マザーテレサについて


マザーテレサについて

 マザーテレサについてちょっとお話をしましょう。
 彼女は1910年、アルバニアで生まれています。「マザー」とは修道院長の呼称で、「テレサ」は無論洗礼名。親からもらった名前は「アグネス」です。
 両親は熱心なカトリック教徒で、彼女の通っていた「聖母信心会」の主任司祭が、インドで奉仕活動をしているのに心を打たれ、自分もいつかインドに行って活動をしたいと思うようになります。
18歳でロレッタ修道会に入り、インドで高校の地理の教師としてインド人子弟を教えました。ロレッタ修道会は主に教育を通じて社会に奉仕する目的で作られた会です。
 しかしスラムでハンセン病などで苦しんでいる名もなき人を見るにしのび、やがて36歳のときに「うちなる声」に導かれて、独立してマザー自身の修道会を組織しようと考えました。
 このためにはロレッタを出る必要がありました。(ロレッタは教育奉仕を目的についてるため)
 1948年ピオ12世により、1年間の期限付きで修道女の身分のままロレッタを離れカルカッタの大司教の配下に移る許可を得ました。彼女が、挫折した場合、すみやかにロレッタに戻れるようにとの配慮でした。
 1963年に彼女の修道会である「神の愛の宣教修道女会」ができます。
 カトリックという組織で可能だった彼女のこうした活動は、モルモンの組織では可能なのかという疑問をモルモンの人たちにぶつけてみましょうか。
 私はモルモンの人たちは基本的には善人だと思っているんです。しかし組織がそうした信仰心の滋養を阻んでいると思う。社会の奉仕を優先すれば、モルモン教会の奉仕は今の1/10ぐらいには削減しなけりゃならないし、宣教師も1/1000ぐらいにして残りを地域や貧しい国での慈善事業に回すぐらいのことをしないとね・・。
 マザーテレサがモルモン教徒になっていたら、とてもああいうことはできなかったでしょうね。彼女が胸にプラスチックの名札を付けて自転車で走り回っている姿を想像すると悲しいですね。

 それからモルモンの人に言わせると、マザーテレサがカトリック教徒でなくとも、彼女自身の信仰によってあのように奉仕できたと思うんだろうけれど、それはある意味では当たっています。教会の籍で救われるというのはおかしいですから。逆に言えばモルモン教徒でなくとも神のお導きが得られるということと引き換えに認めてもらう考えですけど。

 ちなみに日本にも彼女の修道院はあります。女子修道院は足立区西新井と愛知県海部郡、大分県別府市。男子修道院が台東区日本堤です。また、修道院に入らなくても一時ボランティアの「共労者会」という組織もあって、世界中のボランティアの人がこの活動に参加しています。

Name : 薮内 Mail : fgyawplm@anet.ne.jp Time : (99年4月6日<火>13時50分)


「戦争」や「貧困」を私は非難します

 だから、なんというかな。私はモルモン教徒個人に敵意はないんだけれど、教会の考えは嫌いなんです。いくらキリストが愛を説いても、「戦争」や「貧困」を私は非難します。おなじように「モルモン」も私は非難します。マザーテレサがモルモン教徒だったら、彼女の人柄は好きになるだろうけれど、信じているものは非難するでしょうね。
 そこを「個人攻撃」とすり替えて、モルモンの人に非難してほしくないな〜と思うんです。
 ただ、モルモンを離れた人は多かれ少なかれ心に傷をおっている。多少、過激な発言が出ても、そこはモルモンの人にも隣人愛で受け入れて欲しいと思うんです。私なんか安定剤を飲んでたんですかね。

Name : 薮内 Mail : fgyawplm@anet.ne.jp Time : (99年4月6日<火>14時03分)


マザー・テレサ 2

 モルモン時代の自分ってそうだったけれど、宗教関係の本はモルモン側が出版したものでないと読んではいけないようなことを言われていたので、今でもモルモンの人と話すとその知識不足に驚かされることがあります。
 というわけで、マザーテレサについてしばらく語っていきましょう。
 ナヴィン・チャウラ著「マザーテレサ 愛の軌跡」日本教文社出版
 という本があります。
 筆者はインド政府の役人でヒンドゥー教徒の書いた本です。カトリック関係者の手によるものではないので、ある程度モルモンの人にも、抵抗なく読めるのではないでしょうか。内容も他の本に比べると、著者が異教徒であるため、あまり教義的な記述はありません。
 
