レナード・アーリントン博士の挫折


長年にわたって教会歴史家として君臨したジョセフ・フィールディング・スミスは1970年に教会の大管長となったため、新たな教会歴史家として使徒ハワード・W・ハンターが任命された。教会歴史を研究する教会員の学者たちからは、当然のことながら不満の声があがった。そして彼らは教会幹部に対して、教会歴史記録事務所の運営方法についての提案書を提出し、専門の教育を受けた者が教会歴史家に任命されるべきだと主張した。また、教会歴史記録が学者に公開され、出版することを要望した。しかし教会がこの提案を受け入れる可能性はほとんどあり得なかった。ジョセフ・フィールディング・スミスやそれまでの教会歴史家が行ってきたことは、まともな歴史家からすれば容認しがたいものであったが、十二使徒の一人が教会歴史家を務めるということは、教会の伝統となっていた。教会歴史家の手引きには「ノーヴー(教会初期の本部があったところ)の時代からこの重要な責任は十二使徒定員会の一員に割り当てられている」と記されている。したがって、歴史の専門家が教会歴史家に任命されるということは考えられなかったのである。しかし、1972年1月15日付けの新聞「Salt Lake Tribune」紙に以下の発表が掲載され、世間を驚かせた。

ユタ州の著名な教育者であり作家であるレナード・J・アーリントン博士が末日聖徒イエス・キリスト教会の教会歴史家に指名され・・・十二使徒定員会のハワード・W・ハンターは解任される・・・」

1972年1月15日付けの教会所有の新聞「Deseret News」は社説としてこう書いている。

レナード・J・アーリントン博士の任命は、教会にとって歴史的な一歩である。この重要な地位が教会幹部以外の人物によって占められるのは初めてのことである。

アーリントン博士は熱心な教会員であるが、リベラルな考えの持ち主であることも知られていた。実際、教会が初期の指導者の日記を公開しないことについて教会を批判していたのがアーリントン博士なのである。彼はこうも言っている。

ブロディ女史が出版したジョセフ・スミスの伝記等が(少なくとも教会員にとっては)反モルモンと見なされているのと同様に、教会擁護の立場をとる伝記類もほとんどが一貫して美辞麗句に満ちている。後者は反モルモン著作物の記述以上に信用に欠ける。(Dialogue: A Journal of Mormon Thought, Spring 1966)

アーリントン博士が教会歴史家に任命されたことは確かに驚くべきことであったが、アシスタントとしてジェームス・B・アレンとデイビス・ビットンが選ばれたことも重大なことであった。アレンはかつてジョセフ・スミスの「最初の示現」の信憑性を疑わせるような著作を出版しており、ビットンはジョセフ・スミスが書いた「教会歴史(History of the Church)」の正確性を批判した人物である。彼らのようなリベラルな人物を教会歴史事務局に迎え入れた教会指導者の意図がわかりかねると思うかも知れないが、モルモン教会では、組織の長自らがアシスタントを選任する権限を与えられるのが通常であり、おそらくアーリントン博士が彼らを指名したのであろう。

いずれにしても、教会歴史家に任命されたアーリントン博士は歴史記録部門としての壮大な計画を発表した。しかし、それらの多くは十二使徒定員会会長エズラ・タフト・ベンソンの流れをくむ一派による妨害を受けた。ベンソンは教会歴史のすべてを公開することは誤りであるという信念の人物であり、過去に起きた事実の一部は隠匿すべきだという考えの持ち主であった。アーリントン博士は、もっとオープンで学問的なアプローチをした。

アーリントン博士のつまづきは、教会歴史家に任命された直後に「教会歴史の友(Friends of Church History)」なるグループの組織化を発表した時から始まった。そのグループの最初の会合に約500名が集まったが、そこに出席した教会幹部たちは、このような多くの人々が教会歴史研究に従事し、教会にとって都合の悪い歴史記録を発見することを恐れた。プロジェクトの中止が決定され、1972年11月30日以降、会合を開くことは禁止された。何ら公式の発表はなされなかったが、「教会歴史の友」が消滅してしまったことは明らかだった。

アーリントン博士が企画した他のプロジェクトも、教会幹部により潰された。彼は教会歴史を一冊にまとめた本を出版することが夢であった。この夢は1976年にジェームス・B・アレンとグレン・M・レナードが「末日聖徒物語(The Story of the Latter-day Saints)」を出版したことによって実現したかと思われた。この本の前書きで、アーリントン博士は「最も有能な二人の教会歴史研究家」が執筆プロジェクトに携わったと書いている。さらに続けて、原稿は自分も目を通し、承認を与えたとも書いている。教会員のほとんどはこの本に何ら問題を感じなかっただろうが、ベンソン長老は、その本の記述があまりにも人間的過ぎると感じ、噂では回収処分を望んでいたとされている。それを裏付けるように、1978年6月23日付けの手紙でベンソン長老は、「末日聖徒物語」は再版しない、と書いている。ベンソン長老とアーリントン博士は、教会歴史記録について全く正反対の考えを持っていたことは明らかである。

