教会でのダンスは禁止


今やモルモン教会のホールでダンスパーティーを行わぬ所などない。教会での娯楽活動といえば、まずはダンスが挙げられるだろう。しかし、もし1837年にカートランドの教会でダンスを踊ったとしたら、それは教会員としての資格を失うほどの大罪を犯したことになるのである。

ジョセフ・スミスは1837年10月22日(火)付でこのようなコメントを残している。

「カートランドの教会は、去る木曜日にダンスを踊って俗世に迎合したかどにより、22名の兄弟姉妹を会員資格剥奪の処分に課した。」ジョセフは後日、さらにこのようにコメントしている。「19日に娯楽活動(ダンス)に参加したとして提訴された者たちのほとんどは11月1日に高等評議員会にその過ちを認め、告白した。残りの者たちについては、自ら罪を認めなければ教会から除名することとした。」("History of the Church" by Joseph Smith)

教会でのダンスが認められるようになったのは、教会がノーヴーに移ってからである。ジョセフ・スミスはダンスに熱中するようになり、1844年1月1日付の記録によると、「私の家で新年の夕食会を盛大に開催した。朝になるまで音楽に合わせて踊り続けた」としている。("History of the Church")

ノーヴーではダンスが大流行し、教会員は献堂式に先立ち、ノーヴー神殿の中ですらダンスを踊っている。教会員トルーマン・G・マドセンはこのように記している。「聖徒(教会員)たちの一団がノーヴー神殿に集まった。午前中は汗水たらして掃除や塗装を行い、その後身を清めて神殿衣をまとって礼拝に参加した。彼らはそれから上の階で休憩し、おやつを食べた。そして、夜遅くまで音楽とダンスを楽しんだ。」(Dialogue: A Journal of Mormon Thought, Spring 1966)

このように、ダンスをすることは破門にも値する罪であったはずが、ジョセフ・スミスの気まぐれにより、教会で最も人気のある娯楽活動へと変わっていったのである。服装や髪型など、道徳的な標準が時代と共に変遷するということはあり得るだろう。しかし、1837年と1844年の道徳的標準を比較して、それほど大きな変化があったとは考えられない。ダンスを禁止することが、啓示ではなく、単なるジョセフ・スミスの個人的な見解だったとするならば、ダンスをしたからと言って教会員資格に関わる罪としたことは、予言者としての権威の濫用にほかならない。

ダンスの是非の判断を変えるなどということは、教会の犯している過ちとしてはまだ可愛いものである。しかし、啓示の内容まで改変するとなると、事態は深刻である。

 

参考文献:"Mormonism - Shadow or Reality?" by Jerald and Sandra Tanner


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