ベンソン大管長の孫による脱会手記


 以下はエズラ・タフト・ベンソン大管長の孫、スティーヴ・ベンソンが1994年5月22日付け「The Arizona Republic」紙に寄稿した、教会脱会にあたっての手記である。教会の抱える構造的問題を鋭く指摘している。スティーヴ・ベンソン氏は、風刺漫画家であり、ピュリッツァー賞も受賞している著名人である。翻訳は「素顔のモルモン教」著者、高橋弘教授による

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

「赤の広場」と化したモルモン教大本山

メアリー・アン・ベンソン、スティーヴ・ベンソン

 それは1993年11月のことである。モルモン教会にたいし、教会の名簿から私たちを除籍するよう申し入れてから一ヵ月以上が経過していた。モルモン教会の指導者たちはくり返し、そのことを再考するよう私たちに懇願し、また「神の教会」を離れることは憂慮すべきことであると語った。私たちは、モルモン教会を去る決意は変わらないと伝えた。ついに、教会当局は私たちを不憫に思ってか、破門による追放という措置はとらず、静かに私たちが去ることを容認した。

 ある朝、電話が鳴った。ワード(地方の教会)の監督(教会の牧師に当たる人)からの電話であった。教会本部が、モルモン信仰を棄てる理由を述べた書類が必要だといっている、と彼は告げた。教会を離れたいという欲求があれば、それが充分な理由であると考え、あえて理由を告げる気にはならなかった。

 しかし監督は、教会幹部からの要望で、どうしても手続きを済ませるための書類が必要なのだと言い張った。こうした圧力は不愉快きわまりないものであったが、翌日、再び電話をかけてきたその監督に、モルモン教の教理、歴史、信仰、女性の処遇にかんして、モルモン教会とは見解を異にしていることが理由である、と伝えた。その監督はありがとうと言い、電話を切った。

 10分後、再びその監督からの電話が鳴り、こんどは彼は、私たちの家を売る気がないだろうかと尋ねた。この申し出は断ることにした。

新しい精神的地平

  しかし私たちは、本当の意味での新しい、また、より広い精神的、情緒的、かっ知的世界を、いわば新しい精神的空間を、獲得することになった。

 私たちは、教会との関わりを通じて築いたモルモンの方々との友情を、今でもかけがえのないものと思っている。またアメリカ中から寄せられた、私たちにたいする愛と支持を伝える−モルモンの方々からとモルモン教徒ではない方々からの−多くの手紙と電話を心からありがたく思っている。その中には、モルモン教会との苦痛に満ちた体験を述べてくださった方々も多数おられた。

 一方、いろいろな場面で、私たちは人々から忌避され、非難をされるという経験も余儀なくされた。私たちの子どもの一人は、モルモンのクラスメートから、お前たち一家は信仰を棄てたんだから、そのうちに麻薬でもやるようになるさ、と嘲笑された。もう一人の子は、陰湿ないじめを受けていたので、しきりにモルモンのボーイスカウトを辞めたがっていた。

 多くのモルモン教徒が私たちを、ウソつきであり、無知蒙昧のやからで、出版に目の色をかえる、悪魔にとりつかれた連中と呼び、由緒ある家系の裏切り者と非難していた。またいろいろな脅迫めいた手紙が舞いこみ、そこには、お前たちは霊的な自殺を計ったのだから、あとは地獄に行くしかない、と書かれてあった。

 私たちは、モルモン教のさまざまな愉快ならざる現実について、公開討論のかたちで論議することに決めていたが、このことが原因で、教会を去るはるか以前から、親戚連中からの、私たちを親類づきあいから村八分にするぞという度重なる脅迫を受けるはめになった。ごく近い血縁からも、けっして新聞・テレビには近づくなと脅されたが、この忠告を裏切ったとき、親戚連中から、私たちには「良心」のかけらもないと非難された。

 幸いにも、私たちはモルモンの異端尋問を受けずに済んだ。以前であれば、教会が定めた死刑執行人が私たちを無理やり処刑台へとしょっぴいていったはずである。しかし私たち以外の者は、さほど幸運ではなかったようである。ごく最近、多数のフェミニストや歴史家・知識人・研究者が、いわゆる「異端」「背信」という理由でモルモン教会から破門されたからである。

 「異端」といっても、それは、モルモン教会内での女性の立場を平等にせよという要求から、『モルモン経』の批判的分析にいたるまで、あるいは、モルモン教会当局が外の人間には決して知られたくないと思っている、モルモン教の歴史や教理にかんする物議をかもす問題について、論文や記事を執筆したということまでの、多岐にわたっている。

