでは、それはやり方が反対なのである。・・・みなさんが教える目的は、彼らが教会の始まりから現在に至るまで、あらゆる時にわたって教会を導いた主の御手を見出すこととすべきなのである。・・・御霊を無視して教会の正確なあるいは客観的な歴史などというものはあり得ない。・・・教会歴史は大変興味深く、信仰を築く上でこの上もなく強力に霊感を与えてくれるものである。しかしもし不適切に記述され、あるいは教えられると、信仰を破壊することにもなりかねない。・・・教会歴史の記述者や教師は、その内容がふさわしいか、あるいは信仰を鼓舞するかどうかに関わらず、すべてを語りたいという誘惑にかられるものである。しかし真実であっても有益ではないというものもあるのだ。("Brigham Young University Studies", Summer 1981)

歴史的事実をありのままに記述することが、信仰を鼓舞しないまでも、どうして信仰を破壊することにまでつながってしまうのか、非常に不思議である。教会は今まで、よほどおかしなことを行っていたのではないかという疑いを抱かせるのに十分な発言である。

一方、高名な教会歴史研究者であったD・マイケル・クイン氏は、パッカー長老による警告に対して、以下のような疑念を表明している。

パッカー長老が、かつて出版されたからと言って再版するとは限らないと警告したことについて、クイン氏は、かつて教会幹部が信仰を鼓舞し、「子供と新会員のために適切」だと判断して出版を承認した書物を再版した個人を教会幹部が批判することは「奇妙な状況」と評している。("The Seventh East Press, November 18, 1981")

どのような出版物を承認し、承認すべきでないかという点で、教会の判断基準が変化してきており、教会歴史に関する著作では、以前よりもこのような検閲行為が強化されている。教会歴史が抱える深刻な問題に、教会自身が気付いてきたことの表われと考えられる。

パッカー長老はさらに続けて言っている。

もしすべての事柄を伝えなければならないという極端な信念を持っているとするならば、それは自分自身の判断基準のみに従っていることになる。("Brigham Young University Studies", Summer 1981)

クイン氏の反応は以下の通りである。

クイン氏は、モルモン教会歴史研究者がパッカー長老の言うところの「ふさわしくなく、宗教教育上芳しくなく、衝撃的」な事柄を避けて通ることは、正直さと専門家としての誠実さに欠ける行為であり、「教会の大義への背信」だと語り、さらに教会とその歴史研究者は正当な批判に正々堂々と対処すべきだと述べた。("The Seventh East Press, November 18, 1981")

しかしパッカー長老はそのように考えていない。

たとえ事実であったとしても、性急に、またはタイミングをわきまえずに教えることは、学習に伴うべき喜びをもたらさず、むしろ悲しみや心痛をもたらしてしまう。・・・聖典はわれわれに、肉を与える前にミルクを与えよ、と教えている。主は、ある事柄については選択して教えるべきであり、ある事柄についてはふさわしい者にだけ教えよと明言しておられる。("Brigham Young University Studies", Summer 1981)

情報公開をよしとしないパッカー長老に対し、あくまでもクイン氏は反論する。

パッカー長老の、モルモン歴史研究者が「高度な(信仰を要する)情報を提示する前に基本を提示すべきこと」を無視しているという非難に対してクイン氏は、パッカー長老が実際に行っていることは「歴史的事実を徐々に公開していくのではなく、その可能性をも排除する」ことだと主張している。「ミルクだけでは子供を殺さないまでも、成長を阻害する」とクイン氏はみている。("The Seventh East Press, November 18, 1981")

今やパッカー長老は、中立かつ客観的であろうとする学問の尊厳をも侵し、宗教を学問に介入させようとしている。

客観的で公平で学問的であろうという努力にあたっては、敵についても同様に時間を費やすということは賢いことではない。
教会では、われわれは中立ではないのである。われわれは片方の味方なのである。戦争が行われており、われわれは戦争の当事者なのである。それは善と悪の戦争であり、われわれは善を守る戦争当事者なのである。したがって、われわれはイエス・キリストの福音に示されている全てを守る側に立つべきであり、そのようにする誓約を交わしているのである。聖典にも教会出版物も、われわれが敵との戦いの最中であることを確信させている。教会も教会員も、敵とのこの戦いに譲歩するいわれはないのである。("Brigham Young University Studies", Summer 1981)

クイン氏は学者としての良心をかけて反論する。

クイン氏はまた、パッカー長老が反モルモンに利用されるような情報をすべて否定する教会歴史とすべきだと主張しているとを非難している。「この判断基準を用いるならば、旧約聖書のほとんど、ヨハネによる福音書、そしてパウロの手紙の多くは聖書に収録されていてはいけないことになる」とクイン氏は述べている。("The Seventh East Press, November 18, 1981")

パッカー長老は、宗教と学問との区別がつかなくなっている。

最後の警告として申し上げたいのは、既に出版され、別の情報源から入手できるのだから、それらを用いて書いたり話したり教えたりすることは差し支えないという考え方についてである。
そこには誤りがある。
それらの情報が流布されていることについて、みなさんはまだ注意が不足している。まだそのような高度な歴史的事実に接するには未熟な者たちが目にする可能性があり、芽生えたばかりの段階の証は潰れてしまうかも知れないのだ。
われわれはみなさんが生徒達に対して、教会から道をはずさせようという者の見解ではなく、主と大管長会を代表して接していただいていると信頼している。("Brigham Young University Studies", Summer 1981)

クイン氏はパッカー長老を偶像崇拝者になぞらえている。

モルモンの使徒、ベンソン長老とパッカー長老は、偶像崇拝に近い宗教史を提唱しているのだ。
教会の正確な歴史はそこに働く御霊の力を考慮して述べられなければならないというパッカー長老の考えについて、クイン氏は、有能な歴史家は教会員であるなしに関わらず、指導者の予言を抜きにしてはモルモン教会の歴史を論じることはできないのだから、パッカー長老が「存在しない敵」をつくり上げていると語った。
予言者達の重要な発言にみられる誤りや不足な点を無視することは、クイン氏の考えでは、彼らの示現や予言や証を無視するのと同じくらい誤りである。神聖な歴史が神の指導者を「人々が自分と同じような人間として理解できながらも、その予言者としての職に敬意を表することができる」存在として描いている一方で、ベンソン長老やパッカー長老はモルモンの指導者を「欠点がなく天使のような人格」に描いた歴史を望んでいる、とクイン氏は強調した。("The Seventh East Press, November 18, 1981")

パッカー長老の発言から考えて、教会歴史の改竄は、教会の公式の方針だということは明らかなのである。

関連ページ:教会歴史研究家に対する迫害

参考サイト:"Recovery from Mormonism"

教会歴史についての詳しい情報については「素顔のモルモン教」「U モルモン教の歴史」以下の各ページをご覧下さい。


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