「最初の示現」の真実


 末日聖徒イエス・キリスト教会の公式な教義によると、その起源は1820年に当時14歳の少年ジョセフ・スミスが経験した「最初の示現」と呼ばれる出来事にまでさかのぼる。当時、彼の住んでいた地域(米国バーモント州ウィンザー郡)では、信仰復興運動が起こり、様々な教会が様々教義を声高に唱えていた。互いに矛盾する教義を主張していたことから、少年ジョセフは、いったいどの教会が正しいのだろうかという疑問を持つにいたった。彼は聖書の薦めにしたがって、その答えを得るために、一人森の中へ入って祈ることとした。彼が祈っていると、天から光の柱が降りて来て、二人の御方が現れた。父なる神と、その御子イエス・キリストである。イエス・キリストはジョセフに、すべての教会は間違っているので、どの教会にも加わってはならない、と告げた。ジョセフはこの経験を地元の牧師に話したが、そんなことがあるわけがないとあしらわれてしまった。が、その後ジョセフは天からの訪れをしばしば受け、神の預言者としての権能を与えられ、イエス・キリストの真の教会を設立するに至った。

<一貫しない記述>

 上記の記述は教会の正式な教義の一部となっており、最初に記述されたのは1838年のことである。しかし、1832年にジョセフ・スミスの自筆による別の記述が存在することが、1960年代になって知られることとなった。別の記述では、ジョセフが「最初の示現」を受けたのは16歳の時であり、イエス・キリストの訪れを受けたことには触れているが、天父も現われたということは記述がないなど、1838年版とは明らかに矛盾する内容となっている。1832年版と1838年版の内容の食い違いから、1838年版は、後の創作ではないかという疑問が持たれている。事実、彼の母親は、教会の起こりは天使が現れてモルモン書のありかを告げたことである、としている。それに対する反論(教会の公式な反論は出ていないが、熱心な会員が反論している;他についても同様)としては、4福音書の記述に食い違いがあるように、歴史の記述に多少の食い違いがあることは不思議ではなく、また内容に食い違いがあっても考えようによっては明らかな矛盾とは言えない、としている。

<信仰復興運動の時期>

 1820年当時に信仰復興運動が起きていたとの記述があるが、当時のパルマイラの諸教会の記録や新聞記事等から考えて、その事実が確認できない。むしろ、1824〜25年頃に起きていたはずなので、「最初の示現」の真実性に疑問が持たれている。教会側は、彼が住んでいたのはマンチェスターであってパルマイラではない、マンチェスターの教会の記録では1820年の信仰復興運動の存在は確認されている、としている。これについては一見教会側が有利のようであるが、彼の母親による記述では、パルマイラにおける信仰復興運動にしか触れられていないため、マンチェスター説には無理があると思われる。

<誰も知らなかった「最初の示現」>

 ジョセフ・スミスは「最初の示現」の経験をしたことによって、自分が迫害を受けたとしている。ところが彼はメソジスト教会に頻繁に出入りしていたとの証言があり、迫害を受けていたとは考えにくい。それどころか、1830年以前にジョセフから「最初の示現」の経験を聞いた者がいるという証拠がどこにも見つからない。「最初の示現」は教会設立後に突如として現われた話なのである。

関連ページ:「素顔のモルモン教−最初のヴィジョン」


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