 マザー・テレサ自身は一冊も本を書いてはいません。書店に並んでいるような本は、大抵、ジャーナリストの取材によるものか、彼女の書簡をまとめたものです。これはイエス・キリストがご自身では何も記されなかったことに習ってという説もありますが、多忙で世界中を飛び回っていた人でしたから、そんな余裕がなかったというのが実際のところのようです。
 人に 「あなたが本を書けば、世界的ベストセラー間違いなしだ」と勧められても、笑顔で断っていたそうです。
 
 彼女が最初、インドにきたのはロレッタ修道会の高校の地理の教師としてでした。大変、子供に人気のある先生であったそうです。マザー・テレサと共に働いたシスターの中には、この当時の教え子も沢山いたそうです。
 1946年、戦後のカルカッタはヒンズーとイスラム教徒との間で内乱が起こっており、舗道上に多くの貧しい人達が瀕死で横たわっている状態でした。マザーは年に一度の瞑想をを行うため汽車にのっていたとき、はっきり「この者たちに仕えよ」という内なる声を聞いたのです。
 翌年インドとパキスタンが独立。1948年、ロレッタ修道会を離れ、スラムで奉仕を始めました。ただ、看護・医薬品の知識をつけておいたほうがよいという教会の勧めに従い、医療宣教修道女会の病院で数ヶ月、修業してそれから、スラムで一人活動を開始したそうです。修道会はその後しばらくは、いくばくかの援助はしていたそうです。その後は善意の寄付によって賄われていました。
 モルモンのある人に、マザー・テレサは修道会から離れたのを「貧しい人を救おうとして、修道女会に除名された」と言っていましたが、これは決して除名ではありません。

Name : 薮内 Mail : fgyawplm@anet.ne.jp Time : (99年4月7日<水>02時11分)


マザーテレサ3 「信仰と奉仕」

 日本人で初めてマザー・テレサを取材したのは沖守弘氏という写真家ですが、彼のマザーの写真集にはこんな後書きが添えられています。
 初めてマザーに会ったとき、氏は彼女のヒューマニズムを讚え、日本人にも広く知ってもらいたいと取材の目的を話しました。
 マザーは微笑を絶やさないながらも、「あなたのいうヒューマニズムというのはどういうものかは知りませんが、私は慈善事業家でもなければ社会福祉家でもありません。ただキリストに仕えているだけなのですよ」
と、言いました。
 それは、彼女の有名な言葉にも表れています。

 沈黙の果実は祈りである
 祈りの果実は信仰である
 信仰の果実は愛である
 愛の果実は奉仕である
 奉仕の果実は平和である

 奉仕を支えるものは信仰であり、信仰を支えるものは祈りであるということです。
 ただここで誤解してはいけないことですが、以前、モルモンの人が、彼女はその善行故に死後、モルモン教に改宗して救われるたろうと申しておりました。
 これは大きな間違いです。なぜなら、善行によって救われるという教えはキリスト教にはないからです。
 マザーの言葉には、このようなものもあります。
「重症の人、体の不自由な人、世間から見捨てられた人、身寄りのない人、死に直面している人・・・これらの人々は、悲惨な姿で私たちの前に現れたキリストなのです。彼らに奉仕することで、私たちは神への愛を示します。その時に私たちは神からの愛を授かるのです」
 十字架につけられたキリストの苦しみは私たち人類のおかした罪の贖いを御身に負われた苦しみでした。その苦しみを思うとき、悲惨な人たちこそ、キリストそのものであるというのです。功徳を積んで昇栄するなどという自己中心的な考えはありません。
「数日前のことです。シスターたちはボンベイの町の通りに一人の男が倒れているのに気付きました。彼の背中は肉が腐っており骨がむき出しになっていました。シスターたちは彼を家に連れていきお風呂で体をきれいに洗ってあげました。私はシスターに訪ねました。『彼に触れているとき、あなたはどんなことを感じましたか?』。シスターの一人がこういいました。『マザー、私は今までこんなにもキリストの存在を感じたことはありません。彼に触れているとき、私はキリストの存在を本当に実感できたのです』」

