世間はモルモン教会をどのように見ているか


「心臓を貫かれて」(マイケル・ギルモア著 村上春樹訳:文芸春秋社)の訳者あとがきより

心臓を貫かれて写真

 僕は一九九五年の夏に、大陸横断の旅の途中でユタに立ち寄った。この本(注:心臓を貫かれて)を訳していたこともあって、わざわざ回り道をしたのだ。ちょうどプロヴォの近くに知り合いの日系アメリカ人が農場を持っていたので、そこにも泊めていただいた。ユタの書店ではメイラーの『死刑執行人の歌』のペーパーバックを売っていたが、マイケル・ギルモアのこの『心臓を貫かれて』は一冊もみつからなかった。評判になって賞をとった本であるにもかかわらず、どこの書店にも置いていなかった。どうやらユタの人々はゲイリー・ギルモアの事件に触れたがらないようだった。彼らはそんなことはもう思い出したくもないようだった。
 プロヴォで僕は何人かのモルモン教徒に、「そういえばゲイリー・ギルモアの事件があったのは、この街ですね」とごく自然な口調で、いかにも何気なく尋ねてみたのだが、それに対してほとんど反応は返ってこなかった。
あいつらはプロヴォの人間じゃないんだ」と一人はうんざりしたように言った。「あの事件はね、スパニッシュ・フォークの人間がしでかしたことだ。プロヴォはあれには関係ない
 スパニッシュ・フォークというのは、ゲイリーとニコルが当時住んでいたプロヴォ郊外の町だが、どうやらプロヴォ市内の人々は、その場所をどちらかといえば「それほど立派ではないところ」と見なしているようだった。いかにもそういう口調だった。ユタ州では多くの局面において、モルモン教徒と非モルモン教徒の地域的、社会的な住みわけが見られる。プロヴォはユタ州の中でも、とりわけモルモン教徒が大きな社会的勢力を持つところで、そのまじめな信仰ぶりによって広く知られている。しかしスパニッシュ・フォークはそうでもない、ということなのだろう、おそらく。まっとうなモルモン教徒たるものゲイリー・ギルモアの名前なんて今更聞きたくもない、そんなことは質問しないでくれ、という雰囲気であった。
(中略)
 ユタは、うまく言えないのだけれど、なんだか不思議な場所だ。そこにはまだ、開拓時代から続いた伝説と呪縛が生きている。少なくとも僕にはそう感じられた。ユタはほかのアメリカの土地とは、いろんな意味において、ずいぶん違っているように思える。そこでは、そこにしかない力学が作用している。二十年近く前のゲイリーの殺人事件は、その土地固有の力によって、すでにきれいに吹き飛ばされてしまったかのようだった。ゲイリー・ギルモアは、あれほど世間で大きく騒がれたにもかかわらず、結局はその土地にひっかき傷ひとつ残すことができなかったみたいだ。ゲイリーは心臓を撃ち抜かれ、火葬にふされ、本人の遺志のとおり、灰は飛行機からユタ渓谷に撒かれた。それでおしまいだった。 しかしこのマイケル・ギルモアの著書『心臓を貫かれて』の登場によって、すでに過去に押しやられたかに見えたゲイリー・ギルモア事件は、もう一度世間に引き出され、大きな洗いなおしを受けることになる。事件全体が新たなパースペクティブと、新たな意味あいを与えられる。

「聖徒の未知」コメント:モルモン教徒とユタの雰囲気を第三者の視点で冷静にとらえている。また、自分達の都合の悪い情報(この場合は本)は排除するというのも、いかにもモルモンらしいと言わざるを得ない。


「なぜカルト宗教は生まれるのか」(浅見定雄著:日本キリスト教団出版局)より

 なぜカルトの問題と関わるようになったか
原理運動が新聞沙汰になるようなことで世間を騒がせるようになったのは、一九六七年からでしたが、これがきっかけとなって、私の中で親泣かせの原理運動〃と、統一協会の『原理講論』が、結びつきました。そして冬休み明けから私は、大学の一般教育の「聖書概論」の講義で、そのことについて触れるようになりました。
すると学生たちが、「先生の話で思い当たるふしがある。高校時代の同級生で、別の大学に行って いる仲間が同じようなことを言っていた」と言い出し、「じゃあ連れてきなさい」というようなことで相談を受けたのが、カルトと関わるようになった最初です。それがだんだん親たちに知られるようになり、最初は霊感商法で名高い統一協会の相談だけを受けていたのですが、次第に、エホバの証人とか、モルモン教とか、そういうところで苦しんでいる人たちの相談も、少しづつ受けるようになりました。これが、私のカルト問題と関わるようになったきっかけです。(P200〜201)

