「モルモン書」の真実
モルモン書を聖典としていることは、末日聖徒イエス・キリスト教会と他の教会との大きな違いである。モルモン書は、「最初の示現」を受けたジョセフ・スミスが、後になって天使の訪れを受け、その存在を知らされた。モルモン書は、古代アメリカの民の歴史が記された金版の翻訳であり、その発見と翻訳は、神の力によるものであるとされている。モルモン書こそが同教会の「かなめ石」であり、モルモン書が本当に古代アメリカ大陸の民の記録であるならば、教会の真実性を証明するものであるし、もしモルモン書がでっちあげであれば、教会は真実でないということになる。
しかし、様々な研究により、モルモン書の正統性が否定されている。
<考古学的な矛盾>
一部の教会員は、モルモン書の真実性を示す考古学的発見が続々となされているという誤解を持っている。明確な証拠は今のところ発見されていない、というのが、考古学界はもちろんのこと、教会側の見解でもある。むしろ、真実性を疑わなければならない証拠が次々と提出されている。その主なものは、モルモン書に明確に記されている、動物(特に馬)、車輪、冶金術、言語、農作物、といったものが、該当する時代のアメリカ大陸には存在しなかったということである。逆に、当時のアメリカ大陸に存在していたはずの動物や農作物等の記述がモルモン書にないということも、疑問の根拠となっている。また、モルモン書の記述に一致するような遺跡も発見されていない。教会側としては、まだ発見されていないだけ、というのが見解のようだ。一部の学者は、証拠があると主張しているが、あくまでも少数意見に過ぎない。
<人類学的な矛盾>
モルモン書によると、アメリカ大陸の先住民はイスラエルからの移民であるとされている。遺伝子研究によると、アメリカ・インディアンの血統はモンゴル系であることがわかっている。
<内容的な矛盾>
考古学を研究しなくとも、内容自体に矛盾を発見することができる。例えば、イスラエルからアメリカ大陸に移住してから間もない民が、恐らくは人口100人に満たないはずなのに、ソロモンの神殿に似た神殿を建設した、といった記述である。これはほんの一例であるが、事実であると信じるにはあまりにも困難な記述が多く見られる。
<教義的な矛盾>
モルモン書の内容は、時代的には旧約の時代のはずであるが、その教えの多くは新約聖書的である。モルモン書の民は、イエス・キリスト以前の時代にはモーセの律法を守っていたと記述されているが、イスラエルでは非常に重要な行事であった、過越の祭の記述もない。また、末日聖徒イエス・キリスト教会の重要な教義である、神殿の儀式や昇栄の教義などの記述もない。モルモン書が出版された1830年以降に、ジョセフ・スミスが新たな教義を考え出したという解釈が自然である。
<聖書引用の矛盾>
聖書の聖句が多く引用されている。イザヤ書は、後年の研究により、少なくとも時代の異なる3人以上の著者がいるというのが聖書学者の定説となっているが、モルモン書の民がアメリカ大陸に移民した紀元前600年以降に書かれたはずのイザヤ書の一部分が引用されていることは明らかな矛盾である。モルモン書によると、復活した後のイエス・キリストがアメリカ大陸を訪れたこととなっており、福音書のイエスの言葉が引用されていることは、批判するにあたらないだろう。しかし、パウロの言葉とそっくりな文章まで記述されているとなると、かなり怪しいと思わざるを得ない。パウロにもモルモン書の預言者にも、神は同じ言葉を啓示された、というのが教会側の反論であると思われる。
<ネタ本の存在>
モルモン書の批判的研究家の間では、イーサン・スミスという人(ジョセフ・スミスとの親戚関係はない)の書いた「View
of the Hebrews」がモルモン書の下敷きとなっているということは、既に常識である。教会歴史家であり、1920年代の教会幹部であるB・H・ロバーツ長老が、同著との比較を試みており、同著をベースにモルモン書が書かれたことは疑いもないと結論づけている。
<ジョセフの創作を裏付ける時代背景>
モルモン書で説かれている教義は、19世紀すなわちジョセフ・スミスの時代の宗教観が色濃く反映されている。アメリカ・インディアン=ユダヤ人説というのも、当時好まれていた話題であるし、みたまを受けて喜びのあまり気絶するというモルモン書の登場人物の振る舞いも、当時のアメリカの宗教者によく見られた現象である。さらに、幼児へのバプテスマの是非も、当時論じられたテーマであり、モルモン書の中にも記述がある。ジョセフ・スミスはモルモン書を「翻訳」したのではなく「創作」したのである。
<ジョセフ・スミスの能力>
ジョセフは無学な少年であり、神の助けなしにあれだけの書物が書けただろうか、というのは教会側の典型的な反論である。しかし、上述したように、ベースとなる著作物の存在、当時の宗教観との酷似性などから、少なくともそれが全く不可能だったとは言えないということがわかるだろう。むしろ、考古学的な誤りや内容に矛盾があることは、彼の能力の限界を示している。加えて、彼の母親の証言によると、いわゆる金版を発見する以前から、彼はアメリカ・インディアンの生活について、想像力豊かにその有り様を語っていたことがわかっている。彼は無学ながらも、モルモン書を創作する著作能力があり、それをサポートする情報もあったということである。
関連ページ:「素顔のモルモン教−『モルモン経』と金版の物語」
アナホリ参考過去ログ:モルモン書の歴史的検証、モルモン書、昭和訳、モルモン書の評価
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なぜかギリシャ語が 使われているモルモン書 |
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B・H・ロバーツ長老による モルモン書研究 |
ダリン・H・オークス長老 による説教 |
モルモン書についての スミソニアン協会の見解 |
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