Name : 薮内 Mail : fgyawplm@anet.ne.jp Time : (99年4月7日<水>04時42分)


マザーテレサの思い出

 薮内さんがマザーテレサについて書かれているので、便乗して書いてみたいと思います。


 私がマザーテレサを知ったのは、まだ7歳頃の時で、日本にマザーテレサを紹介した「マザーテレサとその世界」という映画でした。通っていた教会や幼稚園で上映会が行われたり、テレビで放送されたりしました。

 私はまだ小さかったので、心の深いところの事までは分かりませでしたが、彼女の働く姿を映した映像を通して、多くの事を心に刻み込まれたように思います。

 この映画が上映された当時は、ベトナム戦争を原因としてカンボジア難民が大量に発生し、深刻な飢餓状態が問題とされていました(多少時期がずれてるかも・・・)。また、私の通っていた教会や幼稚園は、飢餓に苦しむ人たちに特別な配慮をしていた事もあり、マザーテレサの生き方は、ある意味で身近に感じられるものでもありました。
(この様な背景の中でキリスト教的な影響を受けたため、私の中ではキリスト教はアジアの宗教という印象が強いです。もっともキリスト教はアジアで生まれた宗教なので間違いでは無いのですが・・・。)

 彼女は「言葉」ではなく「行動」で人々に影響を与えた人でした。実際彼女の言うことはとてもカトリック的だったので、多くの人には理解しがたいかも知れません。また、彼女の行動の源はとてもキリスト教的なので、多くの日本人には理解しがたいかも知れません。それでも、彼女の行動は人々に影響を与えずにはいられなかったのでしょう。

 この掲示板でも時々彼女の名前が出ますし、時々書き込まれる「まりあ てれさ」さんも、名前を彼女の名前からとったのだと記憶します。そう言えば歌手だった「テレサ・テン」さんもマザーテレサから名前をとったとテレビで言ってました。
 それ程に影響力のある人だったんだな、と改めて感じました。


 彼女の様に、宗教という枠を超えて、しかも宗教的に人々に影響を与えた人って、モルモン教の人の中には聞きませんよね。
http://www.712.nu/

Name : @サトシ Mail : anahori@712.nu Time : (99年4月7日<水>05時43分)


書き込みありがとうございます。

ケロ恵さんからゲストブックへの書き込みをいただきました。
ありがとうございます。

モルモン教に関してのこのようなHPは、様々な困難もあるでしょうが、頑張ってください。

私は2002年のソルトレークシティの冬季オリンピックに注目しています。
主の取り扱いがあることを信じています。

マザーテレサは私の人生の根本に触れられました。
私のHPでも少し証ししていますが、マザーの家で、私は聖霊体験をいただきました。
この時代に彼女が生きておられたことを心から感謝します。

それでは、お元気で。
主にあって。
山木より。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis/8512/

Name : 山木浩和 Mail : hope-of-japan@geocities.co.jp Time : (99年4月7日<水>08時50分)


ひとりボケつっこみ(^-^;)

>彼女の様に、宗教という枠を超えて、しかも宗教的に人々に影響を与えた人って、
>モルモン教の人の中には聞きま
>せんよね。

きっと、模範的なモルモン教徒ならこう答えますよ。

「教会の歴史はまだ日が浅くて、会員数も少ないから、マザーのような人はでてこないけれど、将来的には普通にたくさん、そのような人を排出する組織になりえると信じますよ。またそのように頑張らねばならないなと自分自身に対するチャレンジとして思います。できれば、もっと暖かい目で末日聖徒の事を見て下さい。」

暖かい目で見てもらいたかったら、「唯一真」をひっこめなさいって(^-^;)
他者には「悪魔の教会」「背教した教会」と厳しい目を向けておいて、自分に対しては「暖かい目」を求めるその偽善性が嫌い。

と、シャドウボクシングしています(^-^;)
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年4月7日<水>12時17分)


