「モルモン書」にみるおかしな記述


ジョセフ・スミスによると、「モルモン書は地上でもっとも正確な書物」なのだそうである(History of the Church 4:461)。しかし、どう考えてもおかしな記述がいくつも見られる。たいした教育も受けずにモルモン書を一人で創作したジョセフの作文能力は賞賛に値するが、悲しいかな、無学さゆえの誤りを犯している。モルモン書は金版からの翻訳ではなく、ジョセフの創作だということの証拠である。

<首なし人間の怪>

「そして、彼がシズの首を打ち落としたところ、シズは両手で身をもたげてから倒れ、息をしようともがいた後に死んだ(エテル15:31)」

説明をするまでもないが、頭部のない、すなわち脳のない人体が息をしようともがくなどということは、医学的にあり得ないことである。頭を落した鶏が走り回るということはあるが、それは単なる筋肉の反応であって、息をしようともがいているわけではない。シズの死の描写としてはドラマチックだが、とても歴史的な記録などと言えるしろものではない。いかにも19世紀の無学な青年が書きそうな記述である。恐らく教会員は、遠くにいたエテル(エテル書の著者)には、そのように見えたのだ、とでも反論するのだろう。だとすれば、モルモン書は極めて「不正確」な書物である。ジョセフの医学的知識の乏しさからくるミスと考えるのが妥当であろう。

<テレポーテーションの謎>

「そして父(注:リーハイ)は荒れ野へ出て行った。・・・まず紅海の海辺に近い境の地の辺りに下って行って、それから、さらに紅海に近い境の地の荒れ野を進んだ。・・・さて、父は荒れ野を三日の間旅してから、ある谷で、水の流れている川のほとりに天幕を張った。(第1ニーファイ2:4−6)」

エルサレムから紅海までの最短距離は、約250キロ以上である。当時の地形が多少現在とは異なるとしても、とても3日間で歩ける距離ではない。しかも食糧と天幕を携行してである。馬やラクダを使った形跡もない。4節には「家族と食糧と天幕のほかは何も持たずに」と書かれているからだ。世界地図では近いように見えることから、ジョセフは不用意にこう書いてしまったのだろう。擁護論の立場に立って苦しい解釈をすれば、その三日間というのは、「紅海に近い境の地の荒れ野」についてから、さらに三日間という反論はできるかも知れない。しかし、文脈を踏まえて読み込んでいけば、そのように解釈することは、極めて不自然だということがわかるだろう。また、その「谷」はまだ紅海に近くはない場所であった、と反論するかも知れない。しかし8節には、「・・・その川は紅海に注ぎ、その谷は河口に近い境の地にあった」と書かれているのだ。 ちなみに、紅海に注ぐ川というのも存在しない

さらに不思議なのは、馬やラクダを使わなかったことである。「食糧と天幕のほかは何も持たずに」といっても、それらすべてを人力で担いで運んだのだろうか。少なくとも3日以上の食糧と天幕を、わずか6人で運ぶのは不可能と思われる。キャンプをしたことのある人ならわかるだろうが、テントと3日分の食糧を徒歩で運ぶとなると、大変なことである。しかも2600年前の装備である。

ジョセフは何気なく書いたのだろうが、よく考えればおかしな話なのである。

<恐るべき建設技術>

「わたしは民に、建物を建てることを教え、また非常に豊富にあった木材や鉄や銅、また真鍮や鋼や金や銀や貴重なあらがねなど、あらゆる材料で物を造り出すことを教えた。また、わたしニーファイは神殿を建てた。ソロモンの神殿に倣って建てたが、その違いは、建てるのにそれほど多く貴重な品を使わなかったことである。そのような貴重な品がこの地になかったため、ソロモンの神殿と同じようには建てることができなかった。しかし、建築の様式はソロモンの神殿と同じで、その造りは非常に見事であった。(第2ニーファイ5:15−16)」

この聖句の引用を読むと、明らかな矛盾に気づくだろう。すなわち、15節では「・・・金や銀や貴重なあらがねなど、非常に豊富にあった」と言っているのに、16節では「・・・貴重な品がこの地になかった」と言っているのだ。英文を読めばわかるが、15節の「非常に豊富にあった」は、「木材」から「貴重なあらがね」までのすべての材料にかかっている。口述筆記であったため、ジョセフが後から推敲することができなかったために起きたミスであろう。本当に金版からの翻訳なら、あり得ないことである。

当時のニーファイの民の人口はどれくらいだっただろうか。モルモン書に明記されていはいないが、どう多く見積もっても100名は超えないはずである。しかも、そのように多く見積もった場合、大半は子供ばかりだということになる。ソロモンの神殿は、列王紀上によると、10万人以上の労働者を使って7年かけて建設されたのである。貴重な品が使われてはいないとは言え、同様の様式の神殿を、大半が子供という100人足らずの労働力で建設することなどできるはずがないのだ。全人口が神殿建設に携わるということもあり得ない。特に、入植間もないニーファイの民は、開墾や家畜集めに奔走していたはずである。そんな状況で、どれほどの人数を神殿建設にあてることができたというのだろうか。ある教会員は、神殿が小さかったのだろうと反論している。10万人と100名とでは、1000:1である。神殿を立方体として単純計算すると、ソロモンの神殿の長辺の長さを50メートルとしても、ニーファイの神殿は長辺5メートルということになってしまう。こんな大きさでは、「その造りは非常に見事」などという表現には全くそぐわないだろう。

このような疑問も、モルモン書はジョセフの創作だという事実を知れば、すべて解消するのである。

参考文献:"Mormonism-Changes, Contradictions and Errors" by John R. Farkas and David A. Reed , "A Book of Mormon Study" by B. H. Roberts

アナホリ参考過去ログ:血糊でべっとり!アンモンは架空の人物?


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