脅迫による沈黙

 粛清されるかもしれないという恐怖こそ、多くのモルモン教徒ががたくなに沈黙する理由である。モルモン教徒たちは、「プレズレン」に対立したという理由でモルモン教会を追放されることに戦々恐々としている。「プレズレン」とは、教会の上層部をさす言葉である。多くの信徒は、教会が定めた得たいの知れない調査委員会の秘密の報告書に、その名前を記載されている。ユタ在住の数人のモルモン教徒は私たちに、どうも彼らの電話が盗聴されているらしいと話してくれた。ベルリンの壁は崩壊したが、モルモンKGBは、いまだ活発に活動中である。

 こうしたことはまるで歴史にでてくる、ある全体主義国家の物語そのものである。違っている点があるとすれば、それは、これらが今でも実際に起こっていることだという点である。こういう全体主義につきものの望みもしない事件に巻きこまれるのは御免こうむりたいので、私たちは早々とそこを離れることにした。

腐食がすすむ教団

 私たちは生まれてからこの方、モルモン教会の信徒として生きてきたが、ここに至って、モルモン教会は修復不可能な教団であると考えるようになった。つまりその道義の基礎ともいうべき心が、虚偽や、非寛容、盲目的な妥協、という虫によってひどぃ蝕まれてしまっているのである。

 モルモン教は、知性という点でも、また霊性という点でもいちじるしく腐敗している。つまりモルモン教は、信徒たちの自由、率直さ、真実を、平気で踏みにじり、勝手気儘に、しかも組織ぐるみで教会の権威を乱用するという腐敗ぶりであり、また、予言者としてのヴィジョンを持ちあわせていない人間に導かれる教団である。モルモン教は、抑圧と統制という点で専制君主的であり、その権力の行使という点で独裁主義的である。ひとことで言えば、モルモン教総本山テンプル・スクェアーが「赤の広場」となってしまったのである。

 私たちは今まで、信徒の率直さ、個人としての生き方、個人の権利を平気で犠牲にし、ただただ「祈り、献金し、服従する」ことを信徒に強いる、モルモン教会当局の呵責なき要求を、見聞きしてきた。

 モルモン教は多くの点で、「機能障害をきたした宗教教団」−ある人々はそれをカルトと呼ぶ−の典型的な兆候をあらわしている。それは、ケイ・ポーターフィールドがその『妄信』という著書で描いていたものである。

 私たちの長男は、こうした状況を理解したらしく、モルモン教会から離れる数カ月前、こんな言葉を口にし、私たちを驚かせた。「パパ、この世のなかにどうして宗教があるのか、ぼく、わかったよ。言うことをきかないと地獄におちるぞと、怖がらせておいて、人々に言うことをきかせるためなんだよね」。

 モルモン教会は、厳格な、上意下達の、家父長的権威のシステムという土台のうえに建てられており、権力の健全性を保つための「抑制と均衡」というシステムを初めからもたない教団であり、したがって権力の乱用は起こるべくして起こった。

窒息する女性たち

 この点で私たちは、モルモン教会の最高幹部たちによる、女性信徒にたいする統制と抑圧を深く憂慮してきた。妻メアリー・アンは、あるモルモンの男性幹部から手厳しい非難を受けたが、彼は、モルモン幹部のよく使う常套手段なのだが、彼女と直接話すことを拒み、その代わり夫スティーヴを通じて非難の言葉を伝えてよこした。

 その幹部は、教会学校の青年クラスで、メアリー・アンが語ったことに憤慨していた。すなわちメアリー・アンは、イエスが十字架につけられたとき、男どもは命からがら逃げ出したのにくらべ、女たちはイエスが死ぬまでイエスのみもとから離れなかった、と語り、これらの女性たちの勇気を讃えたのである。その幹部によれば、メアリー・アンのしたことは決して誉められるべきことではないということであった。「われわれは、(男性)指導者たちが(主にたいして)忠実ではなかったなとどいうイメージを、若い人たちにけっして抱いてほしくないものである」と、彼はいった。

 私たちの十代の娘は、教会の差別には我慢ならないと考えている。彼女は、教会のある宗教のクラスで、黒人に神権を拒絶してきたことが人種差別であるのとまったく同じ理由で、女性に神権を拒絶することは性差別にほかならないと、指導していた教師にたいして大胆にも反論したのである。その女性教師は、モルモン大管長の曾孫の反論にたいして、適切な答えをまったく持ちあわせていなかったのである。

