狂乱のバプテスマ


以下は、1980年代初頭の日本で行われていた伝道方法により教会に入信させられ、現在は脱会している元モルモン教会員による証言である。宣教師が改宗者数を競うあまり、相当強引な伝道が行われていたことがわかる。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

時は1980年10月…。

18日は土曜日だから(記憶に間違いない)、その前の日曜日12日、あるいはもうひとつ前の日曜日、5日の事だったのかもしれない。あたしは10月14日が誕生日なので、その時はまだ14才だったという事になる。いずれにせよ、日曜日の午後、おそらく4時前後の事だろう。

あたしは友人、あの某ポケモンキャラデザイナーに後になるG氏と、某Keyなどオリジナルアニメーションキャラデザイン&総作画監督となるI氏、それに、その後どうなったか知らない(^-^;)A氏らとともに、甲府市の繁華街、某岡島デパートと某山梨中央銀行本店の間を通る道(オリオン通りかな?)にいた。その前の事は覚えていない。ともかく何かの理由でその4人でいた事は確かだ。まだ中学生の子供らに氏づけもおかしいので、以後は君づけにでもしておこうか?(^-^;)

この時、あたしらは、そこにおいてあった自転車に乗り込もうとしていた。ズラ〜〜っと駐輪された自転車の列が、印象に残っている。

「ハイ、ハ〜〜イ!」

たしかこんな事をいっていたのだろうか?どういう言葉で語りかけて来たのかは覚えていないが、画像はハッキリ覚えている。西に傾きかけの日ざしの中、人混みをかき分け、ネクタイを締めた(背広かワイシャツだけだったか忘れた、いや背広だったように思える)金髪の白人男性が右手を大きく振って駆け寄って来たのだ。

「5分間、イイデスカ?ワタシハ、三日前、アメリカカラ来マシタ。ソノ前三ヶ月ニホンゴ勉強シマシタ。イマ無料デ英会話ヲ教エテイマス。ヨカッタラ来テ下サイ。」

捕まったのはA君であった。当時は今程国際化などされていない頃で、地方の都市で白人を見るなどとは稀な事だった。あたしは「おお、白人ダァ!」とちょっとコーフンして、A君の対応を見守った。

「はい、…はい。」

A君は適当に返事をして自転車を漕ぎ出し、その白人を振り切った。あたしらは後に続いた。白人は振り切られる前に、なんとかチラシをA君に渡していた。

自転車で繁華街を通り抜け、県立図書館を目の前に見える、何故かライオンだか象の頭の像がついた(何か動物のものだったと思うが忘れた(^-^;))ビルの横で、一行は一度止まった。

「オレたちは3年も学校で英語を習って話せないのに、三ヶ月で日本語をあんなにペラペラはなせるわけないじゃん。あんなのウソに決まってら。」

A君は言い切ってもらったチラシを路上に捨ててペダルを踏み込んだ。あたしは『もしも本当に三ヶ月で覚えられたら凄いぢゃないか。』と思い、捨てられたチラシを拾ってから後に続いた。チラシにはなんとか教会(あんましそのあたりは読んでいなかった(^-^;))でやっていると地図が描かれてあった。蜜蜂ハニーという、落書きみたいな汚い文字も書いてあった。

家に帰ってからそのチラシを親父に見せた。当時、うちは父子家庭で、親父はとっくに社会人をリタイアする高齢で、年金生活者だった。つまりビンボーだったわけだ(^-^;)。

「ここいってもいいかなぁ?」

とあたしは言った。はっきりいってあたしの学校の成績はヨロシクなかった(^-^;)。成績は学年でも後ろの方だったが、基本的に勉強嫌いだったので仕方がない。だが、高校受験が半年後に迫っていた。英語の成績を上げたかった。親父は塾にも行かせなかった事を不憫に思ったのかもしれないが、その時は、特に反対はしなかった。

カレンダーを見よう。無料英会話のクラスは週3回だとあった。今は水曜日と土曜日にやっているようだが、当時は、記憶に間違い無ければ火曜日と木曜日と土曜だった。だから14日と16日、それに18日って事になる。14日といえば誕生日だから、そういう行動をとったかどうが疑問だが、一度チラシにある場所に出かけて、中に入らず帰って来たような気がする。やはり恐かったのだ。

