教会内部での批判


教会が自由に記録を閲覧させないことについて、教会員からも不満の声があがっている。モルモン教会の会員で著名な歴史家であるジャニタ・ブルックス女史は、教会指導者が、教会所有の宣誓供述書の閲覧を拒絶したと訴えている。彼女はその著書「マウンテン・メドウの大虐殺」の中でこう書いている。

ユタ州セントジョージの判事デビッド・H・モリス氏(故人)は、亡くなる少し前、教会の大管長会の要請によりユタ州南部にまだ存命中であったマウンテン・メドウの大虐殺事件(迫害の被害妄想にとりつかれた教会員が、教会指導者の命令により、ユタ州に一時滞在していた移民団を女性・子供も含めて大量虐殺した悪名高い事件)に参加していた者たちの宣誓供述書をとったということを、筆者(ブルックス)に語った。彼の死後、筆者がモリス氏の娘のポール・ヘイフン夫人に宣誓供述書のことについて尋ねたところ、彼女は供述書をソルトレークシティに持っていき、モルモン教会大管長会のデビッド・O・マッケイに渡したとのことであった。筆者はマッケイ大管長へのインタビューを2度ほど断られた後、長距離電話で何とかアポイントメントをとりつけた。そのアポイントメントのために300マイル以上の距離をはるばるとやってきたが、事務所の女性に「大管長とどのようなことをお話になりたいのですか」という質問に答えた途端、面会を拒絶された。そこで、必要ならいつまででも滞在して再度アポイントメントをとりたい旨を伝えたが、それも断られてしまった。しかしながら、大管長会の私設秘書のジョセフ・アンダーソン氏と話すことの許可を得て要請をしたとことろ、できる限りのことはしてくれるとの約束を得、明朝また来るようにと言われた。翌朝アンダーソン氏は、彼とJ・ルーベン・クラーク副管長はその宣誓供述書を読み、クラーク副管長はその閲覧を許可すべきでないと決定したと言った。アンダーソン氏との会話の間、供述宣誓書が入れられた大きくで古ぼけた封筒とその正統性を証明する電報は、テーブルの上に置かれたままだった。何よりも理解しがたいことは、宣誓供述書の閲覧を拒絶したことよりも、筆者の質問に対し、一貫して回答を拒絶し続けたことだった。("The Mountain Meadow Massacre", pages217-218, footnote)

モルモン教会の教えや教義に反対する者たちが悪用するという理由で閲覧を拒絶するのだと主張する教会員もいる。しかし理由はそれだけではない。あるセミナリー(モルモン教会の宗教教育課程)の教師は、反モルモンで有名なタナー夫妻が閲覧を拒絶されたことを聞いて、がっかりすることはない、教会員が閲覧することも禁じているのですよ、と慰めたという。モルモン教徒の著作家達は、教会が記録の閲覧を禁じていることについて抗議の声をあげている。例えば、1966年に、モルモン歴史協会の会長レナード・J・アーリントンはこう言っている。

モルモン教会の歴史研究にとって不幸なことは、教会指導者の日記のほとんどを所蔵している教会歴史図書館がそれらの日記を出版せず、また有能な歴史家がそれらを使うことに制限が加えられているということである。("Dialogue: A Journal of Mormon Thought", Spring 1966)

ブリガムヤング大学でかつて資料館員を務めていたラルフ・W・ハンセンも、教会歴史事務所のファイルを学者が自由に閲覧できないことに不満を漏らしている。("Dialogue: A Journal of Mormon Thought", Spring 1966)

教会が歴史記録の自由な閲覧を許可しないことは、かえって教会の立場を悪くしていると指摘する教会員もいる。フィリップ・A・M・テイラー氏は「秘密主義は、歴史記録の閲覧を開放することよりも、教会の評判を傷つける」("Dialogue: A Journal of Mormon Thought", Autumn 1966)と言っている。

テイラー氏の考えは、しかしながら、教会員のおめでたい憶測に過ぎない。教会指導者は頭のいい連中である。そのくらいのことは当然考えているはずである。歴史記録を開放することと秘密主義をとることについて、それぞれのもたらす結果を比較して、教会の維持・存続にとって最善の選択をしているのである。歴史記録を開放すれば、神の御名によって犯してきたさまざまな過ちや教義の変更などが明るみにさらされ、教会の存立基盤が根底から覆されることを百も承知なのである。

 

参考文献:"Mormonism - Shadow or Reality?" by Jerald and Sandra Tanner


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