 キリスト教と聖書を使うカルトとの違い
普通のキリスト教とキリスト教系のカルト、あるいははっきりキリスト教と言わなくても聖書を使うカルト、この両者はどこが違うんですかという質問を、クリスチャンでない人からも受けることがあります。私は、自分と違う信仰をすぐに「異端」と呼ぶことは嫌いですが、一方でクリスチャンでない人にも納得してもらえる基準があると思っています。
その一つの基準は、「カルト」と私たちが呼ばざるをえない宗教は、イエス・キリストだけで救いが十分だと言わないということです。あるいは、イエス・キリストにおいて示された最終的な啓示、それは聖書に記録されているわけですけれど、それだけでは十分だと言わない。イエス・キリスト以外に、自分たちの宗派の教祖に新しい啓示があったと言います。この点が、すべてのキリスト教系カルト、または「バイブル・カルト」に共通しています。
 具体的に言うと、統一協会は文鮮明先生に啓示が新しく下った、それが『原理講論』に書いてあると主張する。モルモン教はスミスさん、あの人が翻訳機で新しい神の啓示を解いたと。それからエホバの証人では、神がラッセルさんに、世の終わりについて新しい啓示を与えたと、そういうことを言います。つまりいずれも、イエス・キリストだけでは十分でないと言うのです。
私はついこの間、『日本語大辞典』で「キリスト教」の項目を引いてみましたが、まず、「イエス・キリストを救世主とする宗教」と書いてありました。この言い方はちょっとおかしくて、「イエスをキリスト(救世主、メシア)とする宗教」と言うべきでしょうけれど、それはともかくとして、その次に「紀元三〇年頃成立」とある。これは歴史的な説明です。そして次に「ユダヤ教と共通の旧約聖書と、それに加えて新約聖書を経典とする」と書いてあります。つまり、普通の国語辞典でもキリスト教というのは、イエスをキリスト、救い主として、必要で十分な方と信じる宗教で、またキリスト教の経典は聖書だけだと説明されているわけですね。
ところが、キリスト教系カルトはどれも、イエス・キリストの啓示だけではまだ不十分で、新しく啓示が自分たちの教祖に来たと主張します。だから、イエス・キリストだけで十分だとはっきり言わないところがあります。
 また、イエス・キリストのことを知ろうと思ったら聖書以外にないわけですから、イエス・キリストこそ救いのために必要で十分な方であると考えれば、聖書こそ私たちの救いと信仰生活のために必要で十分な書物になるはずです。ところが、カルトは必ず聖書のほかに『原理講論』とか、聖書のほかに『モルモン経』とか、聖書のほかにラッセルさんの言葉とかを、その教団の規則で聖書と同等とする傾向があります。キリストの上に自分たちの教祖を載せる、聖書の上に自分たちの教祖の言葉を載せる、というのがカルトに共通している点ではないかと思います。(P202〜204)


「聖徒の未知」コメント:浅見定雄氏は東北学院大学名誉教授、日本脱カルト協会代表理事。言わずとしれたわが国カルト宗教問題におけるの最高権威である。統一教会信者の相談と同様にモルモン教徒の相談に応じていた事、また、モルモン教がカルトであることを極めて平易、簡明に述べている。


「百瀬文晃(上智大学神学部教授、カトリック・イエズス会司祭)ホームページにようこそ
−キリスト教に関する Q & A」より

http://pweb.sophia.ac.jp/~f-momose/qaindex.html 

 モルモン教は、正式の名称は「末日聖徒イエス・キリスト教会」と言って、一八三〇年ジョゼフ・スミスという人によって米国で創立されたキリスト教的な新興宗教です。スミスは天使の啓示によって『モルモン経』という聖書を発見した、と主張しました。それによると、古代イスラエルの一部族が紀元前六〇〇年頃アメリカ大陸に移住し、これがアメリカ・インディアンの祖先でした。イエス・キリストが彼らに現れ多くのことを教えたにもかかわらず、彼らは堕落して滅び、ただ一人の生き残りであるモルモンがすべてを金の板に書き記して埋めた、と言うのです。その教えによると、今の世の終わりが近く、イエスは間もなく再臨します。モルモン教徒は、自分たちこそイエスの再臨を準備する集団だと確信し、他のキリスト教の教派を誤りとして排斥します。
 教祖のスミスは一八四四年に死にましたが、後継者ヤングは信徒たちを米国西部のユタ州に導き、ソートレイクシティーという町を築きました。この町は終末的なエルサレムとされています。モルモン教徒の生活は道徳的に非常に堅固で、勤勉に仕事に精を出します。特に宣教活動に熱心で、すべての男子の信徒が二年間は世界のさまざまな国で布教に従事することが義務づけられています。
 モルモン教徒の倫理的なまじめさは尊敬に値しますが、その教えは架空の私小説に基づく、一九世紀のアメリカの世界覇権の自負心に由来する、と言ってもよいでしょう。正統なキリスト教とは言えません。」

