「教義と聖約」の改変


「教義と聖約」はモルモン教会で公式の聖典として認められている書物である。教会員は、「教義と聖約」にはジョセフ・スミスらの予言者に与えられた神からの啓示がそのまま記されているのだと信じ込まされている。しかし「教義と聖約」成立の経緯をたどっていくと、啓示とされている文章のかなりの部分が後に手を加えられていることがわかる。

「教義と聖約」の成立は、モルモン教会がジョセフ・スミスを通じて教会に与えられた啓示を「誡命の書」として編集・出版することを企図したことから始まる。

モルモンの著述家ウィリアム・E・ベレットは以下のように記している。

「1831年の後半に、教会指導者による評議会にて教会の起源と組織に関する啓示集を制作することが決定された。啓示集は「誡命の書」と名づけられることとなった。・・・ジョセフ・スミスはその書物の前書きとして、現在の「教義と聖約」第1章となっている啓示を受けた。その前書きには、「これらの戒めを調べなさい。・・・」と記されている。・・・啓示集は聖典として認可され、1万冊を出版することが投票によって決められた。("The Restored church", 1956, pp.138-139)

しかし教会は、印刷機が暴徒により破壊されてしまったため、1万冊を出版することはできなかった。教会は1835年に再度啓示集を出版したが、それが「教義と聖約」である。「教義と聖約」にはさらに新しい啓示が追加され、多くの啓示は改訂された。「教義と聖約」の最近の版には、タイトルページに続いて以下のように記されている。

この書物の一部は、キリスト教会政体のための「誡命の書」というタイトルで1833年にミズーリ州ジャクソン郡シオンにて出版された。さらに啓示を充実させた版が、1835年、オハイオ州カートランドで末日聖徒教会の「教義と聖約」として出版された。

暴徒が印刷機を破壊するまでに、何冊の「誡命の書」が印刷されたのかは定かではないが、モルモン書の三人の見証者の一人であるデビッド・ホイットマーは次のように述べている。

1833年の早春、ミズーリ州インディペンデンス(別名シオン)にて啓示集が「誡命の書」として印刷された。多くの部数が完成し、教会員の手に渡った。("An Address to All Believers in Christ", 1837)

1834年2月に、後に第4代教会大管長となるウィルフォード・ウッドラフはこう書いている。

私は「誡命の書」すなわちジョセフ・スミスを通じて与えられた啓示集を目にした。私は心の底からそれが真実であると信じ、喜びを感じた。数日間、いくつかの会合を終えてから喜びに満たされて家路についた。("Journal History", February 1834)

デビッド・ホイットマーはこのように言っている。

啓示は「誡命の書」に正確に印刷されている。・・・これらの啓示は出版されるべく、ジョセフ・スミス、シドニー・リグドン、オルソン・ハイドといった人々がオハイオ州ハイラムで編纂し、印刷のためにインディペンディンスに派遣され、ジョセフらが編纂した通りに出版された。「誡命の書」が印刷されると、ジョセフも教会も、正確に印刷されたものとして受け入れた。("An Address to All Believers in Christ", 1837)

教会が「誡命の書」を承認し、1833年から1835年にかけて使用していたことは、教会指導者が1834年7月にミズーリの教会で書いた書簡からもわかる。以下のような記述がある。

「誡命の書」の135ページを参照すると、主は教会に対して「何人にもその地の法律を犯させてはならない」とあり、われわれは主の言葉に従って生きるべきである。("History of the Church", Vol.2)

その書簡には、以下のような記述も見られる。

われわれは人類愛主義者、道徳主義者、すべての宗派・教派で重んじられている人々にわれわれの出版物、聖書、モルモン書、誡命(の書)を読むよう、衷心から勧める。("History of the Church", Vol.2)

デビッド・ホイットマーは「誡命の書」について、以下のように述べている。

それは完全な形で印刷され、版権が取得されたものである。教会所有の印刷機が破壊される以前に印刷は完成し、教会員の中に大量に出回った。ジョセフと同胞の教会員たちは、最初は、正確に印刷されたものとして受け入れた。しかし間もなく、彼らは「教義と聖約」を発行することを決定した。("An Address to All Believers in Christ", 1837)

「教義と聖約」は1835年に出版された。「誡命の書」に掲載された同じ啓示を「教義と聖約」の初版に掲載したのだから、両書の同じ啓示は全く同一の文章であるはずだが、かなりの部分が改変されている。そのことについてデビッド・ホイットマーはこう述べている。

「教義と聖約」にみられる啓示のいくつかは改変され、追加もされている。あるものについては、重要な事柄について意味が全く変わってしまうほどの大きな改変がなされている。まるで啓示を与えた主が数年たってから急に気を変えたかのようである。主が僕(自称)に「誡命の書」の印刷を命じ、そして「誡命の書」の前書きに「見よ、これはわたしの権威であり、わたしの僕たちの権威であり、わたしの戒めの書へのはしがきであり、あなたたち地に住む者に印刷させるために与えた戒めであり、・・・」や「見よ、わたしは神であり、これを話す。これらの戒めはわたしから出たものである。」「これらの戒めを調べなさい。これらは真実であり、確かであって・・・」と記されている。つまり、啓示集は「誡命の書」に正確に印刷されていたのである。私は、ジョセフや教会員は、それらが正確に印刷されたものとして受け入れていたことを知っている。私はまた、1834年の冬になって、教会指導者たちは、すでに下された啓示の範囲を超えて教会運営をしていたため、「誡命の書」にある啓示のいくつかを修正することの必要性に気づいたことを知っている。だから1835年に「教義と聖約」を出版し、啓示の修正や追加を行なったのだ。("Saints Herald"に掲載されたデビッド・ホイットマーの書簡より)

「誡命の書」が出版された当時、そこに掲載された啓示は真正なものとされていたのである。にも関わらず、ほんの数年も経たぬ間に、後につくり出した教義との整合を図るために多くが改変された神の業と考えるには、あまりにもお粗末である。モルモン教会の教義は、人の考えが優先し、啓示は後に権威付けのために作り出されるのである。

 

参考文献:"Mormonism - Shadow or Reality?" by Jerald and Sandra Tanner


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