マザー・テレサ 4 「祈り」

 モルモンの人は、マザー・テレサをカトリックという「背景」と切り離して称賛する傾向がありますが、カトリックの中でも彼女ほどカトリック的だった人はいなかったでしょう。
 カトリックが薦めている、中絶反対についても彼女は非常に熱心でした。
「子供がいらないなら、私に下さい。私が育てます」と彼女はよく言っています。日本にも何度か来日していましたが、一番の動機は「中絶天国」と言われた日本の現状をとても懸念していたからだそうです。
 前回も話しましたが、彼女は「祈り」というものを何よりも大切にしていました。「祈りによって神と交わり、霊の栄養をいただくのです。その朝の祈りなくして一日の奉仕はできません」とまで言っていました。

 カトリックは祈りという場をとても大切にしています。御聖堂は適度な明るさを保ち、マリア様の祭壇には蝋燭の灯が灯っています。隣が付属幼稚園だと昼間は騒がしいですが、夕方以降訪れると、信徒が一人、二人、お祈りを捧げているのを見ます。無論自宅でもどこでもお祈りはできますが、やはり御聖堂の静寂とキリストの像や聖母の絵は、私たちをとても厳粛な気持ちにさせてくれます。こういうところでの祈りは本当に心が安らぐものです。
 私もカトリックに来て、この祈りを朝夕の義務でなく、喜びとして感じることができました。祈りの間、過去を振り返り、また多くの出会ってきた人たちのことを思い浮かべ、その一つ一つがすべて神のおかであったことを想うとき、神の愛がいかに深いものであるかを知るのです。モルモン時代、やたら願い事が多かった祈りも今は、「感謝」を捧げることが多くなりました。それは苦しいことがあっても導きであると受け止められることでもあって、以前のように、後悔とか後ろ向きな気持ちはかなり少なくなったと感じています。これも信仰の賜です。
 
 ただマザー・テレサはスラムに居を構えていたので、彼女の祈りの場は常に喧騒の中にありました。写真家の沖氏によると、トラックが横を通ると、祈りの言葉が聞こえなくなるときもあるそうです。
 しかし彼女の「沈黙の果実は祈りである」の言葉の通り、たとえ喧騒の中にあっても、丁度、私たちが静寂な御聖堂にいるのと変わらないぐらいの気持ちになることができるのでしょう。彼女のカトリック信徒として見習うべき一つがそれだと思います。

Name : 薮内 Mail : fgyawplm@anet.ne.jp Time : (99年4月7日<水>14時25分)


マザー・テレサ5 「神にゆだねる」上

 マザー・テレサの信仰的態度は、神に自分のすべてを委ねるという形にも表されています。
「最も貧しき者に仕えよ」という内なる声を聞いたとして、マザーがそれを実行に移すにしても、神は具体的にプランを示されたわけではありません。生活費をどうするのか、どこで寝泊まりするのか。試みそのものは成功するのか、神は一言も教えてはくれません。ただ「やれ」としか言わないわけです。

 彼女は修道院からスラムに足を運んだとき、手には5ルピーしかありませんでした。途中で貧しい人に会い、そのうちの4ルピーを渡してしまいました。さらにカトリック司祭に会い、本を出版するために寄付をして欲しいと言われました。彼女は考えた揚げ句、その最後の1ルピーを差し出しました。すべてを神にゆだねているマザーにとって、先のことは神に心配していただくという楽観的な考えがあるようです。
 その後、先程の司祭が封筒を持って現れました。「知人があなたのことを聞いて、これを渡すようにといわれました」
 なんと50ルピーものお金が入っていました。
 神は決して見捨てはしない。恐れるものはないと、彼女は強く感じたそうです。
 逆に言えば 彼女にそういう信仰がなければ、よもやこのような大事業は手がけられなかったしょう。
 
 貧民街でのスタートは決して順調だったわけではありません。カリガートというところで、ヒンドゥー教寺院の一角で死を待つ人の収容施設を作りました。
「あそこで死んだらキリスト教に改宗されて葬られる」という噂が広まったことがあります。ヒンドゥーの僧たちも、そのような施設があるのを快く思いませんでした。
 険悪な状態になっていたとき、ある事件が起こりました。ヒンドゥーの僧の一人が結核になったのです。助からない患者を病院は引き取ろうとしませんでした。僧たちは話し合って、試しにマザーのところに預けることにしました。
 マザーはその青年僧を暖かく看病しました。やがて僧の表情は和らぎ、平安で心が満たされ、息を引き取りました。マザーは火葬して、ヒンドゥーの儀式で葬りました。
 これを機に、僧たちの懸念は氷解しました。