幼児愛者を擁護する教会

 メアリー・アンは、男性会員の幼児虐待者を擁護するあまり、その性的虐待の犠牲となった幼い子どもの苦痛をあまりに軽々しく受けとめるモルモン教会の家父長的システムに、驚愕した。メアリー・アンはまた、虐待を受けた女性の苦痛を、永遠のご計画のなかではほんのささいな経験であり、それは小学校一年生のときのちょっとしたいやな経験みたいなものだ、と言いはなった年配の使徒の無感覚な発言に、ショックを受けた。

 こと女性に関しては、モルモン教会からすれば、スティーヴでさえ解放されすぎた男性ということになってしまう。スティーヴは、女性の権利をまったく認めようとしない教会のあり方を、劇画によって批判した。それに対して、ステーキ部長から「こういう人を中傷する活動は止めるように」との厳しい勧告をうけたが、彼はそれを断固としてはねつけた。

 同様に、スティーヴが、アリゾナ州のモルモン教徒の知事、エヴアン・メチャムを批判する劇画を書いたときにも、モルモン教会のなま温かい吐息を彼はその首すじに感じた。メチャムが「クロンボの子」という差別的言葉を擁護するさまを風刺した彼の劇画にたいして、モルモン教会のある匿名の使徒が文句をつけた−波が不満を抱いているということが、わざわざ血縁を通じて伝えられた。モルモン教会当局は、こうした劇画が、ナイジェリアの宣教活動の妨げになることを恐れているのだ。

 彼の描いた劇画は、メチャムの人種主義的発言やその政治のへまを、いわば標本にしてしまったわけで、それを見たアリゾナのメチャムを支持するモルモン教徒たちからの憤りと抗議の電話が、ソルトレーク・シティのモルモン本部に殺到しだそうである。彼らはスティーヴの作品を「罰あたりである」と非難し、教団の裁判所にしょっびいてくるよう強く要求したという。

 その後、スティーヴは、ステーキ部長からの激しい非難の言葉とともに、彼の通っている教会の責任から外されるという懲戒処分をうけた。

モルモン集団の心理

 モルモン教会は、一人ひとりの信徒の、生活のあらゆる領域に深く侵入している。モルモン教会は、長時間にわたる集会と集中的な罪の告解を通じて、教団のなかにいる信徒たちの、時間とサイフ、思考と感情を、しっかりと握っていることを私たち自身の経験から学んだ。

 ほとんどすべてのモルモン教徒がそうであるように、私たちも、モルモン教会の外に、広大な、しかも変化に富んだ世界があるのだということを、発見するチャンスが殆どなかった。

 私たちは、モルモン教徒であるなら、だれとデートすべきか、だれと結婚すべきか、いつ教会に来るべきか、いつ、どのようにセックスすべきか、なにを食すべきか、いつ、どんな仕事をすべきか、どういう友人を持つべきか、どの映画を観るべきか、そしてどんな映画は観てはいけないのか、なにを着るべきか、などという指導者たちからの指示に従うことに、あまりに忙殺されていたのである。(いつかメアリー・アンは、プールに行く前に、服の下にモルモン教会が指定している魔除の下着の代わりに、ただの水着を着用していたことを、教会当局に報告された経験がある)。

 モルモンの幹部も、彼らに忠実な信徒たちも、ともに、自分の頭で考えようとする信徒と、異なる見解をもつ信徒を、サタンにそそのかされた「狼ども」であり「異端」であるとして非難し、そういう連中の意見は否定されるべきであり、さもなくば、勝手に教会から飛び出さないように速やかに教会に服従させるべきだ、と信じている。スティーヴが、モルモン教会の大管長であり、彼の祖父であるエズラ・タフト・ベンソンの実際の健康状態を、教会が故意に隠しているということを公然と発言したとき、スティーヴだけでなく家族全員がいやがらせを受けたし、集会のたびにチラシが配布され、教会の講壇からはスティーヴの発言を非難する祈りがささげられた。

恍惚の人となった大管長

 教会の幹部たちは、信徒たちの信仰がぐらつかないようにという理由で、モルモンの予言者(大管長)が健在であり、まだ実権を握っているという噂をばらまいているが、実際の大管長は、それどころではなかった。写真撮影のために、まるでショーウインドウのマネキンのように倒れないよう支えられている老ベンソンの姿は、私たちの尊敬し、威厳ある祖父の姿でないことは言うに及ばず、それはまさに教会幹部による、計算ずく、かつ計画的な、権力の乱用の姿であった。