「聖徒の未知」コメント:モルモン教徒が何と言おうと、モルモン教は正当なキリスト教とは認められていないのである。


「立花隆のインターネットはどこでもドア−『モルモン教』の集金活動」 より

「モルモン教は、今でこそアメリカのエスタブリッシメントとみなされているが、それは成功したカルトとしてエスタブリッシメントになったということなのである。(中略)モルモン教などは、信者は収入の10分の1を献金することになっているし、日本の創価学会も、その成功のかげには、財務と呼ばれるすさまじい集金活動があることはよく知られる通りである。アメリカのカルト集団リンク集には必ず創価学会と統一教会が入っている。最近リンク集の中に創価学会批判のページも登場してきた。」

「聖徒の未知」コメント:モルモン教徒が何と言おうと、モルモン教会は少なくともカルト教団としての過去を持つことは世間一般が認知していることである。
2003年9月管理当番者注:本記事は講談社発行の月刊誌VIWESに立花氏が連載していた記事である。既に同誌は廃刊され編集部も解散している。但し、当該記事のコピーは当方で保管してあるので、必要な方は問い合わせられたい。モルモン教に関して書かれた別の部分も紹介すると以下の通りである。

 モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)は、いまや世界で800万人の信者を持つアメリカの最も有力な宗教のひとつにかぞえられているが、1830年にはじまったときは、信徒数わずかに30人で、カルトそのものだった。
 教義もカルト的だった。神はかつて別の惑星に生きていた人で、死んでからこの地球で復活して神となった。同様に人間も潜在的には神になり得る能力を内に秘めた「神の胚種」である。もうすぐハルマゲドンを経て歴史の終末がくるが、そのときキリストが再臨して、神の国を作る。そのときに備えて、独自の神の国を今から作りはじめなければならない。ということで、教団は独自の武装集団を作りあげていた。アメリカでは憲法上武装の自由が認められており、民兵組織(ミリシア)を作ることができる。ブランチ・デビディアンもこの憲法上の権利にもとづいて武装集団となっていたのである。それを皆殺しにしたというので、連邦政府は全米のミリシアの反発をかった。爆弾事件のマクヴェーも中西部でミリシアのメンバーだった。
 実はモルモン教団も、かつて強大なミリシアを持ち、連邦政府と武力対決したことがある。モルモン教は、今でこそアメリカのエスタブリッシメントとみなされているが、それは成功したカルトとしてエスタブリッシメントになったということなのである。  


「トウェンティハンドレッド−黄金世紀への予告」より
 (ジョン・ネスビッツ著、木村尚三郎監訳、日本経済新聞社刊、1990年)

「福音派よりも福音主義的であり、なおかつ権威主義的なモルモン教徒は、1940年当時の約75万人から、現在(1989年)は620万人への増えている。そのうち400万人がアメリカ国内の信者であり、あとは海外である。海外の信徒数は2000年までに米国内の信徒数を上回るものとみられている。同派は、アメリカの他のどの教派よりも多い3万人の学生宣教師を95の国および20の自治領に派遣している。1987年には、モルモン教の歴史始まって以来最多の入信者を記録した。」

「聖徒の未知」コメント:「権威主義的」という評価はまさに的を得ている。現時点で、既に海外の信徒数は米国内の信徒数を上回っている。


「ハワード・ヒューズ」より
(ジョン・キーツ著、小鷹信光訳、早川書房刊、1977年)