Name : 薮内 Mail : fgyawplm@anet.ne.jp Time : (99年4月8日<木>04時50分)


マザーテレサ5 「神にゆだねる」下

 神はその計画のうちに、マザーとその周囲の人を導いておられます。ですから前向きにものは考えても、後ろ向きな躊躇や不安は、信仰者にとって不要なのです。
 神に身をゆだねるということは、それを信じている者には、あらゆる不安や恐怖からの解放に他なりません。
 モルモン時代の私は、信仰はやたら律法によって、犠牲をしいるものとして受け止めされられてきましたが、カトリック、プロテスタントはこうした前向きな信仰を強調します。パウロの伝道旅行は、モルモン流にいえば神に与えられた命令として、それをしなければ自身は昇栄できないという思いで行ったのかもしれませんが、カトリック・プロテスタント流でいえば、神に召された喜びに満ちて不安も焦りもなく自ら進んでその使命を果たしたということです。
 
 もう少し詳しくいいますと、モルモンは昇栄のために律法の順守という犠牲を要求します。カトリック、プロテスタントは聖書にある御言葉の通り、主を信仰することにより救われます。なぜなら私たちの罪をキリストが代わりに贖って下さったからです。私たちが律法で自らの罪を贖うことはとうてい不可能であるとキリストはのべておられます。それをモルモンが律法にこだわるのは私はわかりません。
 十字架の贖いにより私たちを罪無きものとしてくださった。そのあまりにも大きな御恵みに触れるとき、私たちも、たくさんの愛を人に示すことができるほど自身が変えられていくのです。その最たるものが、戒律によらず自ら進んでスラムに出た「マザー・テレサ」ではないでしょうか。

Name : 薮内 Mail : fgyawplm@anet.ne.jp Time : (99年4月8日<木>04時51分)


マザー・テレサ6 「奇蹟」

 神にゆだねるということは、補足すると、無軌道に何も考えずに進めという意味ではありません。それが神の御心でなければ必ず神はとどめられます。自身では努力はするけれどその結果については、すなわち自分の力の超えた運命の領域については、すべて神にゆだねるということです。日本でも古くから「人事を尽くして天命を待つ」というのがありますが、まさにこのことですね。

 モルモンではよく御霊を感じたということをよくいいますが、カトリック・プロテスタントはその点、本人の感情と混同している場合があると警告しています。これはモルモンの方でも経験があるのではないでしょうか。
 モルモンの人はそうした御霊を感じないと、印を求めないと信仰が保てないという弱さがあるように感じます。
 ただ奇蹟的なことはカトリックも認めています。ただし奇蹟は滅多に起こらないから奇蹟なのであって、「キリストを見た」類いは教皇庁まで話を持って認可をもらう必要があります。
 しかし、「偶然」という言葉でも片づけられる小さな「奇蹟」は私たちにも起きているのではないでしょうかす。私たちの人生をふりかえっても。モルモンに入信したのも、今の職場にあるのも、自分の意志が働きながらも、その一方で、様々な偶然が重なっているはずです。あの時宣教師に会わなかったら、あのとき求人広告を目にしていなかったら・・。そこに自分の努力ではどうにもならない運命というものがある。それを神にゆだねる。真のクリスチャンはこのように思うわけです。
 
 マザーの家でカルカッタの人に食べさせる米が底をついたことがありました。
 今までにそういうことはなかったので、報告をシスターにもらったときは、マザーもさすがに驚いたそうです。
 ところがどうしたわけか、翌朝、何千個のパンがトラックに運ばれてマザーのところにやって来ました。なんと、カルカッタの学校が、教師のストライキで閉鎖されて、給食のパンが余ったのだそうです。神は私たちを愛されておられる。マザーは講演を頼まれるとよくこの話をしました。

Name : 薮内 Mail : fgyawplm@anet.ne.jp Time : (99年4月9日<金>05時09分)


