記録閲覧の禁止


モルモン教会は方針や教義の変更をしばしば行っており、また重要な歴史記録の多くは出版の前に改変されているため、教会指導者は教会員がそれらの歴史記録を閲覧することを禁じている。使徒ジョン・A・ウィッツォー長老はその著書「アメリカにおけるキリストの新たな証人(A New Witness For Christ In America)」の中で「教会に有利な情報も不利な情報も、教会歴史書庫がそれらを得る最良の場所である」と述べている。

反モルモンとして知られるタナー夫妻は、1961年4月に、教会歴史に関する本を書きたいとして、約20名の教会幹部に記録のマイクロフィルムのコピーの提供を求め、その費用として、10ドルを同封した。彼らが求めた記録は、1.ジョセフ・スミスの書いた「教会歴史」の手書きオリジナル原稿、2.ジョセフ・スミスの日記の全巻、3.ファーウェストの記録、4.モルモン書を手書きオリジナル原稿、であり、これらの記録は既に教会によりマイクロフィルムに収められているはずのものである。また、もしコピーの提供ができないなら、その理由と教会歴史事務所に出向いて閲覧できるかを問い合わせた。

使徒ハワード・W・ハンター長老宛ての手紙に対して、十二使徒会秘書のクロード・B・ピーターセン女史から回答があり、申請は却下された。その理由と教会歴史事務所での閲覧については、全く回答されなかった。

リグランド・リチャーズ長老については、タナー夫妻の意図に関心がなく、いかなる情報提供するつもりもないと一蹴された。

デビッド・O・マッケイ長老については、これも秘書からの回答であったが、教会歴史担当者はそれらの個人的な記録を提供することを禁止しており、そのことは教会歴史担当者の権限の範囲であるとのことで、要請は却下された。

J・リューベン・クラーク長老についても、秘書から回答があり、教会歴史事務所に直接要請するようにとのことであった。

そこでタナー夫妻は教会歴史事務所に直接要請の手紙を出したが、当時教会歴史担当者であったジョセフ・フィールディング・スミス長老は、夫妻の意図に関心がないとして、要請を拒否した。

タナー夫妻はこの要請をした時点で既に教会を破門になっていたため、教会側が歴史記録の悪用を恐れたため、要請を拒否したとも考えられる。もしそうだとしたら、悪用されるような記録(つまり教会にとって都合が悪い記録)が存在することを、教会側が認めたこととなる。しかし、忠実な教会員であっても、歴史記録の内容によっては閲覧が禁止されているのだ。


 

教会初期の会員でアレクサンダー・ネイバーなる人物がおり、彼はヒュー・ニブレイ長老の曾祖父である。ニブレイ長老はアレクサンダー・ネイバーが残した記録について、こう書いている。

私の曾祖父がジョセフ・スミスから「最初の示現」の驚くべき話を聞いた後、それを日記に書きとめていたが、40年間にわたってそれを誰にも話さなかった。私はたまたまその日記の記述を見つけたので、それをジョセフ・フィールディング・スミス長老に渡し、現在は金庫に納められている。("The World and the Prophets" by Hugh Nibley)

このことを知ったタナー夫妻は早速教会歴史事務所に手紙を書き、その日記のコピーの提供を求めた。しかしジョセフ・フィールディング・スミス長老の回答は、教会歴史事務所に保管されている個人の日記は家族の者のみが閲覧することができ、一般には公開しておらず、コピーを提供することについても同様である、とのことであった。

しかし不思議なことに、ニブレイ長老によるタナー夫妻宛ての1961年3月21日付けの手紙によると、直系の子孫であるニブレイ長老さえ、曾祖父のアレクサンダー・ネイバーの日記を閲覧することが禁じられているのである。

つまり、タナー夫妻のような背教者に対して閲覧を禁じているだけでなく、忠実な教会員に対しても禁止しているのである。ネイバーの日記にどのようなことが記されているかは知らされていないが、「最初の示現」の記述が記載されているとすれば、現在教会で教えられている「最初の示現」とは食い違う記述があるものと推測できる。「最初の示現」はモルモン教会の起源となった出来事であり、教会がその正統性を主張する重要な根拠であることから、教会がネイバーの日記の閲覧を禁止するとしたら、それ以外の理由は考えにくい。