あたしの印象では、教会というところは、建物の間に挟まれた小さくて古い洋風の一軒家で、木のオルガンなんかがおいてあるような、そんなものであった。後で調べると甲府キリスト教会という教会が甲府駅北口の東にあって、それを見かけた時の印象がそのまま残っていたというか、ずばりその教会でやっていると思っていたのだ。

ところが実際に行っみると、それは違っていた。場所は全然は離れていたし、建物は白く大きく立派だった。まだ建ったばかりの新品の臭い漂うモダンな感じの教会堂だった。十字架もなく、あらゆるあたしの先入観を打破していた。でもって、最初はそれに怖じけずいて帰ったのだ。今にしておもえば、そのまま永久に関係を断っていたらどんなに幸せであった事であろう(^-^;)。

次ぎの日ということになるのだろうか?恐らく。あたしはチラシにある教会の電話番号に電話したように思う。何を話したか覚えていないが、きっと何をもっていけばいいのか?といったような事を話したのだろう。ノートと筆記用具、その他…を持って出かけたような気がする。

そして木曜日、16日、あたしは心の準備もしっかりして、今度こそはと、英会話ヘ出かけた。出かけるまぎわ親父が玄関で、

「大丈夫か?そんな所にいって、教会に入れさせられるんぢゃないのか?」

と言ったが、あたしは

「教会にも興味がある。」

ような事を答えたように覚えている。

確かに教会には興味があった。好奇心のようなもので、入会したいというような類いのものではなかった。

その頃あたしはユダヤ人に興味があった。キリスト教に偽善的なものを感じていて、そのキリスト教に迫害されたユダヤ人、迫害されても自分の信念を曲げないユダヤ人に憧れというか判官贔屓のような感情を抱いていた。(でも詳しい事情を論理的に知っていたわけではない。そこの所が子供である。)

だから、この教会がキリスト教であるならば、ユダヤ人を迫害した事について論じたいなどと思っていたのだ。

理屈っぽいところは今も変わらない(^-^;)。当時のあだなは成績が悪い癖に何故か「教授」。オタッキーだったこととクイズダービーの塩沢教授に似ているということでそうなったらしい。(ユダヤ人がどうのこうのっていうのは中学三年生にしては、確かにオタッキーではあるよね(^-^;))

しかし、これが世の中を甘く見過ぎていた子供のたわごと。夢ごとのようなものである。知ったかぶりは後で痛い目にあうのだ。

今では違うが当時の英会話のチラシには「モルモン教会」とだけあった。だからその教会が実はどういう教会かはまったく分からなかった。今なら「末日聖徒イエス・キリスト教会」などと書くから、ユダヤ人贔屓のあたしは、もしかしたら行かなかったかもしれない。運命と偶然とは恐ろしいものだ。

白い大きな建物に初めて入る。玄関にはまた違うでかい背広の白人が座っていた。あたしはチラシを見せて、これを見て来た。電話で話した者だ。等の事をいったように思う。でかい白人はニッコリしたように思うが立ち上がって、奥に案内した。立てばさらにでかい!あまりのでかさにあたしは畏縮してしまった。

教会の中は白人の男ばかり6人がうろついていた。日本人の姿もチラホラ見えるが、皆、当時のあたしと同じ歳ぐらいの青少年で、大人はいなそうだった。

そこであたしは勝手に『ああ、この教会は、新しく教会堂を建ててやり始めたばかりなんだ。6人の若い白人以外まだ信者もおらず、それで、サービスで英会話をやっているのか』などと思い込み、何やら哀れというか、同情感が湧いて来てしまった。

一室に通され、今日は英語の授業にでずに説明だけするというような事を言われた。勉強嫌いのあたしは、何故かここでホッとする。おいおい勉強しに来たんだろう(^-^;)と今ならつっこむところだが。案内した白人が別の白人を呼ぶ。生の英語だ!