マザー・テレサの事

薮内さん
マザー・テレサのご紹介ありがとうございます。
わたしもよく知らなかった事が解って嬉しいです。
マザーとダイアナ妃の死が同日だったことと両者に交流があったこと
もあってワイドショー関連はマザーの紹介をちょこちょこダイアナ王
妃と関連付けて報道(?)してましたが、モルモン教徒のマザーへの
理解はこうしたエセマスコミに似たものがあるようにかんじます。
つまり、自分らの「興味のあるおもしろい話題」をより盛り上げるた
めに適当にチョイスして都合のよい解釈を施して取り上げているだけ
で、そこにはマザーの本質に迫ろうと言う姿勢は皆無だからです。
現実、薮内さんの「総力書きこみ」にコメントも寄せられないのです。

http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年4月9日<金>06時43分)


マザー・テレサ7 「信仰と律法」上

 マザーが最も尊敬していた人は、カトリックで聖人「アッシジの聖フランシスコ」でした。カトリックがもっとも腐敗していた十字軍遠征の頃、フランシスコは全財産を貧しい人に分け与え、物乞いのような生活を送りながら、神の道に生きた人です。
 彼の言葉として残っている「平和を求める祈り」は、現在のカトリック教会でも祈りによく使われています。 それは「私をあなたの平和の道具としてお使い下さい」という一節で始まります。マザーが口癖としていた「私は神の小さな鉛筆」という表現も、これにぴったりとあてはまります。
 飢えた人、病に伏す人、孤独な人、その姿にキリストの受難を見いだすマザーにとって、困った人を「助けてやる」という気持ちは微塵もありませんでした。ただあるのは「キリストに奉仕させていただく」以外にのなにものもなかったのです。

 マザーは講演でよくこんな話もしました。
 ある何日も食べていない、ヒンズー教徒の親子がいました。ある人から援助を頼まれて、米を持って会いにいくと、かわいそうなぐらい飢えた八人の子供がいました。
 ところがその母親はそのマザーの差し出した米を半分に分けると、その内の一つを持って出かけてしまったのです。しばらくして帰った来た母親にマザーがどこにいっていたのですかと訪ねると、
「隣の家にイスラム教徒の家族がいて、私と同じくらいの子供がいるんです」
 極限まで飢えた子供がいながら、母親は痛みを感じるほどに隣人を愛した。
「子供も母親のしたことの意味がわかるのか、母親の話を聞いてとても目が輝いていました。私はその日は、その愛をかみしめて欲しかったので、翌日まで新しい米を持っていきませんでした。あなたがたはこの貧しいという豊かさを知っていますか」。
 貧困の中に見るキリストの愛。そういう人たちに頭を垂れるとき、「神の小さな鉛筆」は決して社交辞令的謙遜ではありませんでした。  

 しかしマザーの意に関係なく、世間は偉大なヒューマニストとして彼女を称賛しました。御存知のように、1979年にノーベル平和賞を贈られていますが、この他にも世界中から色々な賞が贈られています。インドからパドマ・シュリ賞。英国王室からはテンプルトン賞。フィリピンからはマグサイサイ賞。
 このほかにもケンブリッジ大学、サンディエゴ大学などの名誉博士号。またアメリカの多くの市が名誉市民の鍵を贈り、数々の権威ある雑誌が彼女を「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」に選びました。
 実際のところどれだけの賞を受賞したのかは分かっていません。マザーはこうした賞に興味がなかったので、正確な記録をつけていませんでした。ただギネス級であることは間違いないという人もいます。
 彼女が始めて賞を受けたのは1962年のインドのパドマ・シュリ賞で、活動を始めてから14年後のことでした。彼女はかなり抵抗がありましたが、カルカッタ大司教の「貧しいものの代表として受ければいい」という勧めにしたがって授賞式に出席しました。賞金は無論、施設の運営資金となり、贈られたメダルは後日、カルカッタの彼女の住む家の聖母像の首にかけてあったそうです。どうしても自身が受けたとは思えないようでした。

Name : 薮内 Mail : fgyawplm@anet.ne.jp Time : (99年4月11日<日>11時38分)


マザー・テレサ7 「信仰と律法」下

そういうわけで、信仰の道を歩んだときに、「隣人を愛せよ」「謙遜であれ」はすべて一本の道でつながっていることに気付きます。そしてその過程でマザーは、スラムでみたキリストの様々な愛にまた自身が満たされ、より信仰を深めていっているのです。それは犠牲でも何でもなく、神からいただいた尊い恵みなのです。