 信徒たちはあとになってはじめて、報道関係者からの情報のリークにより、真実を知ることになった。すなわちかなり以前から、モルモン教会を運営する法的な実権が、ベンソンの自筆のサインを複製する特殊な機器を利用するかたちで、大管長ベンソンの手から密かに副管長らの手へと移行していた、ということである。しかし教会当局は、相も変わらず、大管長ベンソンがまだ実権を握っていると宣伝しつづけてきたが、ごく最近になってようやく、じつは大管長ベンソンは教会運営のできる状態にはない、ということを認めたのである。

 私たちはまた、モルモン教会の最高幹部が、いとも簡単に嘘をつくことを、少なくとも本来そうあってはならないはずの、地方教会の信徒にたいする指導・干渉に、くり返し深くかかわってきたという事実をひた隠しに隠すということを、とても大目にみることができなかった。モルモンの使徒たちは、こういう干渉にかかわった事実を個人としては認めつつも、彼らの立場を護りたい一心で、突然その態度をひるがえし、公的な場ではそれを否定するという具合であった。その嘘がぱれそうになったとき、彼らが私たちに助けを求めてきたときには、仰天したほどである。

 さらに私たちが問題を感じたのは、モルモン教会が、その教理や歴史と、真っすぐに向きあうことを病的なまでに避けるということである。私たちのささやかな研究によってさえ、モルモン教の正典、歴史、記録などが、内密に変更され、曲げられ、書き換えられ、相互に矛盾し、また削除されてきたということは明らかである。

 一般信徒の目からはひた隠しに隠されてきた初期の教会の文書・記録を調べたとき、モルモン教の創始者、ジョセフ・スミスが、財宝捜しや、酒、女に、いかに弱かったかということが判明し、愕然とした。「モルモン経」については、それはほとんど剽窃・盗作であり、歴史書などではないということを示す説得力のある証拠もある。

「カルト」の一歩手前

 モルモン教はキリスト教主流派であるとするモルモン教会の主張とは裏腹に、私たちはモルモン教が、多妻婚とか、人種の優位とか、血の捧げ物とか・多神教であるとか、フリーメーソン的・カルト的な神殿儀礼などの、風変わりで、ひどく不快な教理・概念と強く結合されていることを発見した。

 こういう信仰を永く持続できるはずはなかった。私たちはみじめであり、四人の子どもたちもそのことを感じとっていた。何かをなすべきであった。私たちの人生をもう一度自分たちの手に取り戻すべき時期にきていると思った。私たちがとうとうモルモン教会から脱会したとき、六歳になる娘が私たちにこう尋ねた。「これって、こんどは私たちがクリスチャンになったっていうことなの?」。

 メアリー・アンは、モルモン教徒の両親にあてた手紙のなかで、モルモン信仰を棄てることが私たちにどのような意味をもつ出来事であったのか、また、こうした選択が私たちの人生にどのような積極的な意味をもつことになったのかを語っている。

 「私は、教会幹部が、その信徒たちにたいして絶対的な忠誠を要求しているということに、次第に気がつきはじめました。教会が、その統制の手を、モルモン教徒たちの精神と生活のうえにしっかりと伸ばしていることも理解するようになりました」。

 「こういう現実が次第に明らかになるにつれ、私の心は痛みました。時がたつにつれ、裏切られたという恩いがますます大きくなってきました。モルモン教会にたいする信仰を喪失したことを、私はとても悲しく思っています。しかし私は、この信仰の喪失にかんするすべての責任は、教会幹部にあると思います。というのは、真実であると教えられてきたモルモン教の歴史とか教理が、実際には、真実とはほど遠いものだったからです。言いかえれば、モルモン教会は、実際の姿からあまりにもかけ離れたモルモン教のイメージ・虚像を、人々の心に焼きつけてきたからです」。

 「こうしたことを知ったあとで、しかも目分の良心に照らしてみて、いまや不正直であり、人々を騙し、真理の敵であることが明らかとなったモルモン教会のなかに、どうやって留まることができたでしょうか。その答えは、不可能だった、ということです」。

 メアリー・アンは手紙をつぎのように結んでいた。「真実を追求することは、ひどく疲れる、しかも苦痛に満ちた作業でした。しかしそれはまた、私たちの心を晴れやかにし、自由にしてくれる作業でもあったのです。私たちは、モルモン教会の真実の姿を発見しました。そして教会から離脱することで、私たちはついに解放されたのです−すなわち、偽りからの、偽りの予言者からの、そして偽りの真理からの、解放です」。

 「私は、パパとママが、私がたどりついた結論・決意に、同感してほしいと言ってるのではありません。ただ、それが私にとっては正しい道であったということ、そして私がとうとう心の平安を見いだしたということ、そのことをいつか、パパとママが理解し、認めてくれる日がくることを、心から願っています」。 


wpe2.jpg (1620 バイト)