うまれて初めて生の英語で白人がペラペラ会話するのを見て、あたしはドギマギしてしまう。先にも述べたように、まだ国際化など遠い時代で、今なら学校に白人先生を置いて、英会話のクラスなんかもあるようだが、当時はそんなものなどない。おじさん、おばさんの英語の先生に、「This is a Pan」などとやって、初めて英語に接するという、そんなような時代だった。しかもあたしは成績が悪い(^-^;)。今流にいえば、チョーキンチョーする瞬間である。

二人の白人がでかい白人と入れ代わりにやって来た。二人ともあんまし背が高く無く、案内した白人とは対照的である。1人は、日曜日にA君にチラシを渡した例の白人で顔ははっきりいって悪いが、ハンサムには程遠かった。(^-^;)。テレビや映画などと違ってホンモノの白人とはこんな程度かい(^-^;)っていわせてくれるような顔だった。

「コンニチワ、ワタシハ、ハニー長老デス」

と、彼は言った。チラシにあった蜜蜂ハニーとはこれの事だったのだ。しかし長老って?(^-^;)?もう1人はハニー長老っていう人物にくらべると格段にハンサムだった。しかし背はチビといっていい(^-^;)

「コンニチワ、ワタシハ、ミルン長老デス」

そういうと、どちらかだったか忘れたが、片方が残り、片方が去って行った。ともかく残った方から、英会話の説明を聞いたのだ。初級、中級、上級のクラスがあるとか、あれやこれや(忘れた)説明が終わったので、あたしはこれで今日は帰れると喜んだのだが、説明をした白人は言った。

「30分、時間アリマスカ?少シ教会ノオハナシヲシタイノデスガ。」

来た!あたしはほくそ笑んだ。よし、こいつらと宗教談義などしてくれよう。などと高邁な事を思っているのがアサハカ(^-^;)。

「いいですよ。」

無料で英会話を教わるのだから30分ぐらいは良いだろうという気持ちもあった。それに道ばたにチラシを捨てたA君の姿が浮かび、まだ始めたばかりの教会で、誰も話を聞いてやらなかったら可哀想だという同情もあった。

座って待つようにいわれると、再びもう1人の白人がやって来た。これで二人。ともかくハニーとミルンが一緒だったのは覚えている。そこでまず二人はフリプチャートを取り出し、あたしにそれを開いて見せた。いやいや、フリプチャートというのは後に知った言葉である。要するに黒いチャックのついたバインダーで、その中に色々絵が挟まってあり、紙芝居よろしくその絵をペラペラめくりながら教会の説明をするのである。今でいうプレゼン見たいなものである。しかし当時のあたしとしては、びっくりな経験だった。そんなようにして物事を説明されるのを見たことがないからだ。

「アナタハ、人ハ何故ウマレテ、ドウシテ生キテ、死ンダラドコニ行クノカ、考エタ事ハアリマセンカ?」

と二人の白人は質問して来た。三つの質問だという。

それぐらいの事は、特に青少年期になれば誰だって考えるような事ではないだろうか?今ならそう思える。しかし当時はそんな事まで頭が回らない(^-^;)。

「はい。」

と、答えると。

「素晴シイデ〜〜ス!」

と大袈裟に誉めたたえられた。

「アナタハ特別ナ人デスネェ!」

おだてられているのである(^-^;)。しかし日常生活でめったにそんな経験のない人間にはこれは効果的だ。

結論から述べるなら、この二人、いや教会にいた6人の白人男性は皆アメリカから送られたLDSの宣教師だった。彼等は日本に来る前に3カ月程MTCという所でミッチリ日本語の教育を受ける。だから3カ月で日本語を覚えたというのは嘘ではなかった。ただ、あくまで決められた言葉しか流暢には話せない。

そして彼等があたしにフリプチャートを使ってやった事はレッスンであった。話し合いではない。あたしはただ聞くだけで、自分の宗教感など話したり、会話したり出来るようなものではなかったのだ。だからいつのまにか話しはポンポン繋げられた。

「人ハ死ンダラ霊界ニ行キ裁キヲ受ケテ、日ノ栄エ、月ノ栄エ、星ノ栄エニ行クノデス。」

片言の日本語でポンツカポンツカ、しかも今まで聞いたことも無いような話しを聞かされて、あたしは面喰らっていた。はあ、そうですか。ぐらいのコメントしか出せなかったと思う。

