「教義と聖約」第5章における改変


モルモン書の3人の見証者のうちの一人であるデビッド・ホイットマーはこう言っている。

モルモン書の翻訳を終えた1830年の春、4月6日(注:教会の創立日)以前に、ジョセフは翻訳に使った「石」をオリバー・カウドリに渡して、私と他の人々に、翻訳は終わった、もう「石」を使うことはない、と言った。ジョセフは、神からいただいた賜物による業をなすことは、福音を説くこと以外は完了した、と言ったのだ。彼は、真理に導かれて主のご意志を知るためには、これからはみな聖霊に依り頼まなければならないとも言った。("An Address To All Believers In Christ" by David Whitmer)

これは、当時のジョセフが、モルモン書の翻訳以外のことをするつもりはなかったということを示している。1829年の3月に下された啓示なるものが「誡命の書」第4章として収録されている。第2節にはこう記されている。「・・・そして彼は版を翻訳する賜物を持ち、わたしは彼にほかの賜物を求めてはならないと命じた。なぜならわたしは彼にほかの賜物を授けることはないからである。」

ところが、1835年にこの啓示が「教義と聖約」として収録された際は、ジョセフは翻訳の賜物以外に少なくとももう一つの賜物を持っているかのように改変されている。彼はその後、聖書を再翻訳した、いわゆる「霊感訳聖書」の執筆を行ない、さらに「アブラハム書」を著わしている。ジョセフは明らかに当初の啓示内容から逸脱した行動をとったわけである。教会は、モルモン書にとどまらず、その他のジョセフの著作も聖典として受け入れることとした。そうなると「誡命の書」の啓示の改変がどうしても必要であった。「教義と聖約」第5章第4節は以下のように変えられた。この節では、少なくとも22語が追加されている。文章の構文も、マーティン・ハリスを通じた間接話法から、直接ジョセフに語る直接話法に変えられている。

あなたは版を翻訳する賜物を持っている。これは、わたしがあなたに授けた最初の賜物である。そしてわたしは、これによってわたしの目的が達せられるまで、ほかの賜物を求めてはならないと命じた。これが終わるまでは、わたしはあなたにほかの賜物を授けることはないからである。

このようにして、主はジョセフにモルモン書翻訳以外の賜物を与える予定であったかのように、啓示の内容も意味も捻じ曲げられたのである。デビッド・ホイットマーはこの件について言及している。

・・・彼(ジョセフ)は教会を組織したり樹立したりすることについて、他の長老たちより優れた召しを受けていたわけではない。・・・(改変された啓示について)あたかも神の気が変わって彼にもう一つの賜物を与えたかのようである。神はこのようなやり方で気を変えたり業を行なったりする御方ではない。22語を加えるといったような啓示の変え方では、まるで神がご自身の言葉を明確に述べながらもその言葉に反し、・・・ジョセフに教会の聖見者としての賜物を与えているかのようである…。願わくは、教会最高指導者たちのこの過ちに対して神がご慈悲を下さいますよう、祈る。("An Address To All Believers In Christ", pp.57-58)

さらに、「教義と聖約」第5章では、「誡命の書」に収録されていた154語からなる部分がそっくり削除されている。教会擁護派のメルビン・J・ピーターセンはこう言っている。

ジョセフ・スミス・・・は(「誡命の書」の)第5・6節の言葉づかいが自分の受けた啓示のコンセプトの表現として不満足であったので、(「誡命の書」の)第4章の第5・6節をそっくり削除し、その代わりに1835年版(「教義と聖約」のこと)の第3節として書き直した。("A Study of the Nature of and the Significance of the Changes in the Revelations...")

ピーターセンによると、あたかもジョセフが正しい権限を行使しているかのようである。自分が書いた物をいくら書き直そうと、ジョセフの自由であるが、もしそれが神の言葉であると主張するのなら、話は違う。神の「言葉」であって、神の「考え」ではないのだから、言葉の表現は神ご自身のもののはずである。無学なジョセフは、自分が神よりも文章が上手だというつもりなのだろうか。「誡命の書」の第1章第2節・7節には以下のようにある。

見よ、これはわたしの権威、わたしの僕たちの権威であり、わたしの戒めの書へのはしがきである。・・・これらの戒めを調べなさい。これらは真実であり、確かであって、これらの中にある預言と約束はすべて成就するからである。主なるわたしが語ったことは、わたしが語ったのであって、わたしは言い逃れをしない。たとえ天地が過ぎ去っても、わたしの言葉は過ぎ去ることがなく・・・。

もしこれらが本当に神からの啓示であるのなら、ジョセフにそれらを改訂する権限はないはずである。デビッド・ホイットマーは「教義と聖約」第5章の改変についてこう述べている。

これから述べる改変は重要なものである。それは「教義と聖約」第4章(注:現在の版では第5章)、「誡命の書」第4章である。(「誡命の書」の)ページの半分が(「教義と聖約」から)削除されている。このことを行なった者たちの目的は、以下のような文章を消し去ることであったと私は信じている。「そして、このようにして、もしこの世代の人々が心をかたくなすることがなければ、わたしは彼らの中で変革の業を進め、すべての偽りなどを鎮めよう。そしてわたしは、古えの時代にわたしの弟子たちによって教え導びかれた教会のように、わたしの教会を確立しよう。・・・」彼らは末日聖徒教会の組織体制が、古代のキリストの教会とは異なることを知っていた。なぜなら、古代のキリストの教会には、長老・祭司・教師という職制しかなかったからである。そこで、彼らは「教義と聖約」の出版にあたってその部分を削除したのである。("An Address To All Believers In Christ", p.60)

また、「教義と聖約」第5章第17節に「あなたは、もうしばらくの間待たなければならない。あなたはまだ聖任されていないからである。」とあるが、これは新たに書き加えられたものである。この啓示は1829年3月に与えられたこととなっている。ジョセフ・スミスらに神権が授けられたのは、1829年5月から6月にかけてであり、3月時点ではその時期が決まっていなかった。したがって、それから5年も経ってから、歴史的事実と辻褄を合わせるため、啓示に加筆をして、神権の聖任があたかも予定されていたことであったのように偽装をしたのである。

以上からわかるように、モルモン教会では、啓示によって教義がつくられるのではなく、教義によって啓示が捏造されるのである。

参考文献:"Mormonism - Shadow or Reality?" by Jerald and Sandra Tanner


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