 しかしモルモンの教義では、神の賛美を強調する心を育てず、やたら信仰者ならば「隣人を愛し」「謙遜である」態度をとることを強要されます。
 木を大切に育てれば自然によい実が生るのに、モルモンは栄養も水も与えず、見栄えだけでもよい実だけを生らそうと躍起になっているようです。 「人の賛美に高慢になるな」「賞金は寄付をしろ」という戒め・勧告を受けて、初めてマザーと同じ態度をとれるのかもしれませんが、それは自ら望んで自然にそうなるものでない以上、いかに信者に犠牲を強いるものかわかるでしょう。また、そこまで自ら望めなければ神はちゃんと待って導いてくださる御方なのに、モルモンはなぜか昇栄できないという心理的圧力までかけます。モルモンのやり方は信仰でも何でもなく、人間性を真っ向から否定していることが理解できるでしょうか。

 あるモルモン教徒の人と、教会の社会奉仕のことが話題になりました。彼は、モルモン教会は信仰が目的であり社会奉仕は第一の目的ではないということを主張しました。しかしマザーにあるように、信仰が深まれば人は自然に社会にも奉仕したいという気持ちなるものなのです。(無論、表れ方は人様々であるはずですが)。信仰と社会奉仕を切り離して考えることこそ、モルモン教義が、信仰と切り離されたものであることを端的に示しています。

Name : 薮内 Mail : fgyawplm@anet.ne.jp Time : (99年4月11日<日>11時39分)


話の終わりに

 ええ、長い話になりましたが、マザー・テレサ関連はこれで一区切りをつけて、また後編を出すか、また彼女の尊敬していた「アッシジの聖フランシスコ」を御紹介したいと思っています。長い話になりましたら御容赦下さい。
 ただ、私も信仰者として完全であるわけではなく、社会奉仕も常にやれているわけではありません。しかし神はちゃんとそれを御存知で、私が疲れたときはちゃんと立ち止まって見て下さる御方であると信じています。
 ある人に「社会奉仕をしなければクリスチャンじゃないのか」と言われましたが、そうやって人の出来・不出来をばっさり二つに分けてしまうのもモルモンの悪しき伝統です。キリストは収税人と一緒に食事をされたとき、自分は誰のためにここに来たとおおせられたでしょうか。私たちはいかなる状況にあっても、私たちを愛され導こうとされておられるのです。その神の恵みに身をゆだね生きていく気持ちを持てば、たとえどんな罪人であっても等しくみなクリスチャンなのです。私たちがその行いで上下を付ける問題ではないのです。

 三重県で、カトリックが中心になって「三重ダルク」という薬物依存者の救援組織が今年になって発足しました。麻薬中毒者などという、世間ではつまはじきにされている者でさえ、主は愛しておられるのです。彼達に奉仕することはキリストに奉仕すること。そうした思いが、この活動に参加しているキリスト教徒にはあります。

Name : 薮内 Mail : fgyawplm@anet.ne.jp Time : (99年4月11日<日>12時06分)


マザーのお話、感謝です

薮内さん

一連のマザーの書き込みありがとうございます。
以前サトシさんに紹介されて、マザー関連のサイトを読んだ事もあるのですが、それと合わせて、また少しだけマザーについて、またその向こう側に立つキリストについて考えを深める事が出来ました。

あたしの場合、以前から述べているように、八百万の神信仰について考えるのですが、キリストについて知る事と、八百万の神信仰について理解を深める事は相互矛盾することはないだろうと思います。
これは宗教をゴッチャにするっていう意味ではなくて、双方を尊重するという意味でですが。

もっと早く、まっとうなキリスト教について知ればよかったのになぁ。って思います。

もっとも、モルモン教徒があまりにもおかしなキリスト信仰を伝えた反動が、モルモンの述べていることって嘘?という疑問を持たせて、それがキリスト教への興味になっているわけですから、その意味では、モルモンにも少しは意義があるのかな(^-^;)?と思います。

ちょうど、ナチスの存在が、ファシズムって何?民主主義って本来どういうもの?って考えさせる元になったようなものというべきか(^-^;)。

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年4月11日<日>13時20分)


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