「しかしヒューズは、さらにプライバシーを確実なものにするために、モルモン教徒の護衛兵に身辺をかこませることにした。彼らの大部分はブリガム・ヤング大学の若い学生で、命令されたことはなんでもやるのが彼らの仕事だった。ある者は、ニューススタンドに出るすべての雑誌を一部ずつ買うようにいわれた。他の者は、作家のスティーヴン・ホワイトがいっているように、飛行機をオレゴン州ユージーンの飛行場に準備せよとか、ダラス=タルサ間の航空路線の資料を集めろとか、病気の友人に花をとどけろとか、1936年以来音信のなかった人物の消息をつきとめて電話にださせろとか、ある若いご婦人をにぎやかなナイトクラブの最上のテーブルにつけるようはからい、狼どもを寄せつけないように同席しろとかいった様々な指令を与えられた。ヒューズがモルモン教徒を使用人として選んだのは、敬虔なモルモン教徒が、酒も煙草も賭事もやらず、仕事に忠実で、清教徒の性道徳にも、すでに一夫一婦制度を認めていた彼らが同意するだろうと考えたからだった。てっとり早くいえば、彼らはおかたい人種と考えられていた。ヒューズは彼らすべてがラスベガスの誘惑にたいする免疫性をもっていそうだとふんで、17世紀の英国の政治家クロムウェルが彼の鉄騎兵たちを信頼したと同じように、彼らを信頼しきっているようだった。」

「聖徒の未知」コメント:ハワード・ヒューズはアメリカの伝説的な大富豪であり、奇行の主としても知られている。本書はその伝記である。モルモン教徒に対しては、清廉な生活を送る一方、言われたことを忠実に実行するという評価がなされている。雇い主に忠実であれ、というのも教会の教えである。ヒューズにとってのモルモン教徒は「忠犬ハチ公」であった。なお、ラスベガスのカジノのオーナーや従業員の多くはモルモン教徒と言われている。


「ユダヤと日本 謎の古代史」より
(M・トケイヤー著、箱崎総一郎訳、産能大学出版部刊、1975年初版、1995年43版)

「この失われたユダヤの十種族に関してさまざまの偽りの歴史が書かれたことも事実である。たとえば、モルモン教会は自分たちの宣伝の目的でさまざまな偽りの歴史を書いた。その中で、アメリカ・インディアンはユダヤの失われた十種族の子孫たちであると述べている。しかしアメリカ・インディアンは蒙古系に属しているので、アジア系ユダヤ人たちが北方を通って古代アメリカに移住したという可能性は、完全に否定することはできない。また、アメリカ・インディアンのある種族では、古代ユダヤのシンボルを使用していたと伝えられているものもあるが、実際にそれを発見した報告は見られない。」

「聖徒の未知」コメント:著者は日本ユダヤ教団のラビである。モルモン書は偽りであると断定しているが、アメリカ・インディアンが北方経由で渡ってきたユダヤ系である可能性は否定していない。モルモン書の民は、イスラエルから船で南米大陸に上陸したこととなっているので、いずれにしてもトケイヤー師の見解とは一致しない。


「緋色の研究」より
(コナン・ドイル著、延原謙訳、新潮文庫、1953年初版、1998年87刷)

予言者や、その人の使命に関する疑惑を、親しい友だちにもらしたとする。その友人がすぐに、火と剣を手にして、暗夜おそるべき復讐を加えにくるかもしれないのだ。だから、すべての人々は隣人をおそれ、心の奥は決して口外することをしなかったのである。」

「聖徒の未知」コメント:おなじみシャーロック・ホームズ・シリーズの第一作。本書の第二部は「聖徒たちの国」として、モルモン教徒の生活が紹介されている。上記の引用はほんの一部であるが、一方、モルモン教徒が試練に堪え忍び、勤勉な人々であるという描写もなされている。中扉の裏に新潮文庫編集部による次のような注意書きがある。「本書のモルモン教会(末日聖徒イエス・キリスト教会)に係わる描写には事実と乖離したものが散見されますが、本作品が十九世紀末に書かれたものであること、またフィクションであることから原文のままといたしました。なお、モルモン教会には『四長老会』なるものは実在せず、異教徒との結婚を禁ずるということや第三者が結婚相手を決めるということもありません。また、一夫多妻も一八九〇年には廃止されております。」この注意書きの後半部分以外には、どこが「事実と乖離」しているかは明確に示されていない。全般的には当時の教会の雰囲気がよく描写されていると思われる。一夫多妻は表向きは1890年に廃止されが、実際にはその後12〜13年は継続されていたことが知られている。ちなみに、「聖徒の未知」作者は「疑惑」を公に発表したため、脱会届を提出したにも関わらず、破門の憂き目に遭った。


*教会に好意的、否定的を問わず、みなさまからの情報をお寄せ下さい

アナホリ参考過去ログ:一般人も怒っている外部からみたモルモン教


wpe2.jpg (1620 バイト)