「ハイ、デハ人ハ死ンダラドウナルデショウ。コノフリプノ絵ノ順番デ行クト?」
「え?ここでしょ。ここでしょ。ここ。」

絵で説明されているのだから、答えるのは簡単だ。言葉で説明出来なくとも、宣教師が指でなぞった後を指で示したに過ぎない。(まさかこれで人生を悟らせたつもりだったのだろうか?無茶苦茶である(^-^;))

「素晴ラシイ!大変頭ガヨイデスネ!」

宣教師は大袈裟に叫ぶ。

「死後復活シテ、行クトコロデ一番良イトコロハ、日ノ栄エノ王国デス。ココデハ、家族デ住メマス。他ノ所ハ住メマセン。アナタガ結婚シテ子供ヲツクッテ皆ココデ住メマス。ココニ行キタイデスヨネ。」

はっきりいって、混み入った事になってくると、何を言っているのか聞き取りにくかったのであるが、(上のセリフが読み難いのと同じ)一番良い所に住みたいですよねと、いわれれば、とりあえず相づちぐらい打つ。そしてその度毎に「スバラシイデス!」攻撃であった。

「ココニ行クタメニハばぷてすまヲウケナケレバナリマセン。ばぷてすまトハ水ニ沈メル儀式デス。」

宣教師はバプテスマの絵を見せた。そんなものもあるのかぁ。とその時のあたしは他人事で聞いていた。その他神の預言者だ事のモルモン経という書物だ事のと何かかや、延々と話しは続いた。しかし、いずれも聞いたことも無いような、やはり面食らう事ばかりである。テレビでノストラダムスの話しやUFOの話しを聞いている感覚に似ていた。(預言者って言葉を聞いた事あるか?っていうからノストラダムスを知っていると答えたぐらいだ(^-^;))他人事の面白さというべきか。

しかも預言者の説明の時、彼等はこういったのだ。

「神様ハ代々預言者ヲ選バレテ地上ニ送リマシタ。あぶらはむトカもーせトカ、いえすモソウデスネ。彼ハ少シ特別ナ預言者デシタ。ソシテじょせふ・すみすトイウワカモノモ神様ノ預言者デシタ。」

今では信じられ無い話かもしれないが、この時宣教師はイエスは特別な預言者という説明で終えたのである。キリスト教に偏見を持っていたアタシはこれで、この教会はキリスト教ではないと理解し、ユダヤ人贔屓であるためユダヤ人に残した本とかいう話しに共感めいたものを感じたのは事実だ。

しかもいくら思い出しても、あたしはこの時のレッスンにイエスのあがないっていうのを教えられたように思えない。宣教師が聖典を片手で持ち上げて、

『コレ(聖典)ガ罪デス。思イデスネ。コレヲトル儀式ガぱぶてすまです。』

みたいな説明ぐらいである。罪と購い?の説明は。

いずれにせよ、約束の30分を遥かに超過して2時間前後拘束されてあたしはそのレッスンを終えた。部屋に時計がないものだから、お間抜けなあたしは『長い30分だったなぁ。』と思って外に出た。その時にはモルモン経を渡され、読んで下さいと指示されていた後だった。祈れとも教えられた。

「明後日、英会話ノ時、マタソノ本ヲ持ッテ来テ下サイ。マタ少シオ話シシマショウ。」

元々本は好きだったし、ユダヤ人の記録だというので受け取ったのであるが、とても明後日までに読めるような感じではなかった。ただ、少し見てみたいという好奇心はあったのは事実だ。

約束の土曜日。つまり10月18日の事である。夕方、初めて英会話に出た後(ほとんど記憶なし)、あたしは宣教師のレッスンを再び受けることになる。その時は十戒の話しだった。十戒といえば、あのユダヤ人の映画である(^-^;)(でもあたしはまだ見ていない。話しだけしか知らなかったのだ)

「神様ハ、神様ダケを神様トシナサイト戒メマシタ!」

と宣教師は例によって辿々しい日本語で説明する。この頃になると、あたしの返事は殆ど社交辞令である。丁度「宇宙戦艦ヤマト」がやっているころで、あたしは7時までには家に帰りたかった。(アニメオタクだった(^-^;))余計な事はいわず、ハイハイいっていれば、早く帰してもらえると思っていたのだ。

「ばぷてすまニツイテ覚エテイマスカ?」
「ええ」
「ばぷてすまヲ受ケルト、罪ヲ洗イ流ス事ガデキマス。素晴ラシイト思イマセンカ?」
「ええ。」
「ばぷてすまヲ受ケタイト思イマセンカ?」