アーリントン博士の取り組んだ最も重要なプロジェクトは16巻150年間に及ぶ教会歴史の監修であった。執筆には著名なモルモンの学者があたることとなっていた。1975年4月26日付けの新聞「Salt Lake Tribune」の記事によると、アーリントン博士は16名の執筆者と一人一巻を担当する契約を交わし、数年かけて調査を行い1980年までには全巻完成させることを目指している、と語っている。もともと教会設立150周年記念に間に合わせる予定のプロジェクトだったのであるが、未だに一巻も完成していない。タナー夫妻の調査によると、執筆担当者のうちの何人かはあまりにあからさまな記述を行ったため、使徒達が驚き、それ以来出版の引き延ばしや中止させようという動きが起きたということである。しかしながら、教会所有の出版社であるデゼレト・ブック社は既に16名と執筆契約を結んでおり、法的拘束力もあるため教会は難しい立場になった。教会歴史の出版を差し止め、なおかつ訴訟を避けるため、教会幹部は執筆を完了した作家に対しては2万ドル(執筆途中の場合はもっと少額)を支払うことを決定した。2万ドルの16名分に諸経費を加えると、教会は何十万ドルもの出費をドブに捨てることとなったのである。もし教会幹部に啓示というものが与えられているのなら、このような馬鹿げたプロジェクトを承認するわけがなかったはずである

教会歴史出版のプロジェクトは教会にとって大失態であったが、アーリントン博士も無傷ではいられなかった。1980年7月3日付けの新聞「Salt Lake Tribune」には教会側の発表が以下のように掲載された。

モルモン教会の歴史研究部門はブリガム・ヤング大学に移転することを公式に発表し。スペンサー・W・キンボール大管長は、歴史研究部門の図書・歴史記録部と史跡・美術部門はソルトレークシティの教会本部に残ると発表を行った。大学に設立される新機関の責任者には教会歴史家レナード・J・アーリントン博士が任命された。歴史研究部門のほとんどのスタッフはブリガム・ヤング大学に異動し、大学の学部職員となる。

キンボール大管長は教会員に対して「歴史専門家の仕事が教会の一部門から大学の一機関へと移ることは前進である(Deseret News, July 5, 1980)」と説明しているが、アーリントン博士の降格であることは間違いない。博士は名目上は教会歴史家としての肩書きを残しているが、それに伴う権限が剥奪されたことは明らかである。以前には教会歴史家は歴史記録を管理し、記録閲覧の許可を与える権限を有していたが、アーリントン博士は教会歴史記録資料の保管場所から45マイルも離れたブリガム・ヤング大学に転勤させられたのである。1980年7月5日付けの教会所有の新聞「Deseret News」には以下のように記されている。

アーリントン博士とスタッフはブリガム・ヤング大学の敷地に移転することとなるが、まだ新機関がどの校舎に入居することとなるのかは未定である。教会の歴史記録資料はソルトレークシテイに残ることとなる。

教会はアーリントン博士を教会本部から引き離し、教会員への影響を最小限にとどめるという意図を持ってこの異動を行ったことは明らかである。その後出版されたアーリントン博士とデイビス・ビットンによる著書の広告にはこのように記されている。

レナード・J・アーリントン氏とデイビス・ビットン氏は長年にわたって末日聖徒イエス・キリスト教会の教会歴史家及びそのアシスタントとしての任に就いていた。アーリントン氏は現在ブリガム・ヤング大学のジョセフ・フィールディング・スミス教会歴史研究所の所長であり、ビットン氏はユタ大学の歴史学教授である。("Sunstone Review", Vol.1, No.3)

アーリントン博士が教会歴史家を解任されたことが上記からうかがえる。

教会指導者が歴史記録を今後どのように扱おうとしているのかは不明である。しかし、「ありのままの事実」を公表することに対する強い懸念を抱いていることは、アーリントン博士の処遇から明らかである。ブリガム・ヤング大学のクラウス・J・ハンセンは、教会歴史についての論文で以下のように述べている。

私は、もちろん、教会歴史事務局や記録保存庫に保存されている貴重な機密記録を公開すれば教会歴史研究に多大な影響を与えるだろうという意見を持っている人間である。例えば五十人評議会(注:ジョセフ・スミスが独立国家を築こうとして組織したグループ)が存在したかどうかということなどもわかるだろう。・・・教会歴史の研究を行うことが私の証(宗教的確信)を強める助けになるかとしばしば聞かれるが、そのような質問の真意は私が「はい」と答えることを期待している。質問者は、教会は何も隠さなくてはならないことなどないと考えているか、隠すより公開した方がよい、と考えている。しかし、ジョセフ・スミスがブリガム・ヤングに向かって「もし主が私に啓示したことをこの民に伝えたら、みな私から去っていくだろう」と言ったことを知って驚かない教会員はいないだろう。もし神話と事実を織り交ぜたものを教会歴史だとする歴史研究家であれば、そのような驚くべき結果をもたらすことはないだろう。しかしありのままの教会歴史がこの世に出たら、大変に危険なことである。したがって、もし歴史研究家が教会歴史事務局の保守的で閲覧制限をする方針に賛成しないとしても、教会の内部事情がそれを許さないということを理解すべきだろう。("Dialogue: A Journal of Mormon Thought", Summer 1970)

 

参考文献:"Mormonism - Shadow or Reality?" by Jerald and Sandra Tanner


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