ヒュー・ニブレイ長老はモルモン教会を擁護することについて筆頭に挙げられる人物であるが、タナー夫妻宛ての1961年6月20日付けの手紙で「すべての教会歴史記録について、それらの正しい用い方を知っている人々が閲覧できるようになることほど喜ばしいことはありません。」と嘆いている。


ジョセフ・リー・ロビンソンという人物の自伝と日記についても同様のことが起こっている。タナー夫妻はロビンソンの子孫であるリグランド・リチャーズ長老のもとを訪れ、リチャーズ長老にロビンソンの日記の抜粋されたタイプ原稿を見せてもらった。彼らがオリジナル原稿を見たいと言ったので、リチャーズ長老は彼らを教会歴史書庫に案内して、オリジナル原稿のマイクロフィルムの一部を見ることを許可し、立ち去ろうとした。タナー夫妻はマイクロフィルムを持ってきてくれた女性に、後日改めて日記を読んでよいかと尋ねたところ、その女性は了承したが、リチャーズ長老は突然彼女に対して、タナー夫妻に日記を読ませてはならない、と指示したのである。夫妻がリチャーズ長老に何を隠そうとしているのかと尋ねると、彼は即座に立ち去ってしまった。その後タナー夫妻は何度かその日記の閲覧を要請したが、いずれも断られた。しかし、しばらくしてから、系図図書館はタナー夫妻にその日記の閲覧を許可し、彼らはさまざまな重要な情報を得ることとなった。タナー夫妻がその情報を反モルモンの著作に利用しようとしていることを知るに至ったリチャーズ長老は、タナー夫妻に対し1961年12月20日付けの手紙で、もしロビンソンの日記からの引用を無断で行えば訴訟を起こすとして、彼らを脅迫している。しかしながら、未だにそのような訴訟は起こされてない


タナー夫妻を脅迫した使徒はリチャーズ長老だけではない。ニューヨークタイムス紙特派員のウォレス・ターナーはこう書いている。

このような偏見に満ちた発言の一つは、使徒の一人であるマーク・E・ピーターセンが1954年8月にブリガムヤング大学で行った説教でなされた。・・・大学レベルの宗教教育(インスティチュートのことと思われる)の教師が集められた大会で、ピーターセン使徒は「人種とその教会への影響」について話した。・・・この説教は非公開の会合で話されたものである。その説教のコピーがソルトレイクシテイの理容師で復元教会(モルモン教会の分派)の会員であるジェームス・D・ウォードルの手に渡った。ウォードルはモルモン教会に対する長年の反対者であり、そのコピーを反モルモン出版物を専門に発行している背教者ジェラルド・タナーに提供した。タナーはモルモン教会歴史書庫へ行ってそのスピーチの記録を確認したところ、ウォードルから得たコピーと同一のものであることが判明した。しかし教会は歴史書庫の記録のコピーをタナーに提供することを拒否した。ウォードルから得たコピーを使って、タナーはその説教を出版した。その時ピーターセン使徒は英国で伝道部を指導していた。1965年の初め、ピーターセンはタナーに対して出版を中止し、既に出回っているものについては回収をしなければ訴訟を起こすと脅す手紙を出した。しかしタナーはむしろ喜んでその手紙をコピーし、ばらまくこととなった。その後ピーターセンはソルトレイクシテイに帰還したが、訴訟が起こされることはなかった。("The Mormon Establishment" by Wallace Turner)

説教や手紙が偽造されたものであったら、訴訟が起こされたかも知れない。しかし、説教も手紙も、実際にピーターセン長老が話し、書いたものなのだから、訴訟を起こすことはやぶへびである。ちなみに、その説教の内容は、モルモン教会の人種差別政策を正当化する教義の解説である。教会における人種差別政策については、別途詳述する予定である。

 

参考文献:"Mormonism - Shadow or Reality?" by Jerald and Sandra Tanner


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