バプテスマとは実際何なのか?当時のあたしがどれ程理解していたであろうか?何せその日とそれ以前の日、二日、述べ4時間の話しの中で初めて聞いたり見たりしたような事だからだ。写真で見れば白い服を着て、水に浸かるらしいが、それは全然現実的な世界とは思えなかった。まるで「ドラえもんに会いたいと思いませんか?」というぐらいの意味にしか捉えられなかった。あるいは「UFOに乗ってみたいと思いませんか?」ぐらいの意味か?

「ええ。」
「素晴ラシイ!見テ下サイ!」

突然レッスンを受けていた部屋にガラガラ!という音が響き渡った。それはあたしが座っていた席の真後ろで、そこの壁は戸になっていたのだ。そして開いた戸の向こう側には満々と水をたたえた巨大な風呂桶のような水槽があった。バプテスマフォントである。

「コレハ、アナタノタメニ用意シマシタ!」
「え?」
「サア!ばぷてすまヲ受ケマショウ!」

あたしは今までのどれよりも面喰らった(^-^;)。唖然呆然である。ともかくここ数日間は面喰らうことばかりで、あたしの想像や、先入観を超えたあたしの常識を覆す世界で(外人ばかりの世界。白いでかい教会。キリスト教ではないモルモン教会。モルモン書。神と会ったというジョセフ・スミスの話し…etc)思考回路がパニクリはじめていた。いや、テレビの向こう側、遠いどこかの出来事で済むのであれば、どうって事ではない、面白い話で済むのだが、実際の行為を求められるとは思いもしない事だった。

「今?」
「ソウデス!罪ノ赦シヲ早ク受ケタイデショウ!」
「ちょっと待って下さい。その…お父さんと相談したいですけど。」

常識的に考えれば、未成年なんだから、何でも親と相談してきめるのは当然だ。だが、この場合のあたしはそういう意味ではなくて、ともかくその場を逃れたいがための言い訳としてこの言葉を吐いた。

「コレハ、アナタノばぷてすまデス。オ父サンガ受ケルワケデハアリマセン。」

その場逃れで親父の事をいったのだから、あたしはこの言葉で親父の了解の話しはひっこめてしまった。まともな大人がその場にいれば「いやそうぢゃないだろう!」といってくれたのだろうが、そこにはいなかった。しかしなんとか別のいいのがれというか疑問を提示する。

「でも、バプテスマを受ければ、その日の栄えっていう所にいけるのはいいんですけど、僕の家族が受けなければ、みんなでそこにはいけないぢゃないんですか?」
「大丈夫デス。ソレニハ方法ガアリマス。」

まさにとりつく島なしである。そういう方法があるなら、それを説明すべきではないか?と今なら思うが当時はやっぱり言い訳なので、そこまで発想できない。あたしは押し黙ってしまった。それであたしが同意したと思ったのかハニーとミルンは出て行った。準備をしにいったらしい。

この隙に逃げられないか?とあたしは考えた。窓があったので、窓から逃げられるのではないかと思ったが、窓の向こうがどうなっているかわからないし、あまりアクティブなタイプではないので、そういう事にはためらいがあった。それで上手く廊下に出て玄関から逃げられるのではないか?と思って外に出てみると

「ヘイ!ドコヘ行キマスカ?」

と、例の見上げる白人宣教師が前にやって来てあたしの両肩を掴んだのである。

「と、トイレへ…」

あたしはとっさに言い逃れる。

「オウ、といれナラアソコデス。」

と、とりあえず巨人!?宣教師は微笑んで手を離してくれた。こうなったらトイレの窓から…と思ったのであるが、いかんせんトイレには窓がない!後々知ったのだが、女子トイレからならな窓があったので逃げられたのである(^-^;)それなら部屋にもどって、部屋の窓から!と思いきや、部屋に戻ればまた別の白人宣教師が座っていた。まさにトホホな状態である(^-^;)。

てなわけで、あたしはその日、1980年の10月18日、バプテスマという水に沈められる儀式を受けてモルモン教会ことLDSに入会したのである。教会の宣教師と出会って数日。話を聞いて3日(聞いた日は2日4・5時間)15歳になったばかりの時の事である。下着の替えとかないあたしに宣教師は股引みたいなパンツを渡し(後に知るのだがこれはガーメントでLDSにとっては本来特別な下着だ)、それをトイレで着替えて水に入ったのであった。

その後

「セイレイノタベモノヲアタエマスノデココニ座ッテ下サイ。」

と、いうから、何か御馳走でもくれるのか?と思いきや、周囲に3人の宣教師が立って囲み頭に手を置かれて祈られた。セイレイノタベモノではなくて、聖霊の賜物っていう儀式だった(^-^;)。ま、実際、バプテスマにしろ聖霊の賜物にしろ、クリアしてしまえば、「なんだ大した事ないな。」っていう感じである。ホッとしたという実感があったのは確かだ。最後に感想をいえといわれたので、「バプテスマをうけて罪が流されてよかったです。」などとお間抜けでお人好しのような事を語ったように思える(^-^;)。

家に帰ってみれば親父が驚いた。

「なんだ、ビッショリじゃないか(頭の話し)雨でも降っていたのか?」
「教会にはいっちゃった…。」
「ほら見ろ!いれさせられちまったぢゃないか。」

ここで素直に認めればいいのに、丁度反抗期の真っさ中である。(といっても他は穏やかだったよ)

「いいんだよ。教会に興味があったんだから。それにキリスト教ぢゃないんだよ。モルモン教っていってね、ユダヤ人の本があるんだ。まだ信者もいない新しい教会なんだ。」

みたいな事をいって反ばくしたのだ。大馬鹿である(^-^;)。(事の重大さがわかっていなかったともいえる。子供だから。そりゃそうだ。二日で入れさせられればそう思うよね。)

翌日の日曜日。初めて教会の礼拝に集う。

行ってみたら日本人だらけ。ふつうにネクタイ締めたおじさんやおばさんもわんさかいる。『なんだとぉ!出来たてで、まだ信者が誰もいない教会ぢゃなかったのかあ!』と、勘違いの一つをいきなり解かされた日だった。白人宣教師に対する同情はまったく無用だったのだ(^-^;)。

さらに、その教会の本当の名前が「末日聖徒イエス・キリスト教会」であり、自称キリスト教と知ったのは、なんとバプテスマを受けて数カ月後である。(なんと当時教会の壁にはまだ名前がついてなかった。教会堂が出来たてで、つくっている途中だったらしい。)

「え?キリスト教だったの?」

てな調子である。(教会の本部がどこにあるかも知らない。尋常でない改宗だ。)

つまり、こんなように、何も知らずに入らさせられたのであるから、良く考えて、検討して、調べて入ったのとはワケが違う。ちなみにその当時、あたしと似たような経験で、教会に入った青少年はわんさかいる。それがいわゆるLDS日本、恐怖の80年代バプテスマ騒乱というモノなのだ。

今でこそLDSはこんな改宗のさせ方はしないのだが(それでも50歩100歩だと思うのはあたしだけ?)、当時は実際にこういう伝道改宗をしていた。そしてLDSはその事に対して一言も反省も謝罪もしていないのである。(この頃に批判的な会員個人はいるがそういうレベルの話しじゃないよね。組織の問題だ。)

あたしはその証人である。

LDSがカルトであると断じる由来は、あたしにはこの時の経験からあるのだ。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

このような伝道方法により、80年代初頭の日本のモルモン教会員数は飛躍的に増大した。しかし、もちろんそれは実質を伴わないものであった。心ある日本人教会員の中には、このような伝道方法が義にかなったものでないことをよく理解しており、教会指導者への抗議を行なった者も少なからず存在したが、そのような伝道方法を指導・承認さらには奨励する立場にあった日本人唯一の教会中央幹部K氏は、自分の手柄をけなされることを快く思わず、彼らを教会から破門したり、教会員資格を剥奪したりした。後になって、このような伝道方法がなされていたことがアメリカの教会本部の知るところとなり、K氏は左遷されることとなる。モルモン教会は、当時のそのような伝道方法は誤まったものであるという認識が共有されているが、公式の反省・謝罪の弁は一言もない。

アナホリ参考過去ログ:情けない改宗談改宗と責任


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