「教義と聖約」第81章における改変


教会初期の啓示が記された手書きの原稿で、「カートランド啓示の書」と呼ばれる文書が残っている。この文書を見ると、いくつかの啓示が後になって改変されていたことがわかる。

例えば、1832年3月15日に、ジェシー・ガウスという人物を「わたしの僕ジョセフ・スミス・ジュニアの副管長」という 大役に召す啓示が与えられたのだが、教会歴史研究家のマイケル・マーカート氏がこの啓示の手書き原稿を調べたところ、ジェシー・ガウスの名前がフレデリック・ G・ウィリアムズという名前に修正されているのを発見している。

「カートランド啓示の書」の改変をみれば、その啓示はジェシー・ガウスに下されたものであり、後からフレデリック・G・ウィリアムズに改変されたことは明らかである。ジョセフは「カートランド啓示の書」に、1832年3月8日付けで、次のように記している。

この日を選んで、ジェシー・ガウス兄弟とシドニー兄弟を高き神権の大管長の副管長に聖任した。

この啓示は、「教義と聖約」では第81章として掲載されている。「教義と聖約」81章の前書きには次のように記されている。

フレデリック・G・ウィリアムズが、大祭司、ならびに大神権の大管長会における副管長に召される。歴史記録の示すところによれば、この啓示が1832年3月に与えられたとき、ジェシー・ガウスが、啓示によって大管長会におけるジョセフ・スミスの副管長の職に召された。しかしながら、彼がこの職にふさわしい態度を保ち続けられなかったとき、その召しは、その後フレデリック・G・ウィリアムズに移された。・・・ウィリアムズ兄弟は、1833年3月18日に、ここで述べられている職(注:副管長)に聖任された。

この前書きは「教義と聖約」が1981年に改訂された際に新たに追加されたものである。教会歴史研究家からの指摘を受けて追加したものと思われる。教会は、この改変がなされたということを公式にも認めているが、副管長の職としては同じため、ガウスの名前をウィリアムズに変更したところで、差し支えないと説明している。

しかし、いやしくも神から与えられた啓示である。副管長の人選を変更するのであれば、新たな啓示が下されていてしかるべきであるが、単純に人名を書き換えただけだというのであれば、はじめから啓示などなかったということを意味しているとしか考えられない。  

教会歴史研究家のD・マイケル・クインは、この啓示が改変されたことを確認し、次のように述べている。

いくつかの理由があって、この記録の冒頭部分にある「私の僕ジェシー」と いう言葉が「私の僕フレデリック・G・ウィリアムズ」に変えられており、 改変されたものが啓示として出版されている。目次には「ジェシー・ガウスへの啓示 1832年3月15日」と記されており、この啓示はガウスに向けて下されたことは間違いない。ウィリアムズが後にガウスに替わって副管長となったことから、何者かが名前を変更すべきだと考えたことは明らかである。この不幸な改変は原文の内容を破壊しているだけでなく、教会幹部の一人としてガウス氏が存在したという事実をあいまいにしており、ウィリア ムズが1832年に副管長であったという誤った情報を示している(「教義 と聖約」81章参照)。("Journal of Mormon History", Vol.1, 1974, p.24, footnote 15)

参考文献:"Mormonism - Shadow or Reality?" by Jerald